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隅田川を渡って山の手へ走る走る走る

 所用で錦糸町へ出ました。総武線で浅草橋を過ぎるとすぐに隅田川を渡る鉄橋に。昨日の雨が嘘のように綺麗に晴れ渡っていたので、非常に気持ちがいい。渡るとすぐに両国駅。際に両国国技館があります。一度相撲は見に来たいと思っています。
 いわゆる下町と言う場合、台東区、荒川区、墨田区、江東区、葛飾区あたりをさすのでしょうが、概ね山手線の内(それも北~西より)を山の手と言うのであれば、下町としては墨田区を中心とする隅田川と荒川に挟まれた地域がその中心と言っていいのだろうと思います。この地域は街が碁盤の目状で東西南北が非常に整然としています。走る電車は主に東西を結ぶもので、最近になってようやく地下鉄が走ったものの、南北方向の移動については主にバスがその役割を担ってきました。錦糸町駅は東京でも有数の都バスのターミナル。あちこちからバスが集まってきます。

 錦糸町から帰る時、さてどうしたものかと思いましたが、山の手から唯一隅田川を渡ってくる都02系統の都バスで帰ることにしました。
 都02系統は都電16系統のルートを忠実に走るバスで、錦糸町駅と大塚駅を結びます。路線バスとしては距離を走りますが、相当本数が多く、大体10分に一本程度やってきます。30分に一本とか1時間に一本とかいう路線が多くがある中でこのような路線は重要です。都電の時代、東京中に多くの路線が張り巡らされ、最盛期には41の系統がありましたが、山の手から下町へは厩橋とか永代橋などまではそれなりに来るものの、隅田川を渡る路線は多くはありませんでした。この都電16系統=都02系統は錦糸町から厩橋で隅田川を渡り、蔵前、御徒町、湯島、本郷、春日、小石川を過ぎて大塚駅に至ります。
 地下鉄やJRで行けばもっと早く帰れるのですが、こう晴れていては地下鉄に乗るなどもったいなく、JRで帰る程急いでなければ、バスで帰る方が楽しい。地下鉄も丸の内線とか銀座線とかの地表浅く走る路線ならいいのですけれど、自分の生活路線である副都心線とかになると、駅まで降りるのが面倒臭い。であればそのまま乗れるバスで行く方が景色も見れて楽というものです。都内は休日であればそんなに言うほど渋滞がある訳でもないので、時間にもそれ程神経質になる必要もありません。自分の乗ったバスも爽快そのものでした。錦糸町からバスは満員、上野広小路でそっくり入れ替わりましたが、文京区内も程良い混雑で走っていきます。途中で過ぎる隅田川の水上バスや湯島天神、小石川伝通院も一度行かなくてはいけませんね。
 大塚駅まで約1時間弱。ここからは都電で鬼子母神前まで。いい小旅行になりました。

●山の手~下町を結ぶものとしては
都02系統(大塚駅~錦糸町駅)
他、草63系統(池袋駅~千駄木経由~浅草雷門)など
※あまり無いです。JRか地下鉄を使えとのことでしょうか。
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絶好の散歩道~東京大学

 さてこうも季節が良くなってくると家にこもっているのがとても勿体なくなります。と言って用も無く繁華街に出てしまうと単に疲れることになってしまいます。
 私は新しい街に引っ越す度に自分なりの散歩道というのを用意するようにしています。何が無くともぼーっと落ち着いて歩ける道ですね。ここ東京はただでさえ人が多くて疲れることが多いので、自分のお気に入りの道をつくらないと人疲れをしていけません。今回はそんな私の散歩スポットの一つである東京大学を案内したいと思います。はい。東京に居を構えてから天気の良い日は既に何度か来ております。

