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朝から会話のレッスンですかそうですか

 天津駅で乗り込んだ日本国新幹線型中国版高速列車「パクリ号」は、定刻通りに天津を出発した。八戸新幹線と同じ形の車両である。と言っても日本では当新幹線に乗ったことが無いので比較は出来ないが、一つ間違いなく言えることは座席間隔が日本の新幹線と比べて著しく狭いことだ。やはりこの国の設計思想では人を詰め込むことが第一にくるのか。

 私の席は三列シートの窓側であったが、私の列では中年婦人が三席を二名で使用していた。一応「幾号您們的座位?」(あなた方の座席番号は何番ですか?)と丁寧に尋ねたが、ここは私達の席だと言ってニヤニヤ笑ってやがる。なおかつ小声で「コイツ日本人だ」と言うのを私は聞き逃さなかった。
 日本人と知られたからには強気でいかなくてはならぬ。私は窓側上等の者であるが、相手に対する最低限の礼儀はわきまえているつもりだ。特にこの国では「老(老人)、幼(子供、幼児)、病(病人)、残(障害者)、孕(妊婦)」という区分けがあり、これらの人々に対しては積極的に席を譲る風習が日本以上に強く、これらの人を目の前にして若者が座っていれば周囲から白い目で見られかねず、周りから注意される事もある。しかし相手は私より長生きしそうな中年婦人だ。日本人としてナメられてもいけない。この国でこのような時に遠慮するのは愚の骨頂。礼に反しない限り、権利を主張しなければ自分が馬鹿を見るだけだ。直接的な表現であったが「滾開。這是我的座位」(「どっか行けやコラ。そこは俺の席だ」の意。直接的すぎるので、本当は「滾開」は使わないほうがいいと思います)と言ったら、驚きながらも私の席を私に差し出した。その後もブツクサ言っているが、私も中国語は初心者レベルなので何を言っているのか分からない。まあこのような中年腐人達を全く気にかける必要は無い。
 京津鉄路はいたって快適。朝から中国語会話の勉強をさせてくれたので、心地良い疲れでずっと寝ていたけれど。起きるとちょうど豊台の操車場を過ぎたところ。列車は北京の中心に入ってくる。東便門のカーブを曲がりきると北京駅である。
 定刻通り、雨の北京が私を迎えてくれた。雨だけは余計であるが。
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T238次~南北横断特急

 本来なら先日の旅行のメインである京九特快の話をするべきなのですけれど、今しばらくお待ちください。

天津から北京に向かう私の乗る列車は、天津駅を朝7:47分に発車する。丁度この時間は各方面に向かう列車の発車が集中するようで、天津臨時駅の侯車室(待合室)は旅行客でごった換えしている。程なく唐山行と秦皇島行の改札が始まった。こちらは近距離列車である為か、中国の改札に付き物の大混乱は無い。そもそもの乗客少ないようだ。定刻通りなら、東北の吉林から来る浙江省寧波行の快速(急行列車)が入ってくる筈なのだけれど、駅の表示は「晩点未定」となっている。「晩点未定」とは、「遅れていて何時到着か全くもって不明です」の意。このような表示が出た時は運が無いと諦めるしかない。今はそれでもかつてと比べこの「晩点未定」に出会う事は少なくなった。それでも途中駅から乗る時にこのような表示に出会わない為には、なるべく長距離列車を外すことだ。もっとも大抵の列車が最低でも1,000kmを超えて走るので、まあ運に任せるしかない事が多いんだけれど。

