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走りだせ~飯田線♪

 大晦日イブは、豊川のホテルです。
 東海道~草津~関西~東海道と走ってきて、豊橋から飯田線。関西線を走ったのは15年振りくらいです。JR東海って結構古い車を使いまわしているイメージがあったけど、亀山から豊橋まで一番新しい形式で来ました。名古屋からの特別快速はJR西日本張りのスピードの出し方で気分がいい。三大都市圏、こうしてみると間違いなく一番いけてないのは首都圏だ。田舎に帰って東海道線のチンタラぶりに頭来るんだろうな。
 愛知から神奈川に行くのに何故か長野県に向かいます。天竜川の峡谷、中央アルプス、諏訪湖、八ヶ岳、甲斐駒と、一日で目にする景色としてはお腹一杯になりそう。ええ期待していますとも。期待するなって言う方がウソってもんでしょう。でも始発に乗って目的地まで12時間以上かかります。まあノタノタ行きますよ。
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2008年最後の修行 飯田線縦断

 今年こそ年末年始は田舎に帰らにゃなりません。
 会社の同じ高校出身の同級が車で帰るのなら乗っけていってもらおうと思ったのですが、新幹線で帰ると言うので、仕方が無い、別の手段を考えなくては、と。新幹線でまっすぐ帰りゃいいのですけれど、今年は少しひねって在来線を乗りついで帰ろうと思っております。
 海外では好きで鉄道旅行をしていますけれど、日本のいわゆる「乗り鉄」というのはどうにも興味が湧かないんです。いや、昔はそれなりに乗ってましたけれど、中国をはじめとする海外を走り始めてからは、日本の鉄道が苦痛になりました。答えはカンタン。長距離列車が少なく、乗り鉄の対象が殆ど無いからです。田舎は神奈川ですが、神戸から在来線で行くとなると、豊橋から先が死ぬほど苦痛です。優等列車が無く、各駅停車での移動を強いられますから。昨今の18切符ブームではそれで良いのでしょうが、寝台乗り鉄でなまり切った自分には耐えられません。2,000kmの寝台列車と200kmの各駅停車を比べれば、私は2,000kmの旅を選びますね。

 関西から関東へ向かうルートは幾つかありますが、関西在住10数年の内に大抵のルートを使ってしまいました。東海道線直行、関西本線経由、中央西線、北陸・信越周り..。糸魚川から大糸線周りもやりましたし、何を血迷ったか長岡まで行って上越線で高崎、上野へ下ってくるなんていうのもやりました。で、日本地図を眺めていて経験していないのが2つあったんです。高山本線周りと飯田線周り。今回はこの飯田線周りをやってみようと思います。
 その筋の方ならご存知ですが、飯田線はダイヤだけ見ればとてつもなくしんどい。豊橋~辰野がクソ長い上に、移動の有効時間帯は普通列車の利用が強いられ、加えて駅数が死ぬほど多いときています。これが今まで使わずにきた最大にして唯一の理由です。ま、年の瀬の修行と思って今回挑戦してみますが。これが楽しいという人もいるのだろうな。年末にかけ天気は恵まれそうだからやるんですがね。中央アルプスや中央東線に入ってからの八ヶ岳連峰など景色が期待できますから。
 勿論神戸からの日着は無理ですので、豊川に宿を取りました。名古屋までも、草津線~関西本線のルートを取りますけど。
 気が重いですが頑張ります。

やっぱり万年筆ですかそうですか

 いまどき、しかもWeb関係の仕事に携わっていて、普段使用する主な筆記用具が万年筆であるから奇異に見られることが多い。別にそのようなことを気にする自分では無いけれど、最近ちょくちょくと文房具にお金をかける人を会社で発見することが出来て、要らぬお世話と言いながらも嬉しかったりするのである。
 今年のクリスマスプレゼントを何にするか散々迷ったが、結局もう一本万年筆を手元に置くことにした。今持っているのがペリカンのM800のBなので、大きく書くのには便利だけれど例えば手帳やメモ用紙に使うには都合が悪い。そんな訳で小型のFかMにするところまでは決まった。で肝心のペンであるけれど、セーラーか中屋のものにナガサワの神戸インクを合わせてみようかと思っていたのだが、どうもしっくりこない。他にも色々なメーカーを試した結果、ペリカンのM400のFに落ち着いた。一生モノなのでさすがに選ぶのも神経を使う。結局スーベレーンというありきたりの結論に達したのだが、書きやすいのだから仕方が無い。

