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宗教都市 天理

 曽爾高原を訪れた帰りに天理へ立ち寄りました。この街を訪れるのは10年振り二回目。前回も今回も理由は天理スタミナラーメンを食べる為だったのですが、ここは天理教の総本山。その印象を書いてみるのも悪くないでしょう。

 先日より右翼左翼の事を書いてきましたが、実は宗教についても関心があります。特に新興宗教については色々見たり読んだりで勉強を続けておりまして、その中でも天理教は規模も相当であり、特異な面も併せ持っているので、特に強い関心をもっています。但し主義主張を研究する時も同じなのですが、宗教についても興味の対象として見るからには、客観的に見ようとする姿勢が大事であると考えておりますので、信仰に至ることのないように接する、つまりあくまで外部からの印象であることはご留意ください。

 天理の街の風景は、恐らく日本でも有数の特異な風景であると思います。宗教の総本山は何処もそれなりに大きい建物を建てたがるものですが、ここ天理はその傾向が特に強いように見えます。大阪方面からなら名阪道を天理東インターで降り、山中の取り付け道路を少し行くと巨大な建物が急に現れます。それが一つや二つでは無い。幾つもの巨大建築物がこれでもかという位に密集して建っているのです。多くは全国から集まる信者の宿泊地(天理教では「信者詰所」という)で、よくもまあこれだけのものを建てこんだものだと圧倒されます。ここの建物は単なるビルディングではなく、神道式の寺社建築風に建てられているので、単なるビル街とは趣を異にします。日本随一の宗教都市だけあって雰囲気抜群。晩7時くらいになると人通りが殆ど無くなるのでその異様な空間が更に迫力を増します。信者詰所だけでなく、病院から大学から高校野球で有名な天理高校から市役所に至るまで似たような様式で建てられており(市役所は天理教団とは関係無い「お役所」ですけれど)、その独特な景観は他の日本の都市では見られないでしょう。街中には天理教のハッピを着た信者の方(それも若者が結構多い)が歩きまわっています。ここ天理は、天理教で言うところの人類発祥の地であり、ここ天理に来ることは「おぢばがえり」と言います。そのため、「ようこそおかえり」という言葉が街のあちこちで見られます。天理教では宗教用語を平仮名で記す習慣(「かなの教え」)があり、漢字に慣れた目には奇異に映るのですが、これは教祖中山みきの方針であったかと記憶しています。これもまた天理が天理たる所以です。
 久しぶりに訪れて圧倒されました。

 前回も今回もラーメンの為に訪れているので、街の研究を目的に近々再訪してみるつもりです。 
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「インターナショナル」

 先日大日本愛国党総裁の話を致しました。テーマがテーマだけあって、多少の反響もいただきました。ライトスタンドのレポだけでは不公平ですから、今回はレフトスタンドのレポをしたいと思います。マルクス主義の物語と「インターナショナル」についてです。

 「インターナショナル」。ある年代以上の方にとっては主張の左右を問わず、ご存知の方が多いのではないかと思います。日本語では「国際歌」と訳されます。かつて学生運動や労働運動でよく歌われた歌で、社会主義者や共産主義者のテーマソングです。思うに、これまでに造られた歌の中で、多分全世界で最も幅広く歌われた歌ではないでしょうか。元々はフランスで造られた歌で、社会主義の伝播と共に各国語の歌詞が作られて世界中に広まりました。ソ連は最初の国歌としてこのインターナショナルを採用しています。勿論日本語版もあります。「版」とは言うものの、厳密には翻訳という形ではなく意訳した内容で造られているようです。現在の日本では全くと言っていい程歌われる場面はありませんが、共産党が力を持っている国では集会などで今でも歌われることがあります。私も実際モスクワで赤旗団体の集会を見かけたのですが、そこで歌われていました。
 You Tube等で探すと、集会とそこで歌われている「インターナショナル」が一緒に流れてくる映像があります。