 哈爾濱発広州東行T238次特快は、定刻を30分ほど遅れて天津駅に入ってきた。この列車は昨夜の19時過ぎに哈爾濱を出発し、東北の大地を突っ走って華北の地に乗り込んできた。哈爾濱から広州までと言うのは簡単だけれど、是非地図でその距離を確認して欲しい。広い中国を南北に横断するとてつもなく長距離を走る列車である。その走行距離は3,647km。稚内から東京経由で鹿児島に行く距離を余裕で超えてくる。日本で中国の列車が紹介される時は、上海と烏魯木斉を結ぶ列車か最近ならチベットへ向かう列車である。勿論これらの列車も魅力的だが、だだっ広い東北地方=かつては日本人が満州と呼んだ地域から、渤海湾を望み、山海関の万里の長城を越えて華北、黄河を渡り、中原をひた走り、長江を横断して洞庭湖のほとりを疾走、これらの地域に赤壁、汨羅があると言えば分かりやすいか。多くの革命家を生んだ湖南から南嶺山脈を越えると華南だ。風景も南国に変わる。椰子やシュロの木が見えてくると、暖かい地域に来たと実感する。広東一の大都会広州に入り、香港への入り口広州東駅に到着するのは、哈爾濱を出た翌々日の朝8時前。もし冬場なら、20℃程の広州から零下20℃程の哈爾濱と、列車に乗りながらにしてその気温差40℃を体感出来る。その魅力と厳しさは、シルクロードと中原を結ぶ列車に劣らない。
 天津駅で見たT238次は、哈爾濱鉄路局の看板列車では無いけれど、北の果てと南国を結ぶとても精悍な列車に見えた。北京や上海の車両は何処か垢抜けているように見え、広州や柳州の車は南の空気を背負って朗らかに見える。成都や烏魯木斉、太原の車両は何となく田舎臭い。呼和浩特や蘭州の車両はゴビ灘から黄土高原にかけての荒涼としたイメージか。鄭州や西安、武漢、済南の車は歴史を背負って誇らしい。昆明の車は如何にも出てきましたといった感じ。南昌の車両は何処にでもいるようなごく普通の青年。瀋陽の車は東北といっても緑の大地を走るイメージがあってまだ明るいのだが、哈爾濱の車だけは他の何処とも違う。
 東北の冬は恐ろしく厳しい。その厳しい寒さと自然の為か、哈爾濱の車は常に厳しさを背負って走っている。勿論東北にも夏はある。が、夏は何処の車両も走れるけれど、冬の酷寒の地は哈爾濱の車しか走れない。
 哈爾濱を出て南国広州に向かう列車は、他の地域で見る車両と持つ雰囲気が違う。それは、厳しい大地を背負って長駆南へ向かうプライドを、この列車に見てとれるからである。


T238次 天津臨時駅にて
T238次 哈爾濱→広州東 天津臨時駅にて

天津奇譚~何故この街に引き寄せられる?wao!

 旅行をしていると、行きたい気持ちは大きいのだが訪れる機会の無い街と、別に行くつもりは無いのだが不思議と訪れる街とがあります。私の場合は中国に訪れる事が多いので、彼の国を例にとりますと、前者が西安と南京、後者が香港と天津という事になります。
 今回の旅も含め北京を訪れること既に四回になりますが、北京首都空港から出入国を行った事がありません。別に飛行機を拒否している訳ではなく、飛行機で入りたかった事もあるのですが、どういう訳か全て陸路で出入りしています。出る時は四方に散っていますが、入る時は全て天津からです。

<初回>
船で天津新港。天津市内を通り抜けてその日の内にバスにて北京へ。

<二回目>
船で天津新港。この時は天津で一泊。翌日天津駅前からバスで北京へ。

<三回目>
飛行機で天津濱海空港。張貴庄より天津へ。天津駅から列車で北京へ。

<今回>
列車で天津臨時駅へ早朝着。滞在時間一時間。列車で北京へ。

 まあこんな感じです。初回と二回目は長期旅行だったので金も無く、神戸から船でした。三回目は北京へ直接入りたかったのですが、仁川からの北京便に接続不可。仕方無しの天津便選択。今回は北京行がまさかの列車満席で、天津に送られてきました。