 今さら東大の説明をする必要はありませんが、ここは敷地が広く緑が多いのでぷらぷら歩くのにはぴったりです。正門を入るとすぐ左に工学部列品館。右手に行くと教育学部の方へ。まっすぐ銀杏並木を行くと左に法学部、右に文学部を見て正面に安田講堂を迎えます。この大学は建物が古いものばかりですので、余計に落ち着いた空間となっており、また二年までは駒場の教養学部に押し込まれるので、国立大学でもトップクラスの学生数であるにも関わらず、歩いている学生がそれ程多くない。ましてや日曜ともなれば家族連れが私と同じような感じで散歩しに来たりしているので、のんびり歩けます。ここで全共闘が火炎瓶を投げたり機動隊が放水していたなど信じられませんね。並木道を安田講堂まで出てもいいですが、途中の文学部の建物である法文二号館をくぐってこれまた古く巨大な図書館の前に出てみたい。すると、左手にこんもりとした雑木林を見ます。この雑木林を降りていったところに有名な三四郎池があります。
 元々東大は加賀藩の敷地に建てられている訳で、赤門が加賀藩の門であることは知られています。この三四郎池も加賀藩のお庭にあたるところに湧いている自然の池です。明治の頃、小泉八雲はこの池の周りを散歩するのが常だった、というのが漱石の「三四郎」に出てきますし、勿論この池の通称はこの小説「三四郎」から来ている訳です。となると夏目漱石もこの池の周りを廻ったに違いなく、その当時から何か思索をするには適当な所であったようです。現在の三四郎池はほぼ自然のものに見えるくらいの雑木林に囲まれており、その周りの遊歩道を散歩する人が多く見られます。三四郎池を東に出ると運動場と剣道場。そこを過ぎると東大病院となります。
 かって京都に住んでいた時、京都大学も勿論歩いているのですが、百万遍交差点から構内に入ると大学そのもの。吉田山の方に向かえば少しは変わりますけれど、ぷらぷら散歩するのには落ち着いた空間では無かったようです。歩きたいだけなら銀閣寺から哲学の道の方に向かってしまいます。そういう意味では東大は「都会のオアシス」的な場所で緑も多く、気分良く歩けます。
 安田講堂から東に理学部の方へ抜けて弥生の住宅地へ出ても静かな空間ですね。私は東大病院の脇から鉄門をくぐって無縁坂から不忍池に出ますが、病院前からバスに乗ってしまうのもいいかもしれません。
 東京は意外に緑の多い街ですが、その中でもここ東京大学は、そもそも落ち着いた空間であるところに緑も抱えているので、ちょっとした時に散歩するのには絶好の空間だと思います。

●東京大学
茶51系統(駒込駅~秋葉原駅)か東43系統(東京駅~荒川土手)にて
「東大正門」「東大赤門」下車
又は学07系統(御茶の水駅~東大構内)、学01系統(上野駅~東大構内)にて
「東大病院」「東大構内」下車

みちのく行き?

 ゴールデンウィークは出勤決定となったので、代わりと言ってはなんだが、来週末の連休を使って何処かに行こうかしら。最近思うのだが、毎日仕事にとりかかっていると、休みに家でゴロゴロしているのがもったいない。で、自然と街に出ることになる。毎年ゴールデンウィークは国内旅行に出ることにしていたが、今年は仕方が無い。代わりの五月後半の4連休は海外に出ることになりそうなので、週末旅行に行くことにしようと思う。
 色々探してみたが、所詮一人旅の気楽なものなので、久しぶりに鉄道旅行でもしてみようかと思う。場所は色々考えたが、関西に居た時には遠くて仕方が無かった、北東北でも行こうかしら。丁度4月の末頃は弘前辺りで桜が綺麗だと聞く。上野発で唯一残った青森行は、夜行特急「あけぼの」であるけれど、いい時間帯に弘前まで連れていってくれる。フリー切符を使って帰りは秋田新幹線で帰ってくれば良い。おっと真面目に検討してみるとするか。