 私は社会主義者でも共産主義者でもありませんが、単純にこの「インターナショナル」は名曲だと思います。メロディが耳に入りやすく覚えやすく適度に力強いものであり、みんなで歌うには歌いやすいであろうと思われること。多少過激な内容でありますが、詩の意味が極一部を除いて判りやすく「やっちゃうよ~」的な内容であること。左翼のテーマソングでなければ、私は多分携帯電話の着メロに使っています。

 マルクス主義の不思議なところは、世界中で多くの人をまがりなりにも熱狂させてきたところです。一つの主張でこれだけ多くの人々を虜にしたのは、他にはキリスト教とイスラム教だけです。
 現在マルクス主義は敗北したとの認識が大勢です。現在の日本で毛嫌いされる理由の一つ(もしくは反マルクス主義のプロパガンダとして用いられてきた方法の一つ)は、「階級闘争に於ける武力革命の肯定」とその「専制主義」でありましょう。私はマルクス主義の専門家では無いことを断った上で書きたいのですが、多分この理由はマルクス主義が誤って伝播されたことに拠るものではないかと思います。私の知りうる限り、マルクス主義は階級闘争とプロレタリアによる権力獲得を目指しておりますが、その部分で明確に武力闘争の肯定は必ずしもしておりません(後註※)。権力奪取のために武力闘争を持ち出したのはレーニンであり、レーニン主義を体系化して専制体制を構築したのがスターリンと毛沢東です。つまり、日本で喧伝されている大部分は、後のレーニン主義やスターリン主義、毛沢東思想を指しているのであって、マルクス主義そのものを指摘したものとしては誤りではないかと思います。その筋の経緯については幾らでも詳しい本がありますので、私としてはマルクス主義が極めて広範囲に急激に広がったことの方を指摘したい。理由は宗教と同様、訴えの対象と行動の主役を、時の権力者ではなく一般民衆にもっていった事が大きいと思うのです。その広がりの過程で「インターナショナル」が結びつくことによって、この歌も広く全世界に散らばることとなったのです。

 マルクス主義が階級闘争を主眼とおくことには、理論が体系化された時代背景を理解する必要があります。欧州各国が君主制(立憲王政、絶対君主制)をとっており、大衆の多くが現在とは比べ物にならない位の劣悪な環境に生きる労働者、小作人等であったこと。日本の戦後で共産党が政権政党となれないのは、根本的にマルクス主義の構築された社会体制とは状況が異なるからであります。日本人は19世紀の欧州と比べれば裕福すぎるのです。戦前は似たような状況であったのですが、政治体制が強固すぎたのと外(主に満州)にその不満を吸収出来るようにもっていったので、革命は起きなかったと考えられます。その後レーニンが武力革命論という極めて判りやすい考えを主張したことによって、革命思想が強固に発展していきます。それまで押さえつけられるままであった一般大衆が、大衆を対象とするマルクス=レーニン主義を教え込まれることによってこの世の幸福を夢見、権力を抱く夢を見る。この夢が全世界の多くの人々にとって非常に魅力的に感じられたであろうことは、その歴史的背景を考えると至極妥当であると思います。

「インターナショナル」
起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し 覚めよ我が同胞(はらから) 暁は来ぬ
暴虐の鎖断つ日 旗は血に燃えて 海をへだてつ我等腕(かいな)むすびゆく