 天津は四大直轄都市でありますが、多くの日本人観光客にとってはあまり縁の無い都市のようです。実際有名な見所がそんなにある訳ではなく、私が旅行中に北京から日帰り旅行をするとしても、天津という選択肢は多分ありません(多分承徳や山海関などに行くと思う)。が、旅の途中にもし寄る機会があれば、特に近現代の中国史に興味がある方なら感慨深いかもしれません。紫禁城を追われた溥儀は天津の日本領事館に一旦匿われ、秘密裏に日本の勢力化にあった関東州大連に向かいました。日本が溥儀を利用して満州に権益を求めたのは事実ですが、来津前後に溥儀が日本を利用して清朝復興を企図したのも事実。また、若き周恩来は天津の南開中学(現「南開大学」)で学びました。
(「津」は天津の略称。ちなみに他の直轄市である北京は「京」、上海は「滬」、重慶は「渝」です)
天津甘栗が天津に無いのは知られている所ですが、包子(肉まん)の名店として有名な「狗不理」は、ここ天津が地元です。
実際、地理的感覚でいけば天津も北京も似たようなものですし、列車で今や一時間半程で結ばれていますから、北京と比べて少し落ち着いた(悪く言えば田舎くさい)天津で一息つくのも悪くないかもしれません。
私は今回先を急いだので一瞬の滞在でしたが、一度時間を取ってゆっくりしてみるのもいいかなあと思っています。

でも一度でいいから北京に直接入ってみたいかも。

天津から北京まで乗った列車は、この4月より走り始めた高速列車。日本の八戸新幹線の車両そのままです。何故なら、日本のメーカーの技術供与で造ったから。にも関わらず、中国では「国産」という事になっています。事実は完全な「パクリ上等」です。「ディズ似ーランド」石景山遊楽園並。天津臨時駅の售票員の対応も文明国家では考えられないもの。北京原人だけでなく「天津原人」も居たのか。

售完(売り切れ)

售票員「去哪里?」(何処まで?)
私「北京」(北京まで)
售票員「今天的?」(今日の列車?)
私「是」(その通り)
售票員「110次的硬座有」(110列車の硬座なら空いてるよ)
ちょっと待て。今硬座と言ったのか?しかも特快じゃないか。
私「有没有直達特快的軟臥?」(直達の軟臥は有るか?)
售票員「没有」(無い)
没有だぁ?今没有と言ったのか?
確かに切符残席案内の表示にも「售完」とある。

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昔よく世話になった「没有」という言葉に久しぶりに巡り合った。中国に来て「ニイハオ」の次に覚える言葉が「没有(メイヨー)」だった。勿論「謝謝」よりも圧倒的に接する機会は多い。

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上海→北京は中国で最高の設備を誇り160km/hで疾走する直達という列車が毎日5本走っている。食堂車を含めて概ね17~18両編成。主に軟臥で編成されるので、値段も超一流だ。当然貧しい大多数の大衆は乗車する事を拒否されている。この列車は上海→北京1463kmを11時間半で走る。この直達の後に特快が2本。これは軟臥、硬臥、硬座、食堂車で編成されるが、軟臥の値段は直達と同じ。が、硬席が連結されているので、直達に乗れない民がこの列車にまわってくる。所要は概ね13時間。この列車にも乗れない人々の為に普快という列車があり、これは空調設備無しの準急列車で23時間かかる。当然安いので、普快が最も混んでいる。いくら1500km近い距離があると言っても12時間も所要時間が異なるのは不思議でならないが、中国の列車が「階級酷鉄」と呼ばれても仕方が無いのはこの為だ。
 售票員は特快の硬座を勧めてきた。軟臥だけで一日2500寝台はある筈なのだが、それが満席とは。しかも特快の寝台も没有。昔と違い今は「無い」と言われたら本当に無い。文明国の軟弱旅行者は特快といえども夜行硬座(席はほぼ垂直)で13時間も乗れません。あなた方とは体のつくりが違うのです。北京にこだわるのであれば、浙江寧波から内蒙古包頭まで2600km走る夜行快速(急行に相当)が今すぐに出るので、これの硬臥を売ってもいいと言われたが、北京までは時間がかかり過ぎる(17時間)。
 確かに軒並み北行の列車は「售完」ばかりだ。
 完全に中国酷鉄をナメた自分が悪いと言えば悪いのだが、軟臥ばかりが2500も用意されているとなれば、いくら中国の所得水準が上がったといえども一つ位空いていると思うのが普通じゃないか。どうしても明日には北京に到着していなければいけない。四の五の言っていられない。

