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東京メトロ乗り鉄

最近東京へ行くと言えば本社への出張くらいなので、近くまで行きながらも実家に立ち寄ることもなく、両親には申し訳なく思っております。いや、遊びで2月にも東京へ出ましたが、乗り鉄と鉄道博物館がメインだったので、神奈川には足が向きませんでした。

今日も本社へ出たついでに、東京メトロに乗りました。東京で地下鉄に乗るのは何年ぶりだろうか、というくらい。少なくとも前に乗った時は「営団地下鉄」でしたので、東京メトロとしては初めてでした。これは相当昔ですね。いや、記憶に無いだけだろうか。

営団地下鉄の正式名称は「帝都高速度交通営団」でしたね。この「帝都」という時代がかった名称は、もちろん大日本帝国時代の旧称がそのまま残っていたものです。また、いつの間にか変わりましたが、京王電車も最近まで「京王帝都電鉄」でした。この昔めいた名前が子供の頃には何とも不思議だったんですよね。

最近開通した副都心線に乗ってみました。地下鉄なので景色が変わるわけでもなく、別に面白くもなんとも無いのですが、まあせっかくだからと、新宿~渋谷~永田町~後楽園~銀座と巡って、有楽町から東京駅へ出、新幹線で帰ってきました。

改めて思いましたが、東京は人が多けりゃ街の規模も桁違いです。大阪のど真ん中で普段仕事勤めをしている身でも、そう感じます。日本とは、つくづく東京とそれ以外で成り立っているものだと思います。
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個人的にはOperaだと思いますが

毎日10万単位のアクセス数を得るサイトを見る立場にいるので、以下の割合は(ユーザーエージェントの問題を考慮に入れても)一般的な割合とあながち外れては無いと思います。

閲覧ブラウザ=日本での一般的に利用されているブラウザ
Internet Explorer(IE)6 約65%
Internet Explorer7 約15~20%
Firefox 2 約10%
Safari 5%
以下、Sleipnir、Opera等

WEB制作の世界だと圧倒的に支持されるのはFirefoxですが、サイトを作成する際にはIE6で正しく表示されるように作らないとお話にならないんです。これがやっかいな話でして、他のブラウザではしっかり表示されていてもIE6だけ駄目、なんてことが起こるから嫌になる。

制作時ではアドオンの充実しているFirefoxを使いますけれど、プライベートのメインブラウザではOperaを使っております。以前は重厚な感じがしましたが、バージョンアップがされて素軽くなり、スタイルシートの表示エラーもなく、そして何よりもOperaを決定づけるところのマウスジェスチャーですが、これが慣れたら便利で仕方が無い。わざわざブラウザ上のアイコンを押しに行くのが馬鹿馬鹿しくなり、無精者の私にはぴったりだと思うのです。

宮崎事件を社会はまだ解決していない

 宮崎勤の死刑執行ニュースを複雑な感情で耳にしたのは私だけではないでしょう。
 死刑の是非に対する私の立場は今まで記してきたので、ここでは繰り返しません。
 捜査側を小馬鹿にした「今田勇子」の手紙に始まる彼の奇妙な行動は、当時の私にとって非常に衝撃的でありました。この事件以来ではないでしょうか?猟奇的事件が「滅多に起こらない残虐な事件」から、「時代を投影した当たり前の事件」に変わったのは。「時代を投影した事件」はそれまでにもあったのですが、それが「当たり前の事件」と捉えられるようになったところに、宮崎事件の一つの大きな意味があると思うのです。
 私自身、これまでこの事件について書かれたありとあらゆる記事や本を読み漁りました。特に新潮文庫の「宮崎勤事件―塗り潰されたシナリオ」という本はこの事件を克明に分析した本で、読んでいる途中に(決してオーバーな話でなくして)気持ちが悪くなって吐気を覚えました。

 死刑執行になって残ったものは疑問だけです。果たしてこの事件は精神異常者が起こしたものだったのか?この最大の問題は、法律上は異常者ではないと結論付けられました。精神異常者であったのなら死刑には出来ない訳ですし、もし異常者であると鑑定して死刑以外の判決を出そうものなら、社会が許さないような風潮があったように思います。ま、これを今更とやかく言ったところで裁判がやり直しになる訳ではないし、ここで話をぶりかえしてもしようがない。寧ろ、この事件で日本社会が得た経験をその後の社会情勢改善に全くと言っていいくらいに教訓としていないところに、一番の問題があるように思えてなりません。

 この死刑乱発法務大臣のお陰で、麻原彰晃の死刑執行も現実味を帯びてきました。彼も裁判が始まる前から死刑が保証されていたような人物です。が、この人物は精神異常者であるのかないのか?結審した今もその事を考えるのです。