いざ 戦わん いざ 奮いたて いざ
ああインターナショナル 我等がもの

いざ 戦わん いざ 奮いたて いざ
ああインターナショナル 我等がもの

聞け我等が雄叫び 天地轟きて 屍越ゆるわが旗 行手を守る
圧政の壁破りて 固きわが腕(かいな) 今ぞ高く掲げん わが勝利の旗

いざ 戦わん いざ 奮いたて いざ
ああインターナショナル 我等がもの

いざ 戦わん いざ 奮いたて いざ
ああインターナショナル 我等がもの

●註
「共産主義者は、これまでのすべての社会秩序の暴力的転覆によってのみ、自分の目的が達せられることを、公然と宣言する」(共産党宣言)
 この一文を以てマルクス主義の武力革命論を指摘する意見が圧倒的であることを理解はしています。この書が書かれた19世紀中葉は、フランスの七月王政と二月革命前後という時期であること、そもそもその当時の国家体制の変革が殆ど武力革命によってのみ行われていたという時代背景を理解する必要があります。歴史家でもあったマルクスがそれを理解していない筈はなく、歴史を詳細に分析したうえで極めて当然の事を書いたまで。20世紀の体制変革に暴力革命論を持ち出すのとは事情が異なるのは明らかです。20世紀にマルクスという人物が現れて同種の書物を書いたとすれば、別の内容になった事も考えられます。要はマルクスの歴史・社会分析と後年の社会主義国指導者とは、思想の基、背景が異なるということです。
 このような意味では、日本人の大好きな坂本竜馬や薩長の指導者達は、みな武力革命思想の持ち主ですが、そうは考えない人が多い。

 19世紀の常識的思想を20世紀の事情へ教条的に用いるのであれば、本文内の「武力革命の肯定を必ずしもしていない」という部分を訂正します。

絶望感を教えてくれる冬のロシア万歳

 根が楽天的なのかは知りませんが、普段の生活で落ち込むことなど殆ど無いと思います。嫌なことがあっても一晩あれば大抵忘れているので、自分では有難い性格だと思っているのですが、私を怒りたい方にとっては、余計頭に来るようです。怒られたこともすぐ忘れますから。
 こんな訳なので、海外旅行をしていて頭に来たり恐怖感を感じることはあっても、あせる事や落ち込んで前に進めないということは滅多にありません。自分で言うのも何ですが、特に長期で個人旅行をする際には相当恵まれた性格だと言えると思っています。

 こんな自分ですが、海外で風景を見て絶望感を感じたことが二回あります。
 一度目はエジプトでアスワンからアブシンベルへ突っ走っていた時。この時は未明3時にアスワンを出発して車で砂漠を走っておりました。途中で夜明けを迎えるた時、まあ地平線から太陽が昇ってきた時、そこに映し出される光景が360度何もない石ころの平原です。当たり前ですね。これを見た時、死ぬほどの虚無感と絶望感を感じました。砂漠は沙漠。沙漠の夜明けはそれまでもタクラマカン沙漠を横断していたので経験していた筈なのですが、ここは上エジプト。ホルスの国とは言いますが、一方ではオシリスとアヌビスが支配する大地。神仏とは無縁の信条ではありますけれど、このようなだだっ広い死の大地から逃れられるのだろうかという妄想に取り付かれました。
 二度目は11月のロシアです。北京からモスクワへ向かってシベリアを疾走しておりました。シベリアを走って世界の広さを肌で感じよう、などというのは、季節の良い時に言える言葉だと思います。5月にもロシアへ訪れたことがありますが、確かにこの時は美しかった。緑が映え太陽は明るく、特にペテルブルグでは白夜に向かってまっしぐらでしたので、晩10時でも明るい。空気も気持ちがいい。
 これが11月だと全く違う世界になります。景色は一面灰色、空は低く雲が立ち込め空気は冷たく、普段から笑わない道行くロシア人が更に陰気に見えてくる。温かいといわれたモスクワで氷点下5度。早朝のクラスノヤルスクで氷点下20度。最初は氷点下を見てさすがシベリアとか思っていたのですが、変わらない重苦しい景色をひたすら走る列車生活、たまに降りる途中停車駅の寒さ。日本なら紅葉の季節なのに、どうして自分は普段なら真冬でもしないだろう格好をこんな時期にしているのかしらと疑問を持ってくる。本で見たシベリア鉄道(=ウラジオ~モスクワを走るロシア号)の食堂車は結構綺麗で明るいのに、何故かこの列車の食堂車は幽霊列車のように陰気臭い。本の写真は嘘っぱちか、と暴れてみても仕方がありません。行くのは決まって夕食時なのですが、照明は暗く、というか客がいない為に車両の半分しか電気はついておらず、給仕の筈の青年はだまって座ってテーブルをじっと見つめている。こんな所で食事をしても美味しい筈が無いと思うのですが、出てきたスープが絶品でこれだけは救われました。暖房は石炭暖房。これが消えたら俺は確実に死ぬな、と思わせてくれる「頼もしい」暖房。シベリアを走る列車は、その酷寒の環境から電気や油が信用できず、各車両に独立した石炭暖房が装備されています。 おっと、列車自体は良い列車だったので、列車旅行自体は十二分に楽しめましたけど。サイトを作っているくらいですから。
 「寒いところには寒い時期に行け」との言葉があり、実際私もそう思っていました。しかしそれはスキーを楽しんだり、真っ青な空にダイヤモンドダストが舞っているイメージの雪の世界です。シベリアの景色が良かったなどという人は、気候の良い季節に行ったか、冬でもまれにあるという澄んだ青空の雪景色を旅した人に違いありません。灰色の森林に陽が落ちるのですが、朝起きると同じ灰色の森林を列車は走っています。自分はずっとこの灰色の底なし森から抜け出せられないんではなかろうか、と思えてきて、絶望感に襲われるのです。絶望感とは虚無感の上級版。
 次にロシアへ訪れることがあるのならば、必ず季節のよい初夏から夏にかけてにしようと決めてモスクワを出たのですが、この11月にもロシアに訪れることになりました。こんどはシベリアではなくロシア平原を突っ走ります。また灰色の景色が私を迎えてくれることでしょう。ええ、寒い時期には寒い場所へ行くほうがいいに決まってますからね。

