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死ぬ事は美学か

 「武士道は死ぬ事と見つけたり」「生きて虜囚の辱めを受る勿れ」
 この国の人々は「死ぬ」事、特に「自ら死ぬ事」に何がしかの美学をつけてきました。また、「死ぬ事」は責任を取る最後にして最強の手段と考えもしてきました。
 「死ねばみな仏」
 大抵の日本人なら理解できるであろうこの考えは、外国人にとっては理解し難い思想の一つとして捉えられています。靖国問題で擁護派の語る一説としてこの思想が語られ、それを理解しない中韓は文化の違いだから致し方なしと叫ばれます。韓国は調べた事がないので確実な事は言えないのですが、中国が死者をあの世でも追い詰めるのは間違いありません。中国人なら誰でも知っている、南宋の岳飛と秦檜の話は代表的な故事。華北を征服した金国に最後の抵抗を主張した岳飛を宰相秦檜が殺して金国と和平をしたという話。これで秦檜は売国の汚名を着せられ、杭州の岳飛廟では今なお膝まずいた秦檜の像があり、中国人観光客はこの像に向かってツバを吐いております。話は13世紀後半のものですから、何という事でしょうか。ましてや100年も経たない話を中国が忘れる訳もなく、日本人が「いつまで言い続けやがる」と主張しても先方が納得しないのは当たり前です。

 話が逸れました。
 日本人は「死ぬ」という言葉に一定の美学とけじめをつけたがります。今の時代、声高に武士道とか戦陣訓の思想を説けば「やばいヤツ」と思われるかもしれませんし、「ぱっと咲いてぱっと散る」「大和魂」を語る人は殆どいません。勿論普段我々もそのような声をまともに聞こうとはしない。しかし、最近特に「死んで責任を取る」「死して詫びるべし」という思想の広がりが大きいのか死刑乱発の傾向なのは事実ですし(決して凶悪犯罪が増えただけではない。死刑は合法的な敵討ちなのか?)、我々としても「遺族感情」を考慮に入れればそのような流れを一方的に拒絶する事も出来ないでしょう。つまり、「古臭い」「時代はずれ」と普段は考えている「死ぬ」という事に対する思想ですが、今なおこの国では「死」に対するある種の「美学」(と言ってさしつかえないと思います)として根強く社会の根底に生きているのは事実だと思うのです。
 「死者に鞭打つような事はしなさんな」とは、今回の松岡農水大臣自殺事件で自民党の元大臣が発した言葉です。大臣が取った行動が「美学」なのか「逃げ」なのかは別として、多くの日本人にとっては上記発言を真っ向から否定出来ないだろう事が、日本人の死に対する意識を端的に表していることだと思います。
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列車で船に乗る

 ミラノ中央駅は、ヨーロッパで最大級の駅です。頭端式ホームがずらりと並び、駅全体を覆うドームはそれはそれは見事なものです。ヨーロッパには「如何にも駅です」という荘厳な駅、ムード満点の駅が幾つもありますが、このミラノ中央駅はその中でもずば抜けた存在だと思います。
 そのミラノ中央駅でベネチア行に乗ろうとしていたところ、ホームにパレルモ発ミラノ終着の列車が入ってきました。パレルモとはシチリアの街で、南イタリアのその又向こうから北イタリアまで突っ走ってきた列車。勿論夜行列車です。シチリアは島ですから、このパレルモ発の列車は海を渡ってきた訳です。海峡でわざわざ連絡船に車両ごと積み込み、イタリア本土に渡った後に再度連結してナポリ、ローマ、フィレンツェ、ボローニャを経由してミラノまで走ってきます。言ってみれば、津軽海峡をかつての青函連絡船に列車を積み込んで札幌まで走らせようというものだと思っていただければ宜しい。日本人の目からすると、わざわざそんなことしなくても海峡で船に乗り換えて本土では連絡列車を走らせれば良いではないか、と思うのですが、どうもそのようには考えないらしい。これはイタリアだけでなく、かつてデンマークのコペンハーゲンと各地を結ぶ列車もこのような運用をしていたようです。
 実はこのような運用は日本にもありました。確か昭和20年代の話ですが、上野発札幌行(またその逆)と称して青函連絡船にわざわざ車両を積みこんでおりました。生憎洞爺丸台風で洞爺丸が沈んだ際に、この運用は中止されたようです。
 一度列車ごと船に乗ってみたいと思っていたのですが、ヨーロッパまで行く訳にもいかずどうしたものか、と思っていたところ、効率という言葉からは最も遠い所にある国の中国で、このような運用が昨年秋より始まりました。海南島と中国本土を結ぶ列車です。今年4月のダイヤ改正で海南島は三亜まで、本土側は北京、上海、広州とを結びます。海南島の観光調査と称し、6月に休みを取って広州~三亜の列車に乗りに行くチャンスを得ました。
 さあ、今から楽しみです。

