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T164/165次 上海→拉薩~第三日 可可西里平原と乗警給仕の食堂車

崑崙山脈を越えた我T165次は、「可可西里」という天上の大平原に入った。見渡す限りの野原、と言っても標高4,500m前後の凍土地帯であり、己の国が引き起こす地球温暖化によって走る線路の路盤が既に危険にさらされているのではないか、という一帯である。ここは中国の一大自然保護区となっており、窓から見えるヤクの群れやガゼルの群れは、この路線の一つも見所だ。案内書「天空列車」ではさらっと流しているが、香港の出版社が出している「青蔵鉄路」には、この動物達を密猟から守ろうとして命を落とした人物の話が詳しく書いてある。不凍泉駅は標高4,611m。ところどころ見える川は凍っているのだが、多分凍らない泉がこの辺りにあるのだろう。ここから自然保護区を守るために造られた橋である「清水河特大橋」。長さ11.7km。この橋の下をガゼルやヤクが自由に通りに抜けできるとのことだが、生態系を維持し自然を保護する為に最も良いことは、この線路を造らないことだった。
 最初は動物の群れを見て歓声をあげ、バシャバシャ写真を撮っていた中国人旅行客もすぐに飽きたのか、コンパートメントに篭って寝てしまっている。
 11時半すぎ、風火山隧道。ここは世界で最も高い所にあるところで、標高4,905m。おっと、僅かに5,000mに届かないか。

 昼食を食べに食堂車へ。何処かの華巣がトイレの窓を開けっぱなしにしていたお陰で、公称「平地の8割」の空気が薄くなっている。頭痛が出てきた。

 食堂車では、乗警や列車員が集まってテレビを見ている。ジャッキーチェンのビデオらしい。煙草をスパスパやっている華畜集団で人間でいる資格が無い。この列車は中国自慢の観光列車で、最高の乗務員で編成されているんでは無かったのか。食堂車の服務員は昼寝中。注文取り、料理の給仕は乗警がやってくれた。警察官に食事を給仕されるなんてありえねぇ。
この食事の途中で沱沱河に到達した。

疲れたので今夜はここまで....すみません。散々前置きをした割に、河の話までたどりつきませんでした。

可可西里の青蔵公路を走るトラック
可可西里の青蔵公路を走るトラック

可可西里の動物の群れと崑崙山脈
可可西里の動物の群れと崑崙山脈

地上最高地点での食事
地上最高地点での食事
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国連決議に思う-死刑執行は遺族の意思で行え

 旅行記をずらずらと並べております。政治ネタ等も書こうと思えば書けたのですが、国のドタバタを評論するには時間が貴重過ぎたので、旅物語を連ねてまいりました。本日続きを書こうと思ったのですが、自分としては避けて通れない話題が舞い込んできましたので、久しぶりに別の話題で文を進めてみようと思います。

「国連、死刑執行停止決議を大差採択・・・・存続国に圧力」

日本は勿論存続国です。
日本人の死に対する考え方については、今年の5月に一度書きました。一応もう一度書きますが、日本人は「死ぬ」という言葉に一定の美学とけじめをつけたがります。「死して詫びるべし」。賛否両論はあるでしょうが、多くの日本人にとっては「そういう感覚も理解できるが」、といった考え方は多少なりとも理解できるのでは無いかと思います。

 死刑判決を下すのは司法府、つまり裁判所で、執行命令を出すのは行政府、つまり法務大臣です。先ごろ、現法相が「判決後、法相の命令を待たないでも死刑が自動的に執行されれば良いのに」と発言をしました。また、かつて信仰する仏教の教義上、執行命令を拒否した法相もいました。
 現法相の話は論外です。法に関する行政府の長が自身の職務を否定する発言はするべきでない。「単に嫌なだけじゃないか」と捉えられても仕方が無いです。また、僧籍の法相の発言ですが、ごもっともな発言だしその意味は十二分に理解する事は出来ますが、法相としては問題発言です。どちらの方も、執行命令にサインできない、もしくはしたくないのであれば、法相の職務それ自体を受けるべきでは無い、というのが自然ではないでしょうか。