天皇の日本

 天皇夫妻が金婚式祝いの記帳の集団にいきなり現れたとの記事がありました。皇室もこのような事をするようになったのかとさすがに驚きましね。著名な評論家が皇室は軽々しく動くべきではなく、「身近な皇室」を演出(実践?)することは、皇室の権威が薄れるから反対だ、みたいな事を以前テレビで言っておりました。皇室に神秘性を持たせ伝統という鎧で権威を守るという考え方であれば、天皇夫妻が積極的に表に出るという昨近の姿勢は容認できないのかもしれません。
 以前も書きましたけれど、日本の対外的な顔も内向きの元首も、実のところは内閣総理大臣ではなく、天皇なのではないかと思っています。おっと。誤解されるといけませんね。私がそのような事を望んでいるのではなく、現実としてそうではないか、という事です。これだけ政治が無茶苦茶で外にも内にも国をまとめきれない総理大臣が続く状況で、ここ一番という時にどれだけの人が政治の言う事を聞くのか疑問に思います。どうも漠然とではありますけれど国難がやってきそうな中、でありながらも「大丈夫に違いない」と思い込もおうとしている現状で、誰のもとに国がまとまるかと言えば、幸か不幸か、それは総理大臣ではなく天皇の名の下にということになるような気がします。
 昭和天皇が、太平洋戦争が終わるまで最大の権力を持っていると思われながらも実は国家の歯車の一つに過ぎないという所謂「天皇機関説」は、あながち的外れではないようだということが最近分かってきました。昭和天皇が激怒し「私の言う通りにしろ」とほぼ自分の意思にて片付けようとした問題は二・二六事件が有名ですけれど、例えば開戦にしろポツダム宣言受諾にしろ、そうせざるを得なかったという状況に周りに追い込まれたような節があります。
 今の天皇の行動を見ていると、自分の意思とは別の力で決められてきたものに抗すること=自分の意思で行動するということが、相当の部分に於いてあるような気がします。自身の持つカリスマを危険な方向に使うのではなく、こういう時期だからこそ自分に何か出来ないか、くらいの事は考えているんではないかと思えるのですが、果たして本当のところはどうでしょうか?
 もう一度誤解を生じさせてはいけないので記しますと、私は天皇主権にも天皇万歳にも心底反対です。が、一方でその存在が現実として持つ権威や影響度を否定するものでもありません。