う~む、書き味が最高にいい。

 しばらく使ってみて様子を見た後、元町の「Pen and Message」さんに調整してもらって最高の一本に仕上げます。
 
 ちなみに万年筆と比較して迷っていたモノはFilofax。システム手帳を使う習慣の無い人間が買っても仕方ないだろ、とのことでボツ。まあ、そりゃそうだけどさ。

ホームページリニューアル進行中

 ホームページ(「北京~モスクワ 第3・4国際列車」)をリニューアルしております。と言っても内容ではなく、ページの裏のコード部分をせっせとリニューアルしています。内容は鉄道サイトですが、私の練習も兼ねて作成したので、今では考えられないようなコードの類を使っており、いい加減SEO的にも宜しく無いだろうということで修正に乗り出した次第です。
 やっぱりWEBの技術を上げる為には、自分で何か一つでもプライベートで作ってみることじゃなかろうか。好きなように作れますからね。

 夏ころに一旦手をつけかけたチベット鉄道のサイト作成を、再度作成しはじめました。Flashで造りますが、これまたややこしいったらありゃしない。
 完成はいつになることやら

十二月十四日 その時赤穂は!

 今日は12月14日。南部坂 雪の別れです。で、本日深夜、正確には15日未明は吉良邸へ討ち入り。実際は旧暦ですけれど、細かいことは言いっこなし。と言う事で、自分の中では意外にも訪れたことの無かった、赤穂へ行ってきました。
 勿論忠臣蔵のストーリーは頭に入っており、ドラマや小説のイメージで街が出来上がっているところもあるので一体どのようなところかと楽しみに向かいました。神戸からなら播州赤穂まで新快速で一本ですが、ガソリン代も安くなったので車で西へ。姫路からすぐかと思っていたのですが、結構ありますね。道路が空いていたのが幸いでした。姫路には一年に一~二度くらいは行きますけれど、そこから先になると岡山に行くのでなければ行かないので、距離感が掴めない。

 丁度「義士祭」というお祭りをやっており、四十七士の仮装行列とかをやってました。行列には「名士」が出てたみたいで、「市長!」とか、「教頭先生貫禄あるね~」なんて掛け声がかかっていて郷土色満載でしたが、僕はこういうの嫌いではありません。日本らしくて大好きです。実際お客さんも多く訪れており、忠臣蔵好きにはある意味聖地ですから、好きな人にはたまらないのではないでしょうか。
 赤穂城は明治時代に取り壊しがされてしまって、今目にしているのは復元されたものらしい。でも見る限り平城としては結構大きく、往時はかなり立派だったろうと推測されます。今は三の丸であったところに住宅や畑がありますけれど。大石内蔵助の長屋門も残っていました。
 本丸跡には地元の小中高生が作った行灯がありました。習字の授業で書いたものを行灯にしています。すごいですね、この教育の仕方は。
習字の授業で義士教育。すごい。
 小学四年生が「討入」とか「義士」とか書いているんです。普通小学生の書く文字ではありませんが、ここは赤穂。郷土の歴史をこのように教え込んでいるとは!...何故か「清水一学」とかいうのもありましたが...。思いっきり敵方じゃないですか。さすがに「吉良」とか「上野介」いうのは無かったですけど。
 また忠臣蔵に関係する市町村がブースを設けて特産品を売っていました。瑤泉院生誕地の三次とか大石りくが返された実家のある豊岡、果ては遠く米沢(上杉綱憲の国許)まで。でもやっぱり本家愛知県吉良町のブースはありませんでした。あったら面白いのに。

 ちなみに吉良町では今日は吉良上野介法要日。
 ↓吉良町ホームページの案内が泣けてきます。頑張れ吉良!
 吉良町ホームページ

※掲載の画像は一部修正をしています

ソフィアの鐘

知る限り、挨拶で普通にお辞儀をする国民は、世界中でも日本人と韓国人だけでは無いかと思う。

 ソフィア駅で当日のイスタンブール行の寝台は問題なく手に入れることが出来た。まだ7時にもなっておらず外は暗い。出発は夜なので丸一日ある。ソフィアというか、ブルガリア随一の見所といえばリラの僧院だが、ソフィアの南120km程の山中にあるこの世界遺産は、ツアーでは必ず巡るところだけれど、個人で行くのにはソフィアを午前10時過ぎのバスに乗るか現地旅行社の主催する一日ツアーに参加するかだ。ソフィアに来るまではこの僧院に行くつもりだったのだが、旅行社は何処もやっていない。いや、早朝だからではなく、リラのツアーそのものがオフシーズンで客もいないため、催行していないということだった。一応車をアレンジしてもらうと100ユーロだと言うが、そこまでして行くつもりもない。バスで行くのは可能だったが季節柄道が悪いので、夜の戻り時刻がわからないという。では仕方が無い。ソフィアの街でも見物しようか。