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結果から言うと、私は北に向けてその晩出発する事が出来たのである。天津臨時駅行直達の軟臥が僅かながら残っていたのだ。上段であったが。この列車、硬臥もつながっていたが、夜乗車した時には満席だった。
上海→天津 Z42次。20:02発 6:36着
この列車の食堂車で食べた夕飯は最高に美味しかった。今までの食堂車の中で最も味も量も接客も良かった事を付け加えておく。

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没有に怒った私は、すぐに出る列車の硬座で蘇州に向かった。在蘇州一時間ほどで帰ってきたけれど。
(北京西→九龍の話「人間をやめた北京駅售票員」へ続く)

上海発九龍行(何故か北京経由)」

 ようやくやってきたぜ!
 2007年中国鉄道旅行三部作の第二部「上海発九龍行(何故か北京経由)」を実行する時が目の前に迫ってきた。8月を仕事に捧げた私の夏休みは、当たり前のように大陸へ渡るものだ。
 行程は以下の通りである。

●第一日
関西空港→上海浦東。空港に着いたその足で上海站へ。晩の直達特快で北京へ向かって爆走。切符は現地調達。
●第二日
北京を訪れるのは確か4回目か5回目になるかと思うが、何故か行った事のない天壇公園へ。勿論翌日の九龍行を手配する。
●第三日
アジア一狂った駅舎を持つ北京西站から、京九特快T97次。この列車、「監禁特快」としても有名。京広線を一路南へ突っ走る。黄河と長江にまとめて再会のご挨拶だ。
●第四日
広州を過ぎ、羅湖口岸を抜けて香港入境。今回は久しぶりにビクトリアピークでも登ってみるか。
●第五日
買い物モード。飛行機は夕方16時過ぎ。朝から予定びっしり。

まあこんなところである。上海から乗る直達特快は、軟臥で編成された(一部列車は軟座あり)一般大衆排除の中国的看板夜行為上流階級列車。上海→北京1463kmを11時間半で突っ走る。こいつは速いぜ!この直特が毎日五本。これに加えて特快が二本走っているので、列車と寝台さえ選ばなければ、当日購入も時期的に問題無い。
 京九特快は、華々しいデビューだったけれど、今では何故運行しているのか意味不明な列車である。つい最近まで陸の王者であった中国鉄道も、漢民族の極端さがもたらした急激な格安航空券市場の隆盛により、少なくとも大都市間の移動では料金もスピードも本数も飛行機に太刀打ち出来ない。それでも時間を有効につかえる北京~上海はともかく、距離が2000kmを超えてくる北京~華南ではどう考えても飛行機を選んだほうが賢い。北京~香港は国際線扱いだから高いが、北京~深センを飛行機で移動して香港に入るのなら、列車で行く意味は全く無いのだ。しかも上海~九龍間列車との隔日運行である。私がわざわざこの間を列車で行くのは、私が物好きに他ならないからである。
 「列車があるのにわざわざ飛行機を使う必要は無いっ。」
またこの列車、北京西站で出国審査を受けるので、途中停車駅の鄭州、武昌、長沙では駅のホームにさえも降りられない。編成を分割する広州東で初めてホームに降りられる、文字通り監禁列車なのだ。
 「こんな列車に乗って何が楽しいの?」
 「こんな乗客無視の列車だから楽しいんじゃないか」

 実働4日で移動距離約3800km。さあ今回も大陸を爆走だ!

