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政治家の顔

 以前、日本の政治家が軽くなったと書きました。自民党でも野党でも、かつては名前を聞けば「何かやりそう」という感じの人がいたと思うのですが、最近は例えば不祥事を起こすにしてもレベルが低すぎる。顔を見渡して凄みのある政治家が減ってしまたと思うのは私だけでしょうか。
 そんな中、参議院選の公示日に出た民主党の新聞広告(全面)は、久しぶりに政治家の迫力を見たように思います。私は小沢一郎氏とは考え方は異なりますが、あの新聞広告は「さすが大物」といった感がありました。キャッチコピーは確か「あなたにとってあなたの生活以上に大事なものはない」だったと思いますが、そのコピーの迫力と、小沢氏が演説している際のアップ写真の組み合わせが臨場感あふれ、ストレートに響く素晴らしい広告であったかと思います。

 政治家と言えば自民党なら田中角栄、佐藤栄作、福田赳夫です。過去の人ばかりですが、名前を聞くだけで「いい事も悪い事も、やるとしたらケタ違い」と言わしめるのはこれらの人でしょう。
 日本の政治家は、善悪は別にして地元への利益誘導がついて周らなくてはいけません。中央の官僚出身者は賢いかもしれませんが、スマートに立ち回る印象があります。つまり泥臭さが無い。日本という国は、ムラ社会の集合体であったのがいつの間にかあたりさわりの無いスマートな国になってしまいました。どうして地方の人が自民党に入れてきたのかと言えば、イデオロギーよりも「自分達の地域をどれだけ助けてくれるか」という事を重要視していたからであり、実際自民党は多分にそれらの声に応えてきました。地方の面倒を見る事は必然的に経済力の弱い多くの人達の声に応えてこなくてはいけない訳で、いくら自由主義と市場経済万歳政党を名乗っていても、実際の政策は「日本型社会主義」と言われるくらい弱者の立場にも相当の割合で立ってきたものでした。
 この10年くらいの内に国際競争力が叫ばれ、経済発展のために必然的に企業よりの政策をとってしまった事が自民党を変えてしまった。小泉前首相の極端とも言える経済政策がトドメを刺しました。本来の支持基盤である地方はたまったものではなく、自民党は自ら弱体化の道を選んでしまったと言えなくもありません。日本型社会主義の破壊とそれによる経済発展第一主義は、そもそもの日本社会や日本人の精神そのものと相容れない事に自民党は早く気づくべきです。

 今回の選挙戦を通じてこの部分を非常に上手く立ち回ったのが小沢氏です。この方は旧来の政治家の顔をしています。安部総理と小沢氏とどっちが凄みがあるかと言われれば比較になりません。私と主張は異なりますが街頭演説をわざわざ聴きに行こうと思わせるのは、小沢氏と小泉前総理だけでしょう。この二人は将来の総理候補と言われている人とは存在感のレベルが違う。演説の内容に賛成であろうが反対であろうが、聞いている人を引き込む迫力を持った人が他にいるでしょうか。
 自民党の全面広告は確かに政策をきっちり書き、安部総理を前面に出していましたが、スマート過ぎました。共産党の広告と似たものになってしまっており、丁寧な広告かもしれませんが心に響くものではありません。
 明日は選挙です。今の日本に必要なのは、意外と泥臭さを持った旧来の政治家なのではないかと思います。
 「やはりこの人は政治家だ」と感銘を受けるのは演説の場であり、主張はどうであれ、聴衆をその気にさせる人が国民の代表であるべきだと私は思うのです。何故なら、政治家の一番の使命は「国民に夢と希望を持たせる事」なのですから。
 そう考えると、安部総理は政治家としてまだまだでしょう。 
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今年最高のギャグ「段ボール肉まん」

 何度も書きましたが私は学生時代中国史を専攻し、普通の日本人の方と比べて若干ながら多い時間を彼の国の滞在に費やし、彼の国の進歩発展の為に落とした外貨もそこそこの額になっております。隣人愛と申しますか同じ東亜の同胞として、又「日中友好の架け橋にならん」と個人レベルで友好親善活動に努めてまいりました
 国籍民族を問わず親近感が増せば多少口調も荒く慣れ慣れしくもなるのは当然の事でして、今までも彼の国の方々にとっては多少聞き苦しい口調で彼の国について語ってまいりましたが、この度の捏造疑惑についても(私としては)極めて友好的に記してみましょう。