 雰囲気の暗い陰気な駅ならば、駅前も陰気だ。バスターミナルが併設されているし、洒落たブティックも所々にあるけれど、街の雰囲気そのものに色彩が無いので、どんよりと感じられるのだろう。一応ガイドブックを持っているけれど、危険な風でもないので中心部まで歩いてみることにした。路面電車の走る道を歩くこと20分ほどで、中心部と思われるところに着いた。来てみたものの、結局この街の見所も教会しか無いので、他に何をするでもない。ヨーロッパの観光とはある意味教会を巡る観光で、日本人を惹きつけるような美術館や城があるような観光都市はほんの一部に限られる。何処に行っても教会とか修道院とかになるから、余程の宗教好きでなければ、でなければ3日もいれば飽きてしまう石造りの街並に感動し続けるような感受性の持ち主でなければ、ヨーロッパの旅行はアジアに比べて退屈に感じるだろうと思う。パリがおしゃれな街と言うけれど、例えば若い女性で言えばパリジェンヌよりもモスクワの女性の方がお洒落に思うし、概して西欧よりも東欧の方が食事が美味しいとも思え、ヨーロッパが伝統と連続と言うのであれば、100年前も同じ景色でしたよね、と思えるのはローマの街並よりもチェコやハンガリー辺りの田舎町だ。所詮日本人にとってのヨーロッパとは有名な観光地を期待通りの光景で見せてくれて、5分ばかり「モナリザ」や「最後の晩餐」を見ることが出来れば良いのだろうと思う。

 もう一度書きたい。ヨーロッパの旅行とは退屈な旅行である。と、散々に書いたけれど、しかし最もヨーロッパの退屈を体現したような教会に、実はヨーロッパ旅行の本当の感動があるのではないかとも思うのである。

 ソフィアとはギリシアで「智慧」を意味するのはよく知られている。では何故この退屈で面白くも無い街をソフィアと言うのか。その由来は街の中心のちょっとした丘にある東ローマ帝国時代に建てられた教会にある。
 その教会の名前は「聖ソフィア教会」という。街の名前はこの教会から名付けられた。東ローマ帝国時代のものと言っても長い間イスラム教徒の支配を受けたので、20世紀の初めには殆ど崩壊していたらしい。その頃の写真が教会に残っている。バルカン半島最大といわれるアレクサンダル=ネフスキー寺院を訪れた後、近くにあるこの教会を訪ねた。小さな東方正教の教会で、東方教会には珍しく石レンガ造りがむき出しの建物だった。
 カトリックのお決まりといえば、大抵十字架の形をした建物に、磔になったイエスの像がその中心にあるのだが、東方教会の象徴はイエスやマリア他、聖人たちのイコンである。旧教ではイコンを本尊に見ることは無いが、こちらでは逆に磔のイエスを見ることは少ない。キエフでもそうだったけれど、ここソフィアでも人々は非常に信心深いようで、常に誰かがお祈りをしている。共産主義は宗教を否定したが、逆に西欧よりも東欧の方が信心深く見えるのは何とも皮肉なものだ。旧教では両手を合わせて頭を垂れるのがお祈りだが、東方教会ではロウソクを持って頭を垂れ、十字を盛んに切るのが礼拝である。旧教にしろ東方教会にしろ、そして多分プロテスタントにしろ国教会にしろ、頭を垂れるというのは神への謙虚を表すものである。逆に言えば、頭を下げるというのは神を敬う時に行う行為なのだ。
 丁度私が聖ソフィア教会を訪れた時は質素なミサを行っている時であった。小さい教会で行われる15人ほどのミサであったが、自分の足を止めさせるのには十分過ぎる程の神々しさがあった。人々の生活に染み付いた礼拝は、その場に居合わせるエトランゼの言葉を失わせる程のものだ。出来すぎだように教会の鐘が鳴り、祈りの静かな声が最高潮に達した。
 
 ソフィアは面白くも何とも無い薄暗く陰気な街であったが、私の印象は決して悪いものではない。寧ろヨーロッパの何たるかを再認識させられる街であり、翌日イスタンブールで久々に聞くことなるアザーンと共に、この旅行を象徴するような街となったのである。

 欧米人が日本人を評して言う代表的な表現と言えば「礼儀正しい」である。韓国人がどのように言われているのかは知らないけれど、常に頭を下げて相手に接する日本人は、欧米人にとって「神を敬う行為を誰彼へと無く行う人々=礼儀正しい」と思われるのは至極当然のことだろうと思うのだが、考えすぎであろうか