天保山渡船

 大阪の街は水の都と言われ、その昔「八百八橋」と言われるくらいの橋があった、つまり水路が縦横を走っていたとの事ですが、今では交差点に「~橋」との名前が数多く見られるのがその名残を示すくらいで、殆どその名残はありません。今でもポスターなどに「水都」と称される大阪ですが、この事を唯一と言っていいくらい表しているのが「渡船」です。
 渡船とは多分大阪独特のものです。やってることは文字通り渡し舟であり、何処かの観光地などに行けば一箇所くらいは観光用としてありそうですが、大阪の渡船は全くの地元用で、観光用ではありません。要は川の橋代わりに存在する存在するもので、乗っている人は通勤とか町の移動に橋を渡る感覚で使う人達ばかり。かつては市内に31箇所あったそうですが、橋やトンネルの開通などで今では8箇所で運行が続けられています。
 運行は大阪市の市営です。市営といっても不思議と公共交通機関としての扱いではなく、つまりバスや地下鉄を運行する交通局の管轄ではなくて、建設局や港湾局の管轄となっています。なぜなら、この渡船、扱い上は「道路の一部」であるからで、よって乗船代は「タダ」です。公共の乗り物に乗って運賃がタダというのは、日本全国見渡してもここだけではないでしょうか?少し前に有料化の動きがあったようで、しかも昨今の燃油の値上がりによって現実になりそうだったのですが、「道路の一部」という決まりによって、有料化は出来ないとの結論になったそうです。もっともこの決まりは大正時代に出来たものらしく、それが今でもいきているのも意外です。
 私、先日その渡船の一つである天保山渡船に乗ってきました。日本一低い山である天保山から、対岸の桜島まで400m程。香港に行った事のある方なら、スターフェリーの小型版だと思っていただいたら宜しい。安治川を時間にして3分程の「クルーズ」ですが、それなりに趣があって良いです。乗っているのは地元の人ばかりでした。桜島渡船場から徒歩で10分程のところにJR桜島駅があります。ユニバーサルスタジオジャパンの裏手になります。天保山の海遊館裏からUSJまでも船が出ているようですが、勿論こちらは有料。
 関西であちこち行き尽くした方や変わった大阪歩きをしたい方にはおすすめです。是非海遊館やUSJに行ったついでにでも、訪れていただきたいです。

夢のトランク

 思いますに、近代ツーリズムの興隆と発展には3つの要素が存在したのではないでしょうか。西洋に於いての旅行は長らく巡礼か商売の形をとっておりましたところ、19世紀になって異文化を見聞するという概念が生まれました。西洋に於いての異文化とはイスラム世界=東方世界=今の中近東に他なりません。19世紀後半にこれらの地域を訪れる事が西洋の上流社会で流行りだすのですが、流行を後押しするものとして同時期発展したのが、「団体旅行」という形態を発明したイギリスのトーマスクック社、ベルギー人の青年が失恋を契機として起こすに至った「国際寝台会社(ワゴン=リ)」と看板列車であるオリエント急行、そしてフランス人の皮職人ルイ=ヴィトンが作った旅行カバン(トランク)。つまりトーマスクック社の手配でオリエント急行に乗って東方に旅行に出る。家をそのまま持っていくような膨大な衣類は、軽くて持ち運びがしやすいヴィトンのカバンに詰めて、というスタイルです。

 私、ヴィトンの製品は何一つ持っておりませんし、財布やバッグなどを欲しいとは思わないのですが、この歴史あるトランクだけは欲しいと思っております。
 ヴィトンとはそもそもトランクなのです。「L」と「V」のモノグラムはそもそもトランクの為にあるのです。私の鉄道旅行の夢はシンプロン=オリエント急行に乗ることですが、このロンドン~ヴェネチアを3~40万円もする列車に乗る為には、ぜひともヴィトンのトランクが必要です。ええ必要ですが何か。

 ヴィトンはその生産を一括で行う事で知られますが、世のブランドが全てはこのような生産方式をとる訳ではありません。日本で知られたブランドはライセンスを付与して現地生産を行う事も多い。バーバリーなどはその代表で、百貨店の財布売り場で売っているのはこの形態が多い。ヴィトンをヴィトン足らしめるのはこの一括生産とそこで保障される確かな技術力です。決して「みんなが持っている高価なブランド」がその価値を生み出している訳ではありません。

 こんな訳で、私の人生目標の一つにヴィトンのトランクを手に入れる事があるのですが、親が聞いたら発狂しそうです。50万円ものお金をカバン一つにかけられるステータスが、私に果たしてやってくるのでしょうか?