 評論家くんだりも皇室の権威がどうのというのであれば、最もその権威を落としている各週刊誌の皇室記事についてどなりつける方が先だと思いますがね。

皇居巡りの夜のサイクリング~何とも健康的です

 こちらに来てから部下に恵まれたせいか、やる気満々で次々と仕事を片付けてくれるので、周りのフォローに気を使わず自分の仕事を確実にやっとけばいい毎日なので有難い。入社以来こんなにもストレス無く、また体力的にも楽な毎日などあっただろうか?帰りにしても直属の上司が真っ先に帰ってくれるので、これもまた非常に有難い。毎日遅くとも8時半には会社を出ているので、ジムでも行こうかしらと考えている。
 で、今日も有り余った体力を持て余していたので、帰宅してから思い立って自転車で街に出てみることにした。最初は飯田橋あたりまで行って帰ってこようと思ったのだが、片道20分、帰りの坂を考えても1時間もかからないことに気付き、もう少し走ってみようという気になった。飯田橋が九段下、九段下が竹橋となり、気がつけば皇居まで出てしまっていた。夜の皇居は当たり前だが暗く、内堀通りを挟んで反対側のビル街はまだ電気が煌々とついていて、この対比が何とも不思議な光景である。それでもって気づいたのだが、この時間、まあ夜の10時過ぎだけれど、結構な人が皇居のお濠沿いを走っているのだ。夜のランニングというやつ。20代と思しき人から中年まで、果ては外国人なども、男女を問わずかなりの人とすれ違った。なるほど皇居一周はそのランニングコースとしては適当なんだろう。しかしこの人達は何処に住んでるんだろうか?こんなだから、東京のど真ん中であるけれども危険な事は無い。結局二重橋から桜田門まで出てしまったので、ここまで来たら引き返す気にもならず自分も一周することにした。東京タワーのライトアップが綺麗だ。霞が関の官庁街は電気つきっぱなし。官僚の残業問題(タクシー問題)が少し前に騒がれたが何となく分かるような気がする。丁度この桜田門が自宅から見て一番低い所にあるのであとは登るだけだ。国会議事堂の方から行こうかと思ったけれど、議事堂前の坂を見て嫌にやり、結局お濠沿いを三宅坂から半蔵門の方へ出た。まあこっちも坂だけど。三宅坂は元々彦根藩邸があった所。桜田門からも近い。井伊大老にとっても僅かな距離であったハズだけれど、永遠の距離となってしまったなあ、などとつまらぬ事を考えてみる。半蔵門からは千鳥ヶ淵を通り、靖国神社を突っ切って牛込見附へ。ここで警官の職質にあった。どうも警視庁は仕事に真面目なんだか知らないが、何処の派出所でも大抵玄関前に立っている。まあ、これが当たり前であって他の街の警官が不真面目なのかもしれない。人不足なのか空っぽの派出所が関西には多かったですから。で、この職質、要は自分が無灯火で走っていたから呼びとめたらしいが、車両番号がどうのとか言っている。面倒になってきたので、勝手に好きなだけ調べてください、と自転車を渡して、見附跡の石垣を見ていた。繁華街のど真ん中に石垣があるのが奇妙な光景だ。元々外堀から入る橋のたもとにあたるので番所が置かれており、その跡である。このような見附という地名があちこちに残っている。赤坂見附、四谷見附、市ヶ谷見附等々。当たり前の話だが問題などある訳もなく、ご協力ありがとうございましただと。敬礼などされてもなあ。
 で、神楽坂から早稲田大学の方を経て帰ってきました。学習院下からの千登世橋までの400mの坂がやっぱりしんどい。
 適当なスピードで走って警察の職質の時間も含めて丁度2時間。いい運動になりました。これが毎日続けばいいのだろうけど。

天晴御江戸春満開

 はっきり言って朝から仕事のヤル気ゼロ。天気が良く暖かくなって、こんな時に建物の中にこもっているのは不健康以外の何物でもない。ひたすら夜が来るのを待っていた。終業とほぼ同時に会社を出る。この季節のこの陽気に、だらだらと半分はクセで残業しているヤツらはバカ以外に形容する言葉が無い。近くの駅から地下鉄で早々に新宿を後にした。目指すは九段下だ。
 九段下駅は混雑していた。みなさん目的はただ一つ。桜を見るために訪れている。
 少し前に書いたけれど、まさに同じように九段下の駅を降りて坂道を、人の流れを追い越していくと、左に田安門とその向こうに日本武道館を、右に靖国神社を見る。靖国通りの歩道は人で埋まっていた。そりゃそうだ。都内でも有数の桜の名所である千鳥ヶ淵に行く人波だ。
 今日は朝からここに来ると決めていた。有名な桜並木だが、どんなものかと期待して行ったのだが、結論から言うとこれまで見た桜並木の中で最もスケールの大きい、形容し難い桜桜桜であった。京都、大阪、神戸の桜の名所は大抵は行っていると思うが、この千鳥ヶ淵は比べるべくもなくとてつもない。勿論並木が多いから綺麗と言う訳ではなく、数が少なくても主張する桜並木はあるものだけれど、ここは美しいことについてもケチのつけようが無い。北の丸公園側にも桜並木が淵に向かって咲き降りており、それがお濠の水面に映って「逆さ桜並木」を描いている。だから余計に迫力がある。これぞ日本の風景の真骨頂。お濠も広いので、遠くに抜けるような光景で息をのんだ。