日本の国論でいきますと存続論の方が多いです。これからも減らないでしょう。何故なら、死刑がある種の敵討ちと捉えられているから。日本人は敵討ちという殺人に、古くから「あっぱれ」という感情を添えてきました。日本一有名な敵討ちである「忠臣蔵」や、曽我兄弟の話、冷静に考えれば結構乱暴な話なですけれど、歌舞伎の例をはじめとしてこの国では「お見事」という言葉で語られる事が許容されるのを考えれば明らかです。

死刑を選択又は望む人々が実際に執行する事は無いのです。判決を下す裁判官は、「法にのっとって粛々と」と言いますが、また法相も「法にのっとって粛々と」執行命令を出しますが、別に自分達が執行する訳ではない。実際に執り行うのは全くの第三者である刑務所の刑務官です。刑務官は一体どのような気持ちで死刑囚を迎え、刑場に送り、執行のボタンを押すのか。

そのような訳で私は一つの提案をしたい。
死刑とは殆どの場合に複数人以上の殺人を犯した者に対してのみ判決が下ります。多くの場合、被害者の遺族はその判決を望んでおります。死刑が国家権力による合法的な敵討ちの側面を持つのならば、執行命令、及び執行そのものを、被害者の遺族に委ねるべし。これを遺族に二重の苦しみを与えるというのは少し違うのではないかと思います。当事者(遺族)が本当の意味で死刑の是非を考える機会を与えるべきです。執行だけ刑務官にさせるというのであれば、それが刑務官の仕事とはいえども、人殺しを強要することと同じです。先ほどの法相のロジックと同様に、「それがお前の仕事なんだからやれ」と言えますか?ならば刑務官は法相と同じ分だけの給料をもらうべきです。法相の仕事は執行命令だけでは無いという声もあるかもしれませんが、死刑を執行する、という事以上に厳粛で重大な仕事が世の中にあるでしょうか?

そうなった場合、つまり遺族に執行権利や執行義務を委ねた場合、どれだけの人々が死刑判決を支持するでしょうか。

それでも死刑を存続すべし、という声が国論として大きいのであれば、日本国は自信を持って国連決議に反論を唱えるべきです。

T164/165次 上海→拉薩~第三日 太公望出てこい!崑崙山越え

景色が売り物の場所に行って景色が見えないというのは、残念という言葉では形容が出来ない程の事です。こればかりは運が支配するので、致し方がありません。が、もしあなたが青海~チベットの絶景をご覧になりたいというのであれば、是非とも秋に訪れるべきです。シーズンは春から夏で、大地も緑に染まって美しい景色ではありますが、肝心の天気は曇りがち、それも相当な確率で雲にやられます。景色が見られないチベット鉄道は、荒涼とした大地を走る寂しい列車となります。時間とお金をかけてせっかく景色を見に行くのですから、晴天確率は何よりも大事です。
秋から冬にかけての時期に訪れましょう。

6,000m級の山々を愛でながら高地を走る青蔵鉄道は、高地であるに加えて幾つかの峠を越える。中国語で峠は「山口」(シャンコウ)。ゴルムドを出て最初に出会う「山口」は「南山口」であるが、どうしてここを「峠」というのか判らない。ひょっとしたら「南山」の「入り口」の意味かもしれないが、由縁を知る由も無い。

本格的な峠越えは「崑崙山口」から始まる。日本語にしたら、崑崙峠越えですな。これが超弩級の峠越えで、これ自体がこの路線の一つの見所である。
南山口(海抜3,080m)を過ぎた列車は荒涼とした大地の中を進み、納赤台(海抜3,575m)の先で三岔河特大橋を渡る。この橋、路線上で最も高い橋脚の橋ということで高さ52mらしいのだが、ああそうですか、で終わった。この橋を越えて、前方に雪山が見えてきた。
小南川(海抜3,822m)で、本格的な雪山ビュー。簡単に3,800mと書いているが、既に富士山よりも高いところにいるのですよ。富士山て結構高いです。新幹線で富士川あたりから「富士山を見る」は、まさに「仰ぎ見る」。その富士山よりも高いところをまだまだ登っていくのです。