韓国人の解放

先日、ようやくアフガニンスタンで韓国人の人質が解放されました。報道によれば、韓国内ではこのグループに対し、解放に要した費用を請求せよ、との声が高まっているとの事です。
 国家が自国民の行動に対しどれだけの責任を負うか、というのは、極めて難しい問題です。韓国政府は国民に対しアフガニスタンへ渡航しないように求めていたそうですが、今回の宗教団体はボランティア活動としてアフガンに渡航していたところを拉致されました。「危険だ」と警告してたのにも関わらず、言わば勝手に行動を起こたグループに国費を使うのは怪しからんというのが、大方の論調のようです。
 日本でも同様の事件がありました。イラクでの3人組拉致事件です。一人は自称ジャーナリスト、一人はストリートチルドレンへの活動家、一人は北海道の活動的青年であったかと覚えています。この時も同じような論調が日本にて起こりました。曰く勝手に危険な場所へ訪れる者の面倒を見る必要は無い、国の警告を無視した人間などほっとけ、等々。この時日本政府は救出に向かいましたが、確か安倍当時幹事長現総理は「危険なところにわざわざ足を運ぶのは勘弁してくれ」みたいな事を言っておりました。結果的に無事に救出されたものの、国はこの三人に対して帰国費用を請求しております。
 今回の韓国の件は日本のイラク人質事件と同じです。今の韓国と同様に当時の日本では自己責任論が大流行しました。

 先年のイラクの件(ただし北海道の青年と女性)について、その行動を非難するつもりは、私としてはありません。国の勧告を無視して危険な場所に行った事それ自体は、彼らの目的が報道の通り事実であったのなら、立派であったとさえ思っています。ですから単純な自己責任論には、私は組しない。但し拉致されたのは個人の責任であったと言わざるを得ません。家族が拉致グループの要求であった自衛隊撤退を求めていましたが、これは筋違いです(※)。自衛隊が派遣されていたから拉致されたのではなく、危険だとわかっていた場所に行ったから拉致されたのであり、結果的に自衛隊撤退が要求されただけの事で、「国策」と「彼らの行動と拉致」が結びつけられるのは、ちょっと身勝手であるように思います。またイラクの三人にしろ韓国の宗教団体にしろ、明らかに危険だとわかっている所に確信犯的に行くのであれば、万一の際の救助は予め断ってから行くべきです。自身の信念とそれに派生する行動とは他人に迷惑をかけない事で初めてその正当性を持つ事が出来るからです。
 とはいうものの、とりあえず海外での邦人保護は国家の仕事として一応存在しますので、問題発生時は何らかの救出活動は行われます。が、結果的に救出費用を請求されても、自らの自発的行動が引き起こした問題であるなら、文句は言えないでしょう。
 ボランティアや人助けなどの理由なら、どんどんあちこちに行ってもらって結構。しかし、その行動への責任は付いて周ると思うし、それは国家といえども担保するものでも無くまたそうする必要も無いと思うのですが如何でしょうか?特にボランティアは、他の利害干渉を受ける事なく独立した個人の自発的行動によって起こされるものですから。問題発生時には国は最大限の努力はするべきですが、かといってボランティア自身の行動には理屈の上でも責任を持てないのではないでしょうか。

※自衛隊派遣について
 派遣自体は、私は反対です。現地の人にも大して感謝されず、いまだに何のために行ったのかわかりません。が、自衛隊派遣が引き起こした拉致ではなく、派遣と拉致は別個の問題として考えるべきと、私は主張します。

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プロフィール

Mr.Problem

Author:Mr.Problem
東京移住。
職業:雲のジュウザ
根本思想:世界人民大団結万歳(笑)
多少、あちこちに行ってましたが、。結婚してからはめっきり諸外国へ出ることが少なくなりました。せめて一年に一度くらいは海外には出たい。元パッカーの習性で旅行は旗持ちではなくほぼ個人旅行。基本的には今世界で起こっていることについて思うところや、今まで行った街の印象を徒然に書いていきます。
みなさんが世の中について考える何かの助けになれば。

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