 出たな、得意のコントが。

 段ボール肉まんが「捏造」とは笑わせてくれる。私の見立てでは、「捏造報道そのものが捏造」と言って間違いない。
 中国にとって最も重要な事は何か?それは「面子」である。彼らと接する時は「顔を立てる」事が極めて重要で、「顔をつぶされる」事は死刑宣告を与えられる事に等しい。そのような中国が「北京電視台」(北京テレビ)の捏造でした、と語るのは、この重大な話を一テレビ局に押し付けたに過ぎない。
 今中国は、かつてないくらい国のメンツにこだわっている。何故なら人類の一大イベントであるオリンピックを来年に控えているからだ。大イベントを目の前にして「この国やばいんじゃないか」と思わせるような事は極力避けたいに決まっている。ここで考えて欲しいのは、中国が対外的に胸張れる事は何か、という事。偉大な歴史や雄大な自然などいくつもあるが、「中華料理」も世界に知られた国の顔である。その中華料理で肉まんに段ボールが入れられていたとなれば、ミートホープ事件なんてものではない。国の面子が丸つぶれだ。が、現代中国のモラルを考えると段ボール入り肉まんは考えられなくもなく、北京電視台のスクープという事に当初なっていたが、本当はオリンピックを目の前にして当局が仕組んで国民に「警告」を出した、と考えるほうが自然である。

「お前らいい加減にしとけよ、国の顔つぶすような事するのは」

 なぜなら、彼の国の情報発信に対する規制はお家芸であるからだ。彼の国に報道の自由が「全く無い」とは言わないが、このような国の恥部をさらすような積極的なニュース発信を当局が認める筈が無い。だから、当局の作り話と考えるほうが自然なのだ。
 当局にとってはこのメッセージは国内向けのつもりだったったのだが、日本が騒ぎ出した。それだけなら無視するつもりだっただろうけれど、アメリカのCNNが報道してしまった。CNNは世界放送局みたいなものなのでこれは放っておけぬ。24時間営業のニュース放送局が世界中に報道してしまう。かと言って、「中華料理は毒です」と自ら認めてしまってはメンツがたたず、オリンピックも無事迎えられるか判らない。よって北京電視台の「捏造でした」にしてしまった、という事だろう。中央電視台("国営"放送局)ならまだしも北京電視台であれば、「北京」とはいっても一地方局に過ぎないので、今回の一件を北京電視台に押し付けてボロカスに言われるのはどうって事ないのだ。ましてや99%の中国人が知らない言葉である「お詫びします」という一言も出ている。「頭を下げる事が出来る文明国家じゃあないか!」という事も加えてアピール出来たのだ。

 これで中華料理のメンツ=国のメンツは保たれたのである。
 段ボール肉まんは国民に対する見せしめだと思うが、歴史ある偉大な中華料理で似たような事は実際にされている筈だ。

 アイツらにこういう事をさせたら世界一だな

 最初に書いたように、私は自称日中友好主義者である。
 親愛なる中華民族朋友の反論をお待ちしている。

京の都~何だこりゃ

 昨日は宵山。祇園祭です。久しぶりに私も行ってみました。昼間は雨にやられましたが、夜は止んで空気も涼しく、うだるような暑さの祇園祭しか知らない私にとっては恵みの雨でした。雨のせいか台風のせいか知りませんが人通りも多くなかったように思います。
 神戸に住んでおりますが京都に行くことはいまや年に数回。学生時代を通じて6年ほど過ごした街も変わりました。一言で言えば俗化してしまった。河原町通の丸善が撤退したのは知っていましたが、後にはビル丸ごとカラオケ屋が。東京で言えば神保町の三省堂が出てった後にカラオケ屋が入るようなもので、これを文化の退廃と言わずして何と言いましょうか。京都一の繁華街も今やパチンコ屋やカラオケ屋が幅を利かしており、街に魅力が無くなりました。千年の都も地に落ちてしまい、これでは内外の観光客もがっかりです。東山や洛北、嵐山あたりの観光地だけ見て帰っていただければ「やっぱり京都はいいなあ」となるのでしょうが。
 街の風景は変わるものだとは思いますが、かつて住んでた街のこのような変わりようは余り見たくないものです。

台風の上海航路

 台風がようやく近畿にも近づいてきたようで、外の風も強まっています。そう言えば、昔台風が近づいている東シナ海を上海航路で渡った事があります。

 天津航路や釜山航路はあまり揺れた記憶は無いのですが、外洋をいく上海航路は、ただでさえ揺れるのに台風の接近でとてつもない事に。船員でさえ甲板から吐いていましたから。360°海なので逃げ場が無いんですよねぇ。ひたすら船内で耐えるしかない。じっとしているだけで脂汗が出、どうにもならない状況を地獄と呼ばずして何と呼びましょうか。
 今日14日土曜日は予定なら上海を出る筈ですが、出航しているのでしょうか?国内航路と違って国際航路、特に中国船は気合の入り方が違うので神戸に向けて出航しているような気もします。