「赤い彗星」シャア・アズナブル

 全く当ブログのテーマとは関係の無い話です。

 私が毎週楽しみにしている番組で「あ、安部礼司」というラジオ番組があります。ええ、結構その筋では有名な番組で、時間が合う限り、極力視聴しています。

 日本の平均的サラリーマンであるナイス30's安部礼司の話で、ご存知の方も多いかもしれません。
 で、今回はフィアンセ優ちゃんの兄、赤井彗星と松江帰りの部下安室礼司が出てきて話が進みました。

 シャア・アズナブルといえば、我々の世代の永遠のヒーローです。
 私はガンプラが熱狂的に流行った頃に小学校高学年を過ごしておりますので、言うなれば再放送世代です。その時期に少年時代を過ごしたナイス30'sの方々なら、そのブームがとてつもないものであった事はご存知の通りです。あれ以降、ファミコンの隆盛によってプラモは下降線を辿りましたが、ガンダム、特にシャアが我々に与えた影響は、少なからずの同世代の男性諸氏ならご理解いただけるのではないでしょうか。

 あの頃の憧れは今でも変わっていない。

 あの頃少年だった我々がいい年になって、今世間ではシャアが復活してきています。シャア専用ザクの携帯電話やシャア専用クレジットカードは、将に我々をターゲットとして訴えかけてきます。

 けれど我々が望むのはそのようなモノでは無い。

 安部礼司が義理の兄となる赤井彗星にも話していましたが、シャア・アズナブルの設定は20歳でした。子供心には彼は憧れの兄貴であり、大人でありました。今我々は30'sとなり、とっくの昔に当時のシャアの年齢を越えたにも関わらず、今でも「赤い彗星」と聞けば心が躍るのは、我々の中の何処かで少年時代の夢やときめきや憧れや輝きを持ち続けているのに外ならないのではないか。

 「赤い彗星」シャア・アズナブルは今でも我々のヒーローなのです。
 30代後半に入るにつれて、少年だった我々も社会でそれなりの位置を占め、ある人なら家庭を持って少なからずの責任を持ち、毎日現実社会の厳しさと戦っているのですが、きっと少年時代のときめきを忘れている訳ではない。心の中では「俺もいつかシャアのようになりたい」と思っている人々も多い筈です。

 我々も通常より3倍の性能で大活躍をしてみたい。

 世間の30代男性諸氏。就職氷河期に投げ出され、ロストジェネレーションと言われながらも、我々は何とかここまでふんばってきました。明日も頑張ろうではありませんか。かつて、また今も我々が憧れる赤い彗星のように、いつか自由に大活躍出来るように。

1995年 カラチ行 その3

 カラチ=キャントメント駅に降り立ったが、久しぶりに大都会に放り出された、という気分だぜ。そりゃそうだ。ここはパキスタン一の大都市だからね。
 圧倒的な車の量と人の波に包囲されるが、こんなのにめげたら旅行者をやってられねぇ。まずはベッドだ。夜行座席にしちゃ寝られたほうだが、それでも木の椅子にくくりつけられての旅行だから、疲れてないっていっちゃあウソになる。飛行機はあさっての深夜3時半発。ヤバイと言われるこの街でのサバイバル開始だ!

 何がやばいかって?
 政府のことを気に食わない集団がいて、この街の郊外で軍と「交戦」してるんだよ。ゲリラ戦をな。で、街中では爆弾テロがボコボコ起こってる。こないだもアメリカ人が巻き添え食って死んでるんだ。大体2~3週間に一回、この広い街のどこかで爆弾がボカンといっててね。この位の頻度だと遭わないっつっちゃあ遭わないが、頻繁と言っちゃあ頻繁と言えなくもない。お国の外務省も渡航自粛勧告を出している。まあ用があっても行くんじゃないよっていう位のカナリのレベルだな。この勧告の上は退避勧告になるからさ。武装勢力との協定では空港には手をつけない(テロの標的としない、攻撃をしない)ということになっているらしいが、そもそもそんな集団と結ぶ「協定」って何なんだ?ゲームじゃあるまいし。