 ...そんな訳ありません。今度の最終目的地はヴェネチア=サンタルチア。ひたすら「陽気な」イタリアに向けて走ります。
 ロシアの国是である南下政策は、案外このような心理、つまり重苦しい冬の世界を逃れたい心理も働いているんじゃないか?そんな事を感じさせてくれる冬の大地へ、絶望感と共にいざ乗り込みます。

大日本愛国党総裁のこと

 色々サイトを見ているとふと行き着いたのが「赤尾敏」。私は夜な夜な一体何を調べていたんでしょうかね。

 このお名前、ある一定以上の年代で政治に興味がある方ならご存知かもしれません。懐かしい名前だな、と思うのでしょうか。私の世代(30代半ば)でこの方を知っている人は相当だと思います。いえ、私も誇っている訳ではないんです。主張に全く共鳴している訳ではありません。子供の頃にふとしたきっかけで知るようになり、少しばかり人となりを調べた時期があったんです。人間不思議なもので、自分と全く異なる思想の持ち主は、完全に無視するかさもなければ一観察者として観察の対象として興味を持つものなんですよね。

 赤尾敏とは、大日本愛国党の総裁。右翼の有名思想家です。銀座数奇屋橋の辻説法は有名で、子供ながらにその話は知っていました。で、毎回国政選挙に立候補するんですが、いつも落選する。私が知ったのも何かの選挙の政見放送がラジオで流れていて、変な爺さんが意味のわからないことを絶叫していたのを不思議に思って母に尋ねたところ、「私(=母)が子供の頃からいつも選挙に出ていて必ず落ちるお爺ちゃん」と言っていたのがきっかけだったように思います。私が子供の頃でも相当のじいさんで、確か80代か90代だったかでした。

 何年か前に確か新聞で赤尾敏の特集記事が載っており、彼が晩年住んだところとその人となりの記事でありました。それによると相当慎ましやかな生活をしていたようで、銀座で派手な街宣車で声を張り上げていたイメージとは全く違うんです。右翼の大物と言えば、有名どころだと児玉誉士夫とか笹川良一とかで、お金持っていて政財界の裏で力持ってたというようなイメージがあります。赤尾も大物です。けどお金は無かった。財団を作って金儲けとかせずに、政治活動一筋だったみたいです。戦前には衆議院議員になったりもしているし、関係した人物ですと笹川とか鳩山一郎(現民主党幹事長のおじいさん)とかが出てきますし、社会党の委員長で殺された浅沼稲次郎とも主張が正反対にも関わらず交流があり、で何故か若い頃には作家の幸田露伴とかと会ったりもしている。浅沼を暗殺したのは山口二矢ですが、彼は赤尾の弟子です。衆議院議員になったのは戦中なんですが、国会を退場処分になってます。その理由が総理の東條英機に野次を飛ばしたから。無茶苦茶です。晩年の意気軒昂な爺さんとしての姿しか知りませんが、調べてみるとすごい人生を送ってるんですね。