↓飛行機に飽きた方、パッカー時代の旅行を振り返りたい方は是非
http://www.fune.co.jp/chinjif/

イスラム国家の現在に思う

 今までにイスラム教の国は、パキスタン、イラン、トルコ、UAE、オマーン、エジプト、モロッコの7ヶ国に訪れました。中国の新疆にも行っているので、これを合わせると8ヶ国を訪れたようなものです。

 私、イスラム国家を旅行するのは好きです。何処に行っても「エキゾチック」という言葉が当てはまる。「Orient」という言葉は日本語に訳すと「東洋」となりますが、実際は欧州の人々がかつて考えたように、欧州から見て「東方」、つまり現在の中近東一帯をイメージした方が、雰囲気的には良さそうです。「エキゾチック」と「オリエント」は切り離せない関係にあるように思います。「オリエント急行」やクリスティの小説のイメージが強いからでしょうか。

 イスラム諸国はある意味日本とは対極的な位置に存在する国々と言ってよさそうです。トルコを除いては民族的衣装の人(特に女性だが、男性も帽子や体を大きく覆う服を着る事が多い。モロッコでは魔法使いのような頭巾とマントをかぶる人も見られる)が闊歩し、買い物は交渉制に依るところが大きく、一日5回、必ず響くアザーン(礼拝を促すモスクからの「歌声」)。国によって程度は異なりますが、宗教がこれ程までに生活に密着する世界は、日本ではまず考えられません。多少のずぶとい神経は要求されますが、慣れれば欧米やアジアを旅行するよりもよっぽども楽しい世界と言えるでしょう。

 残念なことに、昨今の情勢からイスラム世界は危険というレッテルがはられつつある状況にあります。テレビで流れるイスラム教徒はテロリストばかり。日本の報道だけみれば、何処に行っても危なっかしくてしょうがない。現在のイスラマバードや、パレスチナ、バグダッドの状況を見れば致し方ない面があるにせよ、どうも偏った情報ばかりが流れているように思えてなりません。アメリカやイギリスもヤバさでは変わらないと思うのですが。
  
 実は、かつてバグダッドに行こうと思った事があります。95年前後、湾岸戦争後のバグダッドはそれ程危険な街ではありませんでした。アメリカに気兼ねしたのか日本大使館がバグダッドを出てってしまったので、邦人保護が出来ないという理由で日本人はイラク入りをしないよう呼びかけていましたが、実際はフセイン独裁下で奇妙な安定感に保たれていました。その当時私はイスタンブールにおり、バスターミナルでバグダッド行のバスを確認し、イラクビザも簡単に取れる事を把握していたのですが、トルコ国内のクルド情勢悪化(当時無茶苦茶やばかった。泣く子も黙るPKKが大暴れ)でトルコ南東部に向かう事がためらわれ、結局行くのを断念しました。シリアのアレッポ経由(ここまではイスタンブールから国際列車があった)にすれば問題なかったのですが、シリアビザを取るのが面倒でもありました(こちらも大変手間がかかった)。今の状況を見るにつけ、重ね重ね残念でなりません。無理してでもシリアビザを取ってバグダッドに向かうべきでした。
 

「ウラル山脈のオベリスク」 ~「北京~モスクワ国際連絡 第3/4列車」

相方のウサ晴らしに「パイレーツオブカリビアン3」を見に行ってきました。結局この手のアクション映画は男のためにあるようなもの。まして海賊対東インド会社のアドベンチャーとなれば、燃えない男の方がおかしいってものです。
 単純と言われようとなんだろうと、この手の映画に心躍らない男を、私は男とは認めません。結局、より楽しんだのは私の方で相方は呆れて黙りこくっておりました。