「眉山」

 普段コンピュータとにらめっこし、競争社会の忙しさにかかりきりなので、たまには人間に戻ろうと思い、5月12日より始まった映画「眉山」を見てきました。この手の映画は色々言われそうなのですが、私は素直に良い映画だなと思いました。原作がしっかりしているのと監督も評判の人だからでしょうか。穿った見方をせず素直にストーリーと映像をかみ締めたいものです。
 ストーリーについてはまあ見ていただくとして、映画の重要な要素である阿波踊り。世に言う「踊る阿呆に見る阿呆」です。本当にああなのか、それともコマ割りが上手いのかどうかは知りませんが、一度実際を見てみたくなりました。
 以前高知に友人がおりましたので、訪ねて行く途中に一度徳島に立ち寄った事がありますが、市内観光はしておりませんでした。 幸い神戸から徳島までは大して距離も無く高速バスも本数がありますので、この夏にちょっと行ってみようかと思います。

国泰旅社

 バンコクという街は、その暑さによってドンムアン空港を出てから10分で嫌になった。元来蒸し暑い場所は苦手であるが、それでも訪れたのはパッカーとしてこの街に来ていないのはマズイのではないかと思ったからだ。空港目の前の掘っ立て小屋のようなドンムアン駅からホアランポーン行の3等車内で、どのように街を抜け出すか考えていた。ホアランポーン駅に着いたその足で切符売り場へ行ったが、南方行の列車は国王の誕生日休暇とかで1週間後まで売り切れで、仕方が無いのでカオサン通りの旅行社でバタワース行の夜行バスの切符を買った。
 バンコクから南方へ向かうバスは睡眠薬強盗が多発する事で有名だったが、運良かったのか自分は大丈夫だった。てっきり国境を越えてバタワースまで直通してくれるのかと思ったが、早朝のスラタニー、ハジャイ、国境のバタンブサールと三度乗り換えをさせられ、マレーシアに入った後はアロースターを経由して、バタワースに到着したのは午後遅く。勿論この街に泊まるのではなく、船でペナン島へ渡った。

 ペナン島が大英帝国の海峡植民地(Straits Settlements)の主要都市として重要視されたのは、地図を見れば明らかだ。東南アジアからインド洋へ抜ける、つまり東洋から西洋へ向かう船は、シンガポールを経由してマラッカ海峡を抜けなければならない。そのマラッカ海峡の出口にあたるところにペナン島がある。21世紀の今でも、このあたりでは「海賊」という前時代的な、かつどこか魅力的な名前を持つ集団が出没する。マラッカ海峡を通る船を襲う為で日本の船もやられたというニュースもあった。ペナン島という海路の要港を押さえる事は、海洋国家であり帝国主義国家でもある大英帝国に大きなアドバンテージをもたらした。また、太平洋戦争で日本軍が真珠湾にジャブを打つと同時にまず目指したのはシンガポールとマラッカ海峡、そして香港である。英国からこれらの地を奪うことは戦況を有利にする為には絶対的に必要な事であった。
 そんなかつての海峡植民地の面影をジョージタウンと呼ばれるペナン島の繁華街は色濃く残していた。このジョージタウンの一角に国泰旅社はあった。
 国泰旅社、英語ではCathey Hotelという。マレー語は知らない。華人が経営しているため、漢字の名前がついている。名前は立派だが所謂中級~から安宿にランクされるホテルである。建物はコロニアル様式と呼ばれるもので、英国人が暑いアジア地域に強引に西洋式建築物を持ち込む為に編み出した建築方法だ。まず特徴的なのは天井が非常に高い事、そして窓も大き目に作られているため風通しが良い。下手なリゾートホテルのクーラーの中で滞在するよりもかえって過ごし易い位だ。このホテルも海峡植民地時代の建物である。が、この手の古臭い建物は敬遠されるのか、それとも12月初めという時期的なものもあるのか、非常に趣があるのにも関わらず、客は自分だけであった。
 もしあなたがペナン島や上海などを訪れるのなら、外資系のデラックスホテルチェーンではなく、これら戦前の建物のホテルに宿泊する事をおすすめする。確かに全体として古ぼけてはいるが、趣は抜群でまた間取りも広く取ってあることが多く、気持ちよく滞在できる事が多い。この国泰旅社も一泊2000円ほどだったが、その建物の雰囲気も相まって、時間が止まっていた。ペナン島がもっと活動的な場所であった頃は多くの人が訪れただろうが、自分が訪れた20世紀末の国泰旅社は静かにかつ海峡植民地の栄華を今に伝える非常に良いホテルであった。
 結局国泰旅社には一泊したのみで、翌日のバタワース発の夜行列車でクアラルンプールに向かったが、自分に時間が無かった事が悔やまれてならない。