 こりゃすげぇや。

 残念ながら京阪神にはこのようなスケールも美しさも兼ね備えた桜並木は無かった。いやあ、東京の人、この景色を放って他に見に行くのは勿体無いです。

 もし関西でこのような息をのむ桜があるとしたら、吉野の桜ではないだろうか。おおそうだ、思い出した。吉野は山全体を取り囲むように桜が咲いていた。奥千本まで行くとなると相当に歩かされるけれど、歩いた価値はあったように思う。

 千鳥ヶ淵で相当に満足したが、日本が最も美しくなる季節。ここだけで今年を終えてはいけない。取りあえず明日は、徳川吉宗が整備した桜の名所である飛鳥山に攻め込みます。

皐月の4連休

 ゴールデンウィークに出社する代わりに、ゴールデンウィーク明けに4連休を得ることになった。さてさてどうしたものかしら。今までなら国内旅行に行くのだけれど、相方は仕事なので国内にいる必要もない。夏休みまでは大人しくするつもりだったが、ちょっくら出てみることにするか。
 成田は関空とは違う。飛んでる都市数も便数もケタ違いだ。とは言うものの、4日で行かれる所など限られてくるので、欲張りは出来ない。シンガポールを初めに考えた。町自体に興味は無いが、成田~シンガポールにはA380が飛んでいる。例の2階建飛行機というやつだ。去年の11月、ドバイでエミレーツの同じ型を見た。ドバイ発ニューヨーク行に就航しており、それを間近に見る機会があったのだが、隣に駐機していたA330が小さく見えた。これだってそんなに小さい訳ではない。うーむ乗ってみたい。しかしシンガポールに用は無い。
 となるとやっぱり中国になるのか。省とか自治区とか直轄市とか特別行政区という所には全て足を踏み入れた。が、何度も行っているけれども何故か滞在していない、見所たっぷりの都市が3つある。西安、南京、瀋陽だ。勿論列車で通過したことは何度もある。駅のホームには降りた。しかしこれでは訪れたことにはならない。つまり私は始皇帝陵や中山陵を訪れていないのだ。これは自分でも不思議に思っていたのだが、マズいんじゃないか。特に西安は。4日あれば北京から列車で入って兵馬俑とかも併せて観光して上海に抜けられるなあ。こんな日程は勿体ないですか?
 北京から丹東行のK27次に乗ってもいいかしら。これは単なる列車では無い。週に何度かは行き先表示が「平壌」となる。将軍様の国行き直通列車です。といっても、朝鮮まで行くのは全体の2両だけで、丹東から鴨緑江を超えるのだ。当然この車両に乗るのにはビザがいるので、その他多数の中国車に乗るしかないのだが。ちなみにこの2両の車両は中国編成と朝鮮編成があり、朝鮮編成は将軍様専用列車の次に車内設備がしっかりしているらしい。北京駅で見たことありますが、不気味な雰囲気を醸し出してました。
 いや、今回は東南アジアに足を踏み入れようかとも思っているのです。でもどうしようかと。何故なら、私は暑い所が苦手なもので。そうです。ロシアとかそっちの方が専門ですから。

昭和を見たけりゃ大阪に行け!

 日本の風景として代表的な街をあげる際、京都と奈良が有力な街であることには異論は無いでしょう。丁度今は桜の季節。JR東海のポスターが醍醐寺の桜の風景をデカデカと東京の街に飾り立てています。

 京都に6年ほど住んでいたこともあり、多くの人が持つようにお寺の風景と「和の心」を日本の風景と考えていたことがありました。東京での関西の紹介と言えば一に京都、二に神戸ですが、昭和を日本の風景という点から見たら、実は最も「日本」を色濃く残している街は大阪では無いかと思うのです。