 選挙に出る理由もすごい。参議院不要論を唱えてるにも関わらず、何故か参議院選に出馬する。理由が、選挙公報で主張を発表を出来、まがりなりにも政見放送という電波で取り上げてくれる訳で、その場で参議院不要論とか反共主義なりを言うことが出来るから。当時の映像を見ると、言っていることは前記の主張に加え、「自民党や社会党や共産党に(票を)入れるヤツはバカだ」とか「田中(=角栄)や中曽根(=康弘)なんかのくだらん総理大臣」とか「土井のばばあ(=土井たかこのこと)なんかふざけた野郎だ」とか、無修正で放映しなくてはいけない政見放送でなければ絶対に放送されないようことを言っています。で、こんな無駄な選挙はやめろ、と参議院選挙の選挙戦で主張している。別で立候補した都知事選では「立候補したが当選なんかしやしないんだ。では何故出たか?立候補して眠っているバカたち(=東京都民)に教えるためだ!」他過激内容多数。選挙に出るのもタダでは無いですよ。一定の得票が得られなければウン百万かの供託金を没収されます。先ほども書きましたけれどこの人は金が無かった。で、必ず落選する。選挙の度にお金をドブに捨てるんですが、当人にとっては「主張のため」に出続ける。

 私が覚えている限りどう見ても気違い爺さんだったんですが、その人生を調べてみると何か気概みたいなのが見えてくるんですよね。今だかつてその主張に共鳴したことはありませんし今後もその予定は無いですが、人間としての生き様には非常に興味を感じます。
 若い頃に社会主義に共鳴し、左翼に失望してその後転向した反共主義の大立者でしたが、部屋にはお釈迦様とイエスの絵に加え、レーニンの肖像が晩年に至るまで掲げてあったそうです。
 その強烈な右翼思想は、若い頃の社会主義への「憧れの強さ」の裏返しとも言えなくないように思えるのです。

どうやらいけそうだ

 11月の長期休暇の予定を検討している。10日間の休みを最大限に生かし、かつヨーロッパの空白地帯を埋めるようなルートを組まねばならぬ。
 何日か前に検討ルートを大まかにブログに上げたが、パリまで行っていては時間が足りず途中のあまりにも豊富な見所(つまりドイツ)を抜かさなくてはいけない。かと言ってモスクワ→イスタンブールは移動だけで日程的にギリギリだ。
 この旅のポイントは、旅費を抑えるために如何にロシアでの滞在を短くするか=現地手配を少なくするかに尽きる。ロシアビザを取るために日本で予め列車から宿からを手配しなくてはいけないが、ロシア発の列車が長距離になればなるほど、その分間に入る旅行会社の取り分が上乗せされるので、金銭的に不利になる。都合、ロシアを出る国際列車の乗車区間を如何に短くするかが、重要になってくるのだ。で、往復航空券の利便性や、途中都市の滞在を考慮すると、以下のルートが浮かびあがってきた。

ヘルシンキ(フィンランド)→ペテルブルグ(ロシア)→ビリュニス(リトアニア)→ワルシャワ(ポーランド)→ウィーン(オーストリア)→リュブリャナ(スロベニア)→ヴェネチア(イタリア)又はウィーン→ザルツブルグ→チューリッヒ(スイス)