このあたりで左に見えるのが玉珠峰。崑崙山脈の秀峰で、非常に綺麗な山だ。その名を冠した玉珠峰駅(海抜4,195m)は一気に通過するが、左に山を見ながらの車窓は絶景である。
崑崙山脈は古くから書物に書かれた山で、神々が住む山として描かれる事が多い。日本でこの山脈を知らしめたのは、週刊少年ジャンプに連載されていたマンガ「封神演義」であろう。このマンガ、原作とは似ても似つかなくて愕然としたが、この中で崑崙山脈は重要な位置を占めている。こう書くと中国の中心部(漢民族生息地域)の近くにあるように見えるが、実際は3,000km程の山脈で、西はインドの方まで続いているとてつもなく長い山脈なのだ。
3,000kmとか平気で書いているが、本当はアホみたいに長い。中国を旅していると、列車が1,000kmとか2,000kmを平気で走るので感覚がマヒしてしまう。今回上海発拉薩行とかに乗っているけれど、この列車だって4,400km弱を走る中国で2番目の長距離列車であるし。東京から鹿児島を往復して更に札幌まで走る位の長さなのだから、冷静になって考えてみれば、飛行機に乗りなさいよアンタという距離なのだ。

昔はこのような長距離というだけで楽しんでいた時期もあったが、最近は「長さ」には楽しみを見出さなくなってきたような気がする。こないだも書いたように、今回上海発を選んだのはたまたまだったのだし、人並みに「飛行機って楽だな」くらいは思うようになってきた。が、ここで普通の人たちに迎合していては、線路の上で寝起きしてきた者、列車寝台を家代わりにしてきた者としての誇りが廃る。はい、まだまだ乗り足りませんが何か。

名前がそのものの「望昆」(海抜4,484m)を過ぎて大きくカーブすると、列車は「崑崙山隧道」に突入。周りはまだ絶景が続いています。上高地や黒部源流から槍ヶ岳まで線路が走っているとしてもこれだけの迫力は望めないでしょう。分かってもらえますか?
世界最長の凍土を貫くトンネルとの事ですが、世界中で凍土の上にどれだけの鉄道が走っているのですか?シベリアの北の方くらいしか思い浮かびませんが。でもまあ、崑崙山脈を貫くトンネルと考えれば、なかなか感慨深いものがある。
このトンネルを抜けると、右手側に「崑崙山口」の記念碑が建っており、ここを過ぎると「可可西里」地区に入る。

次回は「可可西里」と長江源流の「沱沱河」のお話

玉珠峰
玉珠峰

望昆駅
望昆駅

何処までも蒼い空
海抜が一層空を蒼くする

崑崙山口記念碑
青蔵公路沿いの崑崙山口記念碑

T164/165次 上海→拉薩~第三日 お待たせしました。高地の旅の始まりです。

さて、そろそろ佳境に入ってきましたよ。

西寧を出てからはすぐにコンパートメントの明かりを消した。硬臥は車両ごと強制消灯になり、列車から強制的に「寝ろ」と命令されるが、軟臥は完全コンパートメントなので、消灯時刻は自由である。だから、同一グループのみで部屋を押えられれば良いが、見知らぬ人同士で一部屋を構成すると、気遣いが必要になる。大体あうんの呼吸で「じゃあそろそろ寝ますか」となる事が多いのだけれど。
夜半、窓から見る夜景は、当然の事ながら満点の星である。列車はΩカーブを繰り返しながら進むので、相当の勾配を上っているのがわかるが、外には何もない。わずかにところどころに明かりが見えるので、家(テントかも)はあるのだろう。

朝7時過ぎ、第九番目の駅、格爾木(ゴルムド)着。かつてのチベットへの中継地点だ。街自体の歴史は新しく、共産中国が成立してから造られた街。拉薩までの鉄道が通るまでは、旅客列車はここまでで、ここからバスでチベットに向かった。勿論今でもバスはあるが、後で拉薩でチベット人ガイドに聞いたところでは、圧倒的に列車で来る人の方が多く、拉薩へ直接入る旅行者がバスで来ることは殆ど無くなったそうだ。このゴルムドからがこの列車の本領である。
機関車を付け替え、いざ山越えに入る。機関車はアメリカ製のNJ2型の重連。ゴルムドの標高は2,828m。次の南山口(通過駅 標高3,080m)までが線路が通じていたところで、ここから先が新しく造られたところ。荒涼とした大地を快調なペースで上っていく。南山口を過ぎてようやく太陽が出てきた。