ふと本棚を見てみると

 ふと思い立って本棚を見てみると、思いのほか岩波文庫が多い事に気づきました。インターネットをご飯の糧とするようになってからは、もっぱら新書(特にIT系)を読むようになってしまいましたが、学生時代は文庫本を読みふけってました。読むのはもっぱら岩波か筑摩、そして講談社学術文庫です。何をいきがっていたかは知りませんが、他の文庫本はもっぱら通俗的なものと考え、せいぜい呼んでも新潮か角川まで。何て嫌味な学生でしょうか。こんな訳ですから、本棚は岩波で埋まっています。
 岩波文庫は背表紙が赤、青、緑、白、黄とありますが、私はもっぱら赤か青。つまり、外国文学か史書関係を好みとしておりました。緑は明治以降の近代日本文学ですが、こちらは新潮や角川の方が揃っているので、殆どありません。白は政治・経済系ですが、この手の本は理屈が過ぎるので苦手でした。唯一あるのは「共産党宣言」のみ。まあこれは主義主張に関わらず読んで損はありません。一般の方には最も縁遠いと思われるのは黄色でしょう。日本の古典ですね。古文が読める人なら楽しいのでしょうが、私は他社の現代語訳の方へ走りました。もちろん蔵書も少なく、書棚には2冊だけあり、一つは「助六所縁江戸桜」、もう一つは「仮名手本忠臣蔵」です。
 両方とも歌舞伎物ですね。実は私、歌舞伎が好きです。助六は歌舞伎十八番の一ですし、忠臣蔵も超メジャーな話(ちなみにあの忠臣蔵とはは若干内容が異なります)。
 歌舞伎と言えば、ゴ-ルデンウィーク中にNHKで「勧進帳」パリ公演がやっていました。言わずとしれた市川家のおはこです。実は最初から最後まで見るのは初めてだったのですが、団十郎の弁慶と海老蔵の富樫、亀治郎の義経は、花道が無いなどの不具合はあったにせよ、さすがと思わせるものでした。

Adobe CS3

 企業内のWEB制作という業務の関係上、制作ソフトの習熟、制作技術習得は不可欠です。が、「WEB制作」と言っても管理人的な立場で仕事をしているため、いわゆる制作会社のように朝から晩までソフトを触っている訳にもいかず、例えばWEBマーケティングのような仕事や掲載内容についての打ち合わせ等に忙殺される時間も多く、セクション内のスタッフ(つまりは部下と呼ばれる方々)の方が技術面では詳しいという事が当然あります。管理人だけやっているのであれば、コンセプトだけ伝えてあとはスタッフにお任せでよく、自分がわざわざ技術を覚える必要はあまりないのですが、業務量の多さのせいか知りませんが自らページ制作を行うことも多いので、必然的に覚えなくてはいけない、という事になります。
 矛盾するようですが、作る時間のみで一日を過ごす事が許されないので、技能を修得する為にはどうするか考えた場合、24時間を見渡してみると結局帰宅後寝るまでの間しか無い。よって、会社で使っているソフト(それ以上も実際はあるけれど)を自ら購入して家で触っています。
 これら制作ソフトですが、当然Adobe系を使用するので購入費用がバカになりません。いくつも購入できるものではありませんし、本来個人で購入する事を想定していないのではないか、という値段ですので、導入するソフトの選択にも慎重になります。よって、私の家計では「自己投資資金」なる科目を用意し、購入資金の積み立てを行っております。
 来る6月に待望の「Adobe Creative Suite3」が発売されます。以前このブログにも書きましたが、私にとっては当然「買い」です。Web Premium(アップグレード版の購入費用111,000円)を個人で持つ事には色々意見があるようですが、私は10万円程の費用なら自己向上の為には大した負荷とは思いませんので(本当に必要だと思えばケチる金額では無いということ)、少々毎日の食事は貧しくなれどせっせとお金を作っています。