 これならペテルブルグに宿を取らなくてもロシアを抜けられる。カリーニングラードの方へ入らなければ、余計なビザ手配も要らない。モスクワから西行きで旅費にこだわるとミンスクやキエフで列車を手配し直さなくてはいけないが、それだと時間的ロスに加えて何よりも言語的ハンデが付いて回る。ということは、ペテルブルグからリトアニアに向かってしまうのが距離的にも言葉的にも最も有利となる訳だ。ウィーンからは直接ヴェネチアやチューリッヒに向かっても良いのだが、それだと日が余る。よって少し遠回りをしてリュブリャナを巡ってみるか、さもなければプラハを再訪するかザルツブルグやグラーツなどのオーストリア諸都市を巡るかのいずれかか。航空券はヘルシンキかペテルブルグinで、ヴェネチアかチューリッヒoutで手配する。これで線が一本につながった。
 さて、歩き方の最新号を買ってこよっと。

中秋のK307次

中秋連休を明日に控えた北京西駅は少しばかり混雑していた。1500km以内の近場の特快や快速のチケットは前日の時点でほぼ全滅で、この3連休を利用してどこかへ出かけようという人民達が西駅に集合していた。駅の候車室に入ったところで椅子は全て埋まってしまっているから、外でだべってようか、と思っているのか。駅舎の外にたむろしている塵民たちがうざい。我々の列車は第11候車室待ちだが、行ったところで椅子が空いてる訳は無いし、異様な空気が充満して環境が悪いのは判ってるので、外の食堂で適当に時間をつぶしていた。
北京西駅入り口の人ごみ
北京西駅入り口の人ごみ


 検票(改札)は出発30分前にきっかり始まる。時間を見計らっていくと案の定検票口には長蛇の列が出来ていた。検票が始まってしばらくすると、女性駅員のどなり声が響いた。どうやら切符を持たずに改札をくぐり抜けようとした輩がいるようで、揉めている。ただでさえ暑くてだるいのに不快指数を増してくれる。
第11候車室
第11候車室

 列車は9站台に停車している。自分の寝台は7号車の真ん中の下段だ。18両編成で、赤い色がまぶしい。定刻通り北京西駅を発車し、京九線をひた走る。しばらくして担当列車員が乗客登記にやってきた。登記は以前は軟臥だけだったが、今年に入って硬臥でも見られるようになった。前回の銀川行でもやってた。若い女性服務員が身分証を出せと言っている。見ない方が君のためだぜ。何かあった時には目の前の人間を最初に面倒みなきゃいけないことになるんだが。見れば、万一の際にやっかいな事にクビを突っ込むことになるんだぞ..と思いながらパスポートを出すと、列車員は表情豊かな女性で「あちゃー」という顔をしている。が、パスポートの中身を見ても何処を見たらいいのか判らないらしく、「見ても判んないだけど」とか言っている。で、住所欄を教えるなどのやりとりをしていると、周りの中国人が騒ぎ出した。「おい、日本人が乗っているぞ」「この日本人、中国語を喋るぞ」「何で外国人が硬臥に乗っているんだ」とか言っている。そんなに外国人が珍しいのか?アンタら北京や厦門の人間じゃあないな。言っちゃあなんだが、安徽か江西の人間か、福建の田舎の出か。

 餐車は相変わらずのぼったくり食堂だったが、服務員の年配の女性と若い女性が2名、それと空調電源車担当の技師が臨時で給仕をやっており、それぞれ非常にサービスが良かった。夕食時はそこそこ客の入りが良く相当忙しく立ち回っていたが、細かいところに気付く服務員だった。味は可も無く不可も無く。サービスが良かったので、殴り書きのメニューはまあ、勘弁してやろう。

 自分らの硬臥は北京西を出る時には6割くらいの乗車率だったが、一斉消灯手前の阜陽で寝台が満員になった。硬臥は軟臥と違って22時になったら一斉消灯をし、強制的に「もう寝ろ」という状態にしてくれるので、ある意味有難い。
阜陽駅
阜陽駅晩景

翌朝目を覚ますと列車は1時間半程遅れて走っていた。が、福建省内では相当ダイヤに余裕を持たせていたらしく、終着駅には30分遅れまで回復して到着した。厦門まで行く客は飛行機で行くだろうから殆どいないだろうと思っていたがそんなことはなく、自分らの車両の半分くらいの乗客は北京から32時間を乗り通して厦門に辿りついたのであった。
 夜の8時、南国らしい蒸し暑さが充満する厦門駅を抜け、予約していたホテルへ急いだ。
厦門駅
終着厦門駅