ゴルムドを出ると、列車内での喫煙は禁止となる。ここから先は空気が薄い為に車内の気圧と酸素濃度を一定に保たなくてはいけないからで、この列車にはそのような機能が備わっている。中国では列車での喫煙はデッキですることになっており、喫煙率は異常に高い人々であるけれども、この決まりは概ね守られている。昔は座席は勿論のこと寝台であっても車内でスパスパやっていたけれど、今は特に快速以上の列車では、寝台部分及び通路部分、また硬座であっても煙草を吸う人間は全くといっていい程いない。唯一座って煙草が吸えるのは食堂車ということになるが、前述の通り本来食堂車も禁煙だ。誰も守っていないが。
中国人の男性は異常に喫煙率が高く、完全禁煙だと不都合に思う者達も出てくる。ましてやゴルムド~拉薩間は14時間ほどかかるので、当然我慢できない場合もある。そのような輩がデッキで隠れて吸ったり、トイレに籠もったりするのだからタチが悪い。デッキでの喫煙は列車員に見つかればすぐに注意されるが、トイレに籠もってしまえば窓が開くので、ここが喫煙場となる。
 これを彼のチベット鉄道案内書「天空列車」では、「乗客どころが鉄道警察官(乗警という)までもが煙草を吸っており」、「大陸ならではのおおらかさといったところか」などと書いているが、ふざけちゃいけない。どうしてコイツらを「非文明的で民度の低い華巣集団」と書かない。密閉した空間を汚す輩を「おおらかさ」と片付けてどうする。中国人でさえこれらの行為を「野蛮」と言ってたのだ。また、窓を開けて薄い外気を取り入れるなど大した行為だ。車内の酸素濃度は平地の80%に保たれるようになっているが、これでも酸素不足で頭痛吐き気の高山病初期症状を訴える人々はいる。華巣に付き合ってしんどい思いをするなんてゴメンだぜ!しかし、そこは軟臥。乗客の方々はみな一定以上の人達ばかりでデッキを含む車両で煙草をやっている人は皆無で気分良く旅が出来た。硬臥はいたが。高いお金は払ってみるものだ。

次回は最初の峠越えである崑崙山脈を紹介する。

k917.jpg
ゴルムド駅のK917次 蘭州発拉薩行

nanshankou.jpg
南山口付近の岩山

nanshankou2.jpg
こりゃ、天気を期待していいですか?

T164/165次 上海→拉薩~第二日 蔵族登場の西寧

20時42分、定刻より1時間と少し遅れて西寧に到着した。

多くの日本の方々にとって西寧と聞いて浮かぶことは「西寧ってどこよ?」という言葉だろう。西寧は青海省の省会。中国旅行で西寧を訪れるのは、唯一チベットへ向かう時だけだろう。そりゃ中には青海湖に行きたいとか思う方もおられるかもしれないが、普通に旅行している分には存在感の薄い街である。街の規模も小さく、列車が到着する10分前と10分後で、街の明かりが消えてしまったくらい。ウィキペディアによれば人口は200万人を超えるとの事だが、よほど市の面積が広いんじゃないか。前漢の名将霍去病が最初に拠点を置いたらしいから、街そのものの歴史はあるのだろうけれど、チベット系やモンゴル系民族に支配された期間が長い...と、歴史の勉強はここまで。

青海省は概ねその北半分に草原が広がり、美しいといえば美しい省なのだが、中国の核実験場がかつて存在し、青海湖には魚雷発射実験場もあった。それだけ何もないと言えばそれまでだけど、軍事的にはキナ臭い雰囲気が無いでもない。美しい景色の裏側にブラックな顔がちらほら見えるんですよ。人が少ないからお得意のやりたい放題なんですな(DQN)。