 宿はすぐに見つかった。今までとは違い奮発して一泊600円程の宿。個室でシャワー付き。日本で言うところのビジネスホテルだな。

 それはカラチ2日目の午前中のことだったよ。

 起きて新聞でも買いに行こうと街に出た時だった。いきなり大音量の爆音が響いたんだ。とっさにテロだ、と思った。長期旅行をしていると神経は嫌でも研ぎ澄まされてくる。日本にいる時とは比べ物にならないくらい注意深く、また冷静になっているが、それでもこの爆音は強烈だった。後ろの方100m程のところから真っ黒い煙が上がっているじゃないか。その時、前方でも大音量の爆音が響いた。2連発か!人が走り出す。周りは騒然となった。前の方から頭が真っ赤な人が歩いてきた。流血だ。このままホテルに隠れた方が良いのだろうか。いや、こんなでは建物にいるから安全というものじゃあない。急に回りの商店がシャッターをバシャバシャ閉め出した。足が自然と前方に向いた。まだ警察は来ちゃあいないようだ。大勢の群集集まっているが、逆に危険じゃないのか?群集の方に行ってみると、とんでも無い光景を目にした。がれきからはみ出るように血だらけの人が倒れている。見たところ3人か。その内一人は首から上、左のひじから先が無い。少し離れたところに腕がちぎれて転がっている。頭は見当たらない。建物はごうごうと火を噴出している。今にも崩れそうだ。死人が出た。思わず目を背けるかと思ったが、逆に注視して目を離すことが出来ない。
 周りの音が聞こえなくなった。足が動かない。

 一人のパキ人が鬼の形相で俺を引っぱたいた。意識が戻った。殴られた痛みは感じなかった。胸倉をつかんで何かいっている。「Hey!My friend!Far away!」そうして俺を投げ出した。救急車のサイレンが聞こえた。やばい!

 その時また近くで轟音がした。3発目か。一目散に走り出した。逃げなくちゃいけねえ!


 これがテロというやつか。人の生き死にが一瞬で分かれた。もうすこし早く宿を出ていたら自分が転がっていたかもしれない。人間とはこんなにも簡単に物になるものなのか。そこにあるのはテロの是非、主義の是非じゃあない。生死分岐点が偶然に左右されるという理不尽であり、終わってしまえば、物になるという儚さだ。

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 決してテロという方法を肯定するものではないが、する方にもそれなりのもっともらしい理由があった。それがこの国の一部、それもかなりの範囲では熱烈に支持されている事実を目の前にして、どうして一介の旅行者が主義の是非や事の善悪を声高に叫ぶことが出来ようか。爆弾を抱えて自死する連中は、まず宗教と神という日本人には理解し得ない呪縛に対して肯定的に捉われており、併せて国家権力への戦闘方法として自爆テロが最も有効的な手段と信じられている(信仰と言ってもよい)となれば、外から反戦や善悪を語ったところで、全く意味を持たない。このあと私は好んでイスラム国家という異質な空間に身を寄せたが、この考えは今以て全く変わらない。

 この漠然とした、一方で強烈な印象は、翌年夏、ベトナムのダナンに於いても別の形で再度認識させられる事になった。
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 その日はもう街に出るのが恐ろしかった。当たり前だ。酒で紛らわそうにも、この国は禁酒国で一般の旅行者では酒は手に入らない。勿論寝られるものでも無い。自然と煙草が増えた。紙巻で煙草酔いを経験したのは後にも先にもこの時だけだ。後で数えてみたら、6箱120本ほどを一日で吸っていた。
(続く)

1995年 カラチ行 その2

 日本で反戦運動をやっている人達の声が今一つ心に響いてこなかったり、ベトナムやらパレスチナやらで戦場をくぐり抜けてきた人達が反戦・非戦の声を大にしないのはどうしてなのか、と思ってきたが、今回ようやく判ったような気がするよ。

 アブドゥルに手配してもらった切符を持ってラワルピンディ駅に着いたのは朝7時半。首都に一番近い駅ではあるけれど石造りのレトロな小さな駅だ。イギリス統治時代に造られたものだとは容易に推測出来る。駅独特の喧騒はあるけれど平和だな~。今俺が持っているのは地獄への片道切符。笑っちゃうよ。いや~笑うしかない。この街で大人しくしていたので、体調は少し回復した。ホームに出ると丁度ラホール行が出ていった。インドと同じ形の車両だ。窓に鉄格子かはめてある。窓から人とか動物が入らないないようにするためだろうけれど、動く牢屋にしか見えない。この辺りはパキスタンもインドも一緒だな。まあ元々は同じ国だし。大英帝国の植民地政策で良かったことがあるとすれば、鉄道網を張り巡らしたことだろう。特にインドは鉄道大国な訳だし、ここパキスタンでも十分にその恩恵を受けている訳なんで。
 さてさて俺の列車が入ってきた。ペシャワール発カラチ=キャントメント行き急行列車「8DN」。昨日の夜にペシャワールを出て2泊3日でカラチへ向かう。ペシャワールか。行ってみたかったな。アフガニスタンがやばいことになってなけりゃ、ペシャワール経由で国境の山を越えたのに。英雄マスード将軍も最近押され気味だからな。アフガンの統一はいつになることやら。
 2等座席だが、こりゃきついな。木の椅子じゃないか。線路幅が大きいので車両幅も大きく、通路を挟んで3人がけ向かい合わせの六人用コンパートメントと一人がけの向かい座席が一区画。自分は運良く一人がけの進行方向が割り当てられていたが、椅子は公園の木のベンチを一人用にしたようなもので背もたれも木。僅かに頭の部分だけ薄いマットだが、頭当ての意味を成してない。窓は鉄格子付き。ちっちぇえ窓だ。事故が起こったら逃げ場が無い。こりゃ棺おけだな!この車両で26時間の旅行だってか?8時11分、そろりそろりと出発。うげー。むちゃブルーだ。鉄道旅行でこんなに気が重いのは初めてだぜ!
 車内は満席だ。二人の車掌が検札に来た。白い民族衣装で格好が良い。乗客名簿と切符に書いてある俺の名前を照合している。その後来たのが武装警察。荷物検査だ。全く嫌になる。こいつら小銃を持ってやがるよ。日本で銃と言ったら拳銃だが、こっちではライフルだ。そんなにヤバイのか。ギルギットからのバスにも武警は乗り込んでいて、そいつも小銃を持っていた。向こうはまだ判るんだよ。インドと領有権争いをしているカシミールだからな。こっちはこの国一の大幹線の急行列車だぜ。