中秋の厦門より

本日戻りました。
北京ではパラリンピックの真っ最中。自分も聖火を見に鳥の巣まで行ってきました。かなりの人が見に行っているようでしたが、北京以外の都市では全くと言っていいほど盛り上がっていません。これはパラリンピックだからだけではないような気がしました。案外8月もこんな感じでは無かったんじゃないだろうか?
中秋休暇でただでさえ人が多い中、厦門では観光地へ人を見に行ってきた。結構笑える写真も撮れたので、追々上げていきます。
列車は第一希望の下段を確保することが出来ました。各方面中秋休暇で軒並み満席フラグの中、ついていますわ~。お陰で32時間程、硬臥監禁旅行を満喫できました。

モスクワの西、パリの東

 大学時代、ユーラシア大陸横断を狙い神戸からパリを目指したのだが、事情があってカラチ→イスタンブールを空路で移動することになった。この時はトルコを周遊してギリシア→イタリア→フランスは陸路で動いた。後に北京からモスクワを目指したことにより、アジアとヨーロッパは繋がったが空白地帯が生じている。
 さてさてどうしたものか、と思い、11月の長期休暇でこの空白地帯を埋めにかかろうかと考えている。モスクワからペテルブルグへは別の旅行で移動しているので、私が陸伝いに行った最西端はペテルブルグである。パリを基点として欧州側の最東端と言えばトルコのユルギュップとなり、まあ、ロシアとトルコをつなげば一応陸伝いにパリまで行った事になる。
 で、ロシアから先を狙うのに都合の良いルートは何処かと思案している。陸路を取る以上はバスか列車だが、バスの情報が無いので列車が現実的だ。

 モスクワから西へ向かうには以下のルートをとることが出来る。
1)レニングラーツキーよりヘルシンキ行
一番手っ取り早く、かつ一番文明的でラクなロシア脱出方法がこれだ。モスクワからの夜行列車で翌日の昼にはヘルシンキに着く。しかしここからパリは長い。

2)リーシスカヤからラトビアを目指す。
ラトビアのリガ行に乗る。その後リトアニアを経由してワルシャワへ出る。が、もっと早い方法がある。それが次の方法だ。

3)ベラルースカヤよりベルリン行かプラハ行
今も昔もモスクワの西の玄関はベラルースカヤだ。何処と無く暗い雰囲気のモスクワの駅にあって、この駅は明るい感じがあった。パリ~モスクワを結んだ有名な東西急行もこの駅を起点とした。モスクワから西は遮るもののない大平原。だからナポレオンもナチス=ドイツもモスクワの手前までは時間がかからなかった。モスクワを朝出てミンスク、ワルシャワ中央と通って27時間でベルリン=ツォーだから、3日あればモスクワからパリまで行かれるルート。プラハ本駅行なら32時間。その後ウィーンまで出れば「オリエント急行」という名前のフランス行きに乗り込める。プラハもウィーンも土地勘はある。ただ、ロシアに加えてベラルーシのビザを取らなくちゃいけない。

4)キエフスカヤよりウクライナへ
パリではなくイスタンブールを目的地に考えたらこれも現実的だ。キエフ→キシナウ→ブカレスト→ソフィア→イスタンブール。ウクライナ、モルドバ、ルーマニア、ブルガリアトルコと6ヶ国の旅路で実は最も魅力的なルートかもしれぬ。

5)キエフまでは4と同じ。オデッサから黒海航路でイスタンブールへ
曜日さえ合えばこれも何気に速い。でも冬の黒海は荒れそう。でもこれまだ運航してるのかな。

6)パヴェレツカヤからヴォルゴグラードを経てカスピ海へ
これも面白い。ヴォルゴグラードからバクーを目指す。バクーへはグロズヌイ(やばいことで有名なチェチェン共和国)を通らないルートで走ってくれるようになったので一安心。そしてトビリシ、イェレバンときて東からトルコに入り、エルズルムそしてカッパドキアだ。とまあ、つい2ヶ月前までは良かったのだが、グルジアとロシアが例の通り戦争を始めたので、アルメニアにどのように向かうかが問題。アララト山が見える魅力的なルートだが熟考を要するルート。