拉薩へ向かう列車は、北京、上海、広州、成都、重慶、蘭州とここ西寧から出発する。この内、毎日運行は北京線のT27/T28次のみ。他は、上海と広州、成都と重慶、蘭州と西寧がペアになって、交互に隔日で運行している。今回私達は上海線を選んだが、私としてはどうしても上海発に乗りたかった訳ではない。北京でも広州でも成都でも重慶でも良かったのだが、個人的な「つて」と手数料が最も安価な事もあって、上海線を選んだ。日本からのパッケージツアーは、主に西寧線を利用する。西寧からは拉薩まで25時間。一泊二日の行程であり、ルートとして組むには最適だからだ。よって、チベット鉄道の内、最も混雑するのがこの西寧~拉薩を結ぶ列車であり、西寧は一日4本拉薩行があるのにも関わらず最も席や寝台が取り難く、ダフ屋や黒社会が大活躍する場所となっている。必ずしも本数が多く、チベットに近いからといって、金銭的に得するというか正常な金額で切符が手に入る訳ではない。北京や成都等から、一気に拉薩へ向かう方が、良い場合もあるのだ。

我がT165次は、西寧を境に別の列車に変わった。いくらラサ行チベット鉄道=観光列車で、中国は人が余っていると言っても、オフの11月にそうそう観光客などいるものではない。実際、上海発の時点で軟臥や硬臥には空きがあったし、硬座は4両の内の1両は乗客ゼロで従業員の昼寝場&雑談スペースつまりはサボリ場と化す位だった。もっとも軟臥に空きがあったのは、我々のコンパートメントだけ。本当は3人で行くつもりでコンパートメントの3つの寝台を押さえたのだが、直前になって1名がキャンセルをしたので、2名になった。よって我々の部屋の上段寝台2つに空きが出来たのだ。でなければ、定員32名の内31名分の寝台は埋まっていたことになる。実際硬座では途中の大都市で降りる乗客も多く、普通の長距離列車と雰囲気は変わらない。さすがに寝台は販売制限をかけており、最低でも西寧以遠の乗客にしか寝台販売を行わない事になっていたようだったが、軟臥も硬臥も西寧で大量の乗客が降りた。よって西寧以西は、寝台に相当数の空きがあったのだ。これに対し、硬座は西寧で満席になった。当然華巣野郎の集まりであった従業員専用車両も本来の目的に開放された。西寧で、大量のチベット族の乗客達が乗車してきたのだ。
 それまでの行程ではチベット族を見かけることはあまり無かった。特に軟硬共に寝台には一人も乗っていない。本当にチベット行かと思ったくらいだが、西寧でこの列車もようやく本性を表した。民族衣装や日焼けした顔は明らかに漢民族と違う。みんな硬座での旅路だ。これだけ空きがあるので、西寧駅で寝台切符の割り当てが無いにしても、車内で補票(清算)で寝台に移ることも可能だが、誰一人として寝台には移る気配もない。
 ここ西寧はチベット族の街でもあるのだ。駅票には漢字、チベット語、モンゴル語で表記があるが、チベット語が現れたのはこの街からだし、気合の入ったチベット族を目にするようになったのもこの街から。

21時1分、ガラガラの寝台と満員の硬座の16両編成は漆黒闇に向け動きだした。ここ西寧で標高2,280m。

xining01.jpg
西寧駅のチベット族

xining02.jpg
夜の西寧駅

xining03.jpg
西寧発ゴルムド行きの管内快速

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プロフィール

Mr.Problem

Author:Mr.Problem
東京移住。
職業:雲のジュウザ
根本思想:世界人民大団結万歳(笑)
多少、あちこちに行ってましたが、。結婚してからはめっきり諸外国へ出ることが少なくなりました。せめて一年に一度くらいは海外には出たい。元パッカーの習性で旅行は旗持ちではなくほぼ個人旅行。基本的には今世界で起こっていることについて思うところや、今まで行った街の印象を徒然に書いていきます。
みなさんが世の中について考える何かの助けになれば。

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