もっと大事な所で批判しろ~石景山遊楽園

 このブログは中国人の方もお読みいただいておりますので、彼の国の論評を何処までするか(出来るか)はいつも思案のしどころとなっています。以前にも書きましたが、中国と米国はいくらでも賞賛出来ますしいくらでも罵詈雑言を並べ事も出来ますが、それらを行う場合には少なくとも偏狭なナショナリストにはならないように(つまり日本を最上位に考えなくては気が済まないように)、かといって卑屈にもならないように文を進める事が何よりも大事です。要は日本と他国をどれだけ客観的に捉えられるかが、私のテーマとなっております。畢竟、彼の国を批判する事は上記ポリシーに反しない限りためらいは無い事をお断り致します。
 さて、先日以来マスコミを賑わせていた北京郊外の石景山遊楽園のパクリ上等が破壊されたとの報道がありました。このような時の東スポは本当に上手く、この遊園地をして「ディズ似ーランド」表現しておりました。今回園内のパクリ物が国際社会の非難によって撤去されたとの事です。
 日本のマスコミはここ一番の勢いで大批判の論陣を張っておりましたが、私はと言えばこのニュースについては笑い話以外の何物にもなりませんでした。かねてより中国がコピー大国であったのは報道されてきましたし、この遊園地だって昨日今日出来た訳でもないでしょう。ディズニーは大迷惑でしょうが、外国のマスコミがわざわざ貴重な時間を使って報道するような程の事でもありません。「アホな国だな」と切り捨ててて終わりではないですか。もしキャラクター程度で批判するのなら、日本はもっと批判しなくてはいけない内容があります。それは先ごろ走り始めた高速鉄道用車両についてです。何せ日本企業の多大なる技術供与を受けているのにも関わらず中国で組み立てたので、「国産である」と中国国内で大々的に報道されているのですから。写真を見てもらえればわかりますが、日本の東北新幹線そのものです。鼠キャラを「人類共通の夢の産物」などと言っているのとは次元が違います。

 中国国内で高速車両に乗った事のある人が日本に来て新幹線に乗った時に「日本は中国の真似をしてる」と思う時が来るのでしょうか。

シベリア横断豪華列車~さてさて

今朝の新聞記事によれば、ロシアがシベリア横断路線に於いて値段上はとてつもなく高級な列車を走らせたようです。モスクワ→ウラジオストクがなんと230万円。13日間の走行で何故かウランウデからナウシキを通ってモンゴルに入りウランバートルに寄り道(またウランウデに戻る)をするとの事。ロシア国鉄とイギリスの旅行会社が共同で走らせている模様。また、モスクワの駅はヤロスラヴリ駅ではなく経路から推し量るとカザン駅発のようです。

 いくらシベリア横断の豪華列車とはいえ、記事の通りどんなに豪勢な車両であってもこの金額はありません。もし私に同等の資金があり、それで鉄道に乗るとなれば、迷わずシンプロン=オリエント急行に乗ります。でもオリエント急行でもロンドンからヴェネツィアまで突っ走ったしても50万円はかかりませんね。
 日数から考えるとシベリア横断の方が得?いえいえ。このクラスになれば、価値として最も大事なのは「サービス」です。この部分に於いては、ロシアの一流と英・仏の一流を比べればその差は推して知るべしでしょう。

会津行

 倒幕の中心が薩摩、長州、土佐であるのなら、佐幕の象徴は会津と新撰組です。どこまで本当かは知りませんが、20世紀後半になって萩市(長州藩の本拠地)が会津若松市と友好関係を結ぼうとしたところ、「会津戦役から120年しか経っていない」とかで会津側は拒否したそうです。

 会津藩と会津側に立つ奥羽越列藩同盟vs新政府軍は会津戦争を頂点とします。そこで出てきたのがよく知られる白虎隊の悲劇です。藩主松平容保の行動は藩主として会津の民に顔向けが出来るものではありませんでしたが、白虎隊の活躍により会津を「悲劇の土地」に印象づけます。実際は白虎隊だけでなく武家の婦女子で組織された隊なども戦っておりますので、会津全体が壮絶なる土地であったと言うべきでしょう。飯盛山での白虎隊の割腹を持ち出すまでもなく、会津戦争での戦いは本来朝敵である会津を大道に殉ずる忠義の土地として知らしめるのに十分であったのです。

 このゴールデンウィークにようやく会津を訪れる機会を得ました。会津若松の街は観光客で溢れており、飯盛山は白虎隊への線香の煙で満ちておりました。

 歴史の理屈を語るのは時と場合によりにけりで、私も白虎隊の墓に合掌してきました。

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プロフィール

Mr.Problem

Author:Mr.Problem
東京移住。
職業:雲のジュウザ
根本思想:世界人民大団結万歳(笑)
多少、あちこちに行ってましたが、。結婚してからはめっきり諸外国へ出ることが少なくなりました。せめて一年に一度くらいは海外には出たい。元パッカーの習性で旅行は旗持ちではなくほぼ個人旅行。基本的には今世界で起こっていることについて思うところや、今まで行った街の印象を徒然に書いていきます。
みなさんが世の中について考える何かの助けになれば。

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