 まあ3を取れば、ベルリン周りでもプラハ周りでも10日でパリまで行って帰って来れるので現実的なのだが、個人的には4を模索中なのである。
 さてさてそろそろじっくり考えよっと。

来週赴京

 来週の北京行を控え、ようやく自分の中で気分が盛り上がってきたので、ヘッドの写真を変えてみました。前にも書きましたが、無修正の中国を手っ取り早く見たければ駅に行くに限ります。ここにはオリンピックで強制的に住家を追われたような類の人々もおり、テレビの報道では見られない、それはそれは「賑やかな」無法地帯光景が広がっています。
 やっぱり中国ではこのような光景を目の当たりにしてこそです。
 形ばかり鉄道切符の手配を現地に依頼してみようかと思って見積もりをしましたが、あまりにもぼったくり手数料だったので、面倒な事でもあり自分の運による現地手配にかけてみることにしました。

 思い出しました。この国で今まで何十回か切符購入にトライしましたけど、不思議と希望日に出発できているんですよね。希望列車でないことは何回かありましたけど。

 今回も何とかなるでしょう。毎回の事ながらこのスリルがたまりませんね。

徒然なるままに夜な夜なパソコンに向かひて

 一国の総理の椅子とはかくも軽いものかと思い知らされましたが、政治ネタは封印中ですので、論評は避けましょう。

 夜な夜なActionscriptと格闘しています。Scriptをこねくり回すだけならまだしも、算数と数学の間くらいの概念に最近触れておりまして、頭は中学生に戻った気分です。πr二乗とかサイン、コサイン、タンジェントとか。ああこんなことやってましたよね、とかいうのを嫌でも思い出させてくれる今日このごろです。最初は苦闘していましたが、しばらくしてくると頭が慣れてきて段々スムーズに進むようになります。ああ、慣れとはこういうものですか。手元に置いてある本が「入門ノート」と表題がついているのですが、普通の日本語で言う「入門」と言えるようなレベルではないので毎晩「うげ」とくる。でも続けて辛抱強くやっていくと思考方法がScriptを理解するように鍛えられていくんですね。不思議なものです。自分の周りにはグラフィックに強い人間は多くいるのですが、相当に腕の立つスタッフでもScriptは勘弁して下さい、という人が多いです。こればかりは向きや不向きもあるのでしょう。

 食べ物には「この組み合わせが最強だ」という食べ方が往々にしてあります。吉野家で牛丼に生姜を山ほどかける人を見かけますけれど、生姜が死ぬほど好きなんだとは思えません。単にあの味と生姜が自分の中では切っても切れないから、習慣的に山盛りをしてしまうんではなかろうか。
 私にとっての最強の組み合わせは「天ぷらうどん」です。ここでのうどんとはほぼ立ち食いうどんに限定されるのですが、天ぷらうどん以外のうどんを注文した記憶がここ何年もありません。たまにはきつねや山菜にしてみようかとも思うのですが、うどん屋に入った瞬間に忘れてしまい、口が勝手に「天ぷらうどん」と言っている。蓋し最初にうどんに天ぷらを置いた人は天才的感覚を持っていた人ではないでしょうか。どうして置こうと思ったのか?そのタイミングはどんな時だったのか?いやあ知りたいです。

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プロフィール

Mr.Problem

Author:Mr.Problem
東京移住。
職業:雲のジュウザ
根本思想:世界人民大団結万歳(笑)
多少、あちこちに行ってましたが、。結婚してからはめっきり諸外国へ出ることが少なくなりました。せめて一年に一度くらいは海外には出たい。元パッカーの習性で旅行は旗持ちではなくほぼ個人旅行。基本的には今世界で起こっていることについて思うところや、今まで行った街の印象を徒然に書いていきます。
みなさんが世の中について考える何かの助けになれば。

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