管理人サイト「北京~モスクワ国際連絡 第3/4列車」のコラム「RW19雑記」に、「第2回 ウラル山脈のオベリスク」を掲載しました。欧亜を分けるオベリスクと、欧亜にまたがるロシアについての話です。
※有難い事に、「Wikipedia」の「シベリア鉄道」の項目に、篤志家の方の手により当サイトへのリンクを貼っていただけました。この場を借りて厚く御礼を申し上げます。

http://rw19.net/

いちいち書くのも面倒だが

 本当はこのような事で文章を書く事自体、つまり手を動かす事自体、力がもったいないのだが、一言だけ記す。
 他人に与えた痛みを忘れる事があっても自分達が受けた苦しみを忘れる事は無いと思っていたが、これ程までに物忘れが激しいというか、物事の判らない日本人がいるとは思わなかった。間違ってもユダヤ人はホロコーストを肯定しないし、中国人は南京事件を忘れない。ソ連の北海道侵攻などもっともらしい事を持ち出すな。少し歴史を学べば二発の原爆投下はアメリカの実験だった事が判るはずだ。
 敵国アメリカの「戦争早期終結の為」という論理を本気で真に受けているかどうかは判らない。が、防衛大臣だけは「仕方がない」などと最後まで言ってはいけない立場である事も判らないのであれば問題だ。仮に将軍様と戦争になって国土が荒らされても、「日本は核を持っていないから、相手の方が強かったからやられたのも仕方が無い」と国防の責任者が言えるのか。こんな無分別な老人に国防のかじ取りを任せていたかと思うと、恐ろしくて今すぐ日本から脱出したくなったぜ!
 ま、この人、全く反省していないのは、テレビに映る顔を見りゃ判るけどな。

 軽くなった本

 新書ブームです。
 つい10年程前は、岩波、中公、講談社で殆ど占められていた本屋の棚が、ありとあらゆる出版社の新書で色とりどりです。新書はある特定のテーマを掘り下げて世の中に提起する類の書物で、元々は大学の講義で収まっていた知識を大衆に開放する事を目的として刊行されたもののようです。私は講談社新書の一番後ろにある「刊行にあたって」という文を読むのが好きでして、これを読むと先人の意気込みを感じる事が出来、嬉しくなります。

 「教養は万人が身をもって養い創造すべきものであって、一部の専門家の占有物として、ただ一方的に人々の手もとに配布され伝達されうるものではありません。(後略)」
 
 前述のように本屋では新書が幅を利かせております。毎月あらゆるテーマであらゆる出版社から発刊され、ますます隆盛です。しかし、出てきた書物を見るとこれらの本が軽く感じられてしまうのです。理由はいくつかあります。

1)表題がパターン化している
 「どうして●●なのか」「●●なのは何故か」
 この手の疑問系表題が最近非常に多い。「さおだけ屋がつぶれないのは何故か」「女は男の何処を見ているか」
2)しかもこれら表題の内容がどうでもいいことである事が多い
3)内容が著者の日記風なものが多い

 教養の伝達が新書の目的とあれば、さおだけ屋で経済学を語り、何処を見ているかわからない女性を持ち出して心理学を語るのも一つの手段でしょう。しかし、裏をかえすとこのような身近な話題を表題に持ってくることが、現今とりあえず売れる本を作る最短の手段であり、またこのような内容を持ってこざるを得ない所に、読み手の質(現代人の質と置き換えてもよい)に問題がある事をあらわしているように思えるのです。確かにこれらの疑問形表題は一見とっつきやすそうですが、よく考えてみたら「考える必要」を最初から放棄させるような表題ではありませんか。最近出た「ピアノは何故黒いのか」という本を見て泣きたくなりました。黒でも白でも結構。だからどうしだんでしょう。ピアノの歴史とか著者がピアノを通じて知り合った人々とかを書いているらしいいんですけれど単にそれだけです。読んだ直後に内容を忘れていそうな気がします。暇つぶしに読むためだけの内容が多い。
 
 逆に新書の乱発行=トレンドで良くなったと思われる点は、ポリシーの伝達や評論が身近になった事です。本来ならハードカバーで出るような内容のものが新書で出ることにより、その主張を身近に得られる事が可能になりました。「美しい国へ」とか「国家の品格」など、中身の質はどうであれ主義主張を新書を使って世の中に提起しやすくなったのは、良い傾向だと思います。その分読者が書物に対する判断力、批評力を求められている訳ですけれども。

 まあ今時かつての岩波や講談社の表題が受けるとは思いませんが、この事は考える事を放棄した世の中を如実にあらわしているように思えてなりません。
 

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プロフィール

Mr.Problem

Author:Mr.Problem
東京移住。
職業:雲のジュウザ
根本思想:世界人民大団結万歳(笑)
多少、あちこちに行ってましたが、。結婚してからはめっきり諸外国へ出ることが少なくなりました。せめて一年に一度くらいは海外には出たい。元パッカーの習性で旅行は旗持ちではなくほぼ個人旅行。基本的には今世界で起こっていることについて思うところや、今まで行った街の印象を徒然に書いていきます。
みなさんが世の中について考える何かの助けになれば。

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