59列車 モスクワ発ソフィア行 それは久しぶりにキツイ列車だった

 ミンスク発の国際列車に乗ってキエフに着いたのは朝9時前。ミンスクは吹雪であったが、ここも雪ですかそうですか。今回は雪にたたられるぜ!
 まずやることはキエフを出る明日の列車の切符を手にいれなくちゃいけない。駅の大きな時刻表では..ここまでくると西行きはよりどりみどりだな。ワルシャワ、プラハ、ブダペスト、ザグレブ、まああちこちの首都行きが選びたい放題。ここから西はビザの要る国が無いからラクだぜ。で、早速ブカレスト経由ソフィア行「ブルガリアエクスプレス」の二等寝台を切符売り場で購入。ミンスクもそうだったが、英語は勿論のこと、西洋アルファベットというものが一切無い。キリル文字だけの世界も最初は魅惑的だが5日もたてばご馳走様だ。
 発車30分前から列車に乗れる。もちろん暖房の一切効いていない氷の駅にいつまでもいる必要は無い。車内に入れば温かい暖房が待っているからね。さて自分の車両は何処かしら?ホームに降りると目の前はウクライナの国境近くのチェルニヴチィまで行く車両が数両あって、その次が自分の車両。ウクライナ国鉄の担当車両か。で、隣は..緑に黄色一本線。こいつはロシアの担当車両、ということはモスクワから来たやつだな。緑の車両が3両ついている。自分の隣から2両はモスクワ~ソフィアの車両で、その先の1両はモスクワ~ブカレスト。キエフ~ソフィアの車両は1両のみ。それでも乗客は10人ほどしか乗っていない。コンパートメントは4人寝台だけど、勿論自分ひとりで使えます。いや~年季入った車両だね~。ミンスクからは最新の車両に乗っけてくれたんで快適に来たが、この車両は年代物だよ。乗車してまず気付いたのは暖房が付いていない。氷の駅を避けるために早くから乗ってきてるのに、無茶苦茶寒いんですが。壁に地図が貼ってある。鉄道地図だ。国名がキリル文字で大きく書かれており「CCCP」と読める。西洋アルファベットに直すと「USSR」。おいおいいつの時代の地図だよ。今の20代に「USSR」と言ったって判らないだろうな。子供の時にこんな名前無くなってるんだから。しかも東ドイツと西ドイツも書いてあるんですが。マジですか?
 こんな車両だから当然のごとく車内は暗い。電灯は日が暮れるまでつかなかったからね。何の意味があるか知らんがこの車両の担当車掌が電気の元を切ってやがる。発車は午後3時40分だったが、ようやく暖房が効いてきたのは晩の8時。石炭暖房なのは当然ですけど、発車してから火を入れてました。ありえません。
 モスクワからの車両はキエフで6時間待ちでようやく出発。ロシア~ベラルーシ~ウクライナと2本の列車に乗り継いできたのだが、夕飯は共に食堂車で食べてたんだけれど、今度の国際列車、食堂車が付いてません。それを見越してキエフ駅でバンを6個とミネラルウォーター1.5リットルを仕入れていった私は偉いと思います。この骨董品のような列車で2泊3日、食事は全てパンでした。
 まあ、昔の普通の旅行者の旅行はこんな感じだったんだろうと思いますね。食堂車は値段が全く違いますから、本来贅沢なものなんです。
 朝起きたらいきなり国境なのだが、この幽霊列車に乗っていて一つ心から嬉しかったのは、この場面。なぜなら景色から雪が消えたからだ。国境を越えるとルーマニアの大地。何処までも畑が続く。北海道の美瑛あたりを100倍くらい大きくしたような風景だと思ってもらったらいい。万歳ルーマニア!雪とはおさらばだぜ!でもこの国では降りないけど。
 ルーマニアを抜けるのに12時間かかった。線路状態も悪い。唯一良かったのはブラショフ~ブカレストを結ぶ区間。さすがにここはウィーンとかの西洋からの国際列車が通るので、しっかり保線してます。国の見栄もありますからな~。
 深夜にドナウ河を渡ってブルガリアに入る。朝の6時5分、ソフィア駅に到着。目覚ましを一時間間違えており、到着して「アンタまだ寝てたの?」と強制的に車掌に起こされ、文字通り駅に放り出された。
 うげ。ソフィア、寒いっす。

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プロフィール

Mr.Problem

Author:Mr.Problem
東京移住。
職業:雲のジュウザ
根本思想:世界人民大団結万歳(笑)
多少、あちこちに行ってましたが、。結婚してからはめっきり諸外国へ出ることが少なくなりました。せめて一年に一度くらいは海外には出たい。元パッカーの習性で旅行は旗持ちではなくほぼ個人旅行。基本的には今世界で起こっていることについて思うところや、今まで行った街の印象を徒然に書いていきます。
みなさんが世の中について考える何かの助けになれば。

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