 平和な草原の風景を硬い椅子の上でボーっと眺めながら、快調に飛ばす列車の旅を「楽しむ」。15時半。ラホール着。さすがにピンディとは比べ物にならない位の大都会だよ。トンガリ屋根のデカい駅舎はイギリスが造ったやつだが、さすがに趣があるな。ホームのモノ売りは豊富だ。チャイ、カレー、ジュース、新聞、本、女性服、おもちゃetc。
 チャイ売りが車内に乗り込んできた。1杯注文する。ホームからの出前だ。30分の停車時間で7両を後ろに増結した。大量に人が乗り込んできた。元々席が無いところに人が押し寄せてきたんで、おぞましい空間になった。ま、運命共同体は一人でも多い方がいいけどな。17両編成のパキスタン人民列車。カラチへの旅はここからが本番だ。。

 夕陽が大地に沈む。空が真っ赤だ。日本から来ていきなりこんな風景を見せつけられたら感動するんだろうけれど、自分は今更何とも思わん。これまでもシルクロードやらで散々見せつけられてきたからな。これってあんまり良いことでは無いような気もするけど。敢えて思うとすれば、明日も太陽見られるんだろうか、ということかしら。

 座席無しの乗客がそこら中に座り込むので車内が大変なことになっている。荷物は網棚にくくりつけてあるが、こんなの気休めにしかならないって。バックパックだから、切られたらおしまいだし。さて夜に突入だ。車内の灯りが消えた。寝ろ、とのことだろうが、尻が痛くて寝られるものじゃあない。尻の痛さをごまかす為には体勢を変えるんだけど、これとてまた別の所が痛むだけだ。暑いので窓は開けっ放し。列車の轟音が響くが慣れてしまえば聞こえなくなる。車内は人で充満しているけど誰一人として喋るヤツはいない。大声で喋り好きのパキ人が無言の集団となっちまってるから、このカオスも不気味な空間になっている。おいおいこの暗闇で俺の方を見るんじゃねえよ。色黒の顔にギロリとしたその白い眼は目につくんだって。

 座席車にしては良く寝られたほうかな。やっぱり何処かで疲れてたんだろうか。ハイダラバードを出た。この辺りは武装グループの本拠地になっているシンド州のど真ん中だ。すぐにインダス河を渡った。河幅も広く水量も多い。見た感じは平和な風景なんだが、インダス文明の総本山モヘンジョダロへは武警の護衛が無いと行かれないんだから、やっぱりやばいんだろう。

 懸念された襲撃はなく、なんとかカラチに辿りつきそうだ。
 10時丁度、カラチ=キャントメント駅着。無事に着いた安心感で少し気が緩んだ。が、この駅は地獄の一丁目だった。まさか実際にあんなものを見せつけられるとは、思わなかったっつうの。
(続く)

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プロフィール

Mr.Problem

Author:Mr.Problem
東京移住。
職業:雲のジュウザ
根本思想:世界人民大団結万歳(笑)
多少、あちこちに行ってましたが、。結婚してからはめっきり諸外国へ出ることが少なくなりました。せめて一年に一度くらいは海外には出たい。元パッカーの習性で旅行は旗持ちではなくほぼ個人旅行。基本的には今世界で起こっていることについて思うところや、今まで行った街の印象を徒然に書いていきます。
みなさんが世の中について考える何かの助けになれば。

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