 「三丁目の夕日」シリーズや「プロジェクトX」が話題になった何年か前、日本の風景は「昭和」でありました。ひょっとしたら今でもそうかもしれません。お寺の風景に心のよりどころを求めるよりも昭和という時代にノスタルジックを感じることに日本を意識するという空気がそれとなく流行りました。遠い昔のお寺の話よりも東京オリンピックや新幹線などが造られた「日本が元気だった」時代を振り返ることに日本を感じ取る等々。

 大阪で最もレトロな雰囲気を持つディープな空間は「新世界」でしょう。古いのに「新世界」。通天閣があるところですが、ここは街並みから雰囲気から、多くの人が想像する「昭和」そのものです。勿論街並み保存などという美辞麗句から守られたのでは無く、再開発から取り残された街といった方が正しい。新世界の北西の出口が恵美須町。ここから堺の方にこれまた時代に取り残された郊外電車「阪堺電車」が走っています。一体平成も二十年が過ぎたというのに、この時代の止まり方は何なんでしょうか?駅はオンボロ。郊外電車とは言うものの、所々は路面電車になります。最近は新しい車両も入りましたが、旧大阪市電にそっくりの昭和30年代の車両や、なんと昭和3年製造の車両も走っています。他の電鉄会社と違い、保存する為に残していたのではなく、単に廃車する必要が無かったから走らせているらしいです。私も二回ほど阪堺電車を利用したことがあるのですが、二度ともたまたまこの最古参の車両にあたりました。日本で営業用に残っている電車としては最も古いそうです。なんせ、D51が出てくる前から走っていますから。
 この電車で恵美須町から住吉大社へ行ってみるとよろしい。西成のど真ん中をつっきっていくのですが、残念ながらこの線路筋の街並みは京都や神戸では殆ど見られなくなりました。住吉大社に参拝したあとは、南海電車で岸里玉出へ。ここからは南海汐見橋線に乗り換えます。
 この汐見橋線、大阪の「区」を走る路線としては信じられませんが、ラッシュ時も含めて一時間に綺麗に二本しか走っていません。元々は南海高野線の一部ですが、難波にターミナルを集約したあおりを受けて、この末端部分だけ切られました。この路線がまたディープ。鉄道ファン的に言うと線路とか架線柱とかもすごいのですが、カタギの方向けには西天下茶屋駅周辺の西天下茶屋商店街などの西成ど真ん中の風景がおすすめ。確か連続テレビ小説の舞台にもなったハズです。この西天下茶屋駅も見るからにレトロの三文字で、大正の終わりとか昭和の初めとかに造られた雰囲気で泣きたくなります。その先にある木津川駅も「モダンな建物」ですが、ウィキペディアによれば一日の乗降客数は平均88人(2007年度)。駅舎は大正時代製。ここも一応大阪の都市圏です。終点の汐見橋はついこないだ阪神なんば線が真下を通るようになりましが、この駅も強烈です。駅には、「昭和30年代のものです」と書かれた「南海沿線観光案内図」が残っています。これもわざと残していたようには到底思えるものではありません。今にもはがれ落ちそうです。保存しているのならきっちり修復をしているハズで、ずうっと放っておいたらいつの間にか40年ほど経ったという感じでしょう。「現在の沿線案内については係員におたずねください」と但し書きがあるくらいで、今は無き「淡路交通」の電車路線図とか、和歌山~白浜航路とかいうのが書かれています。しかし昔の人は丁寧な仕事をしますね。この汐見橋駅も古臭いのですが、駅舎内はアーチ型の柱とか石造りの出札所など非常に「モダン」に造られています。そういえば阪堺電車の昭和3年生まれの電車もそうでした。内装は非常に凝っています。今の機能第一の設計とは対極にあるのですが、このような建物や車両が造られないのは、単に「古いから」とか「非実用的だから」という理由だけでしょうか?
 とてもそうには思えませんね。
 「昭和レトロ」が人気を集めるのはこのような「理由」ではないかと思います。「昭和」に日本を求める方は、是非大阪を訪れては如何でしょうか?京都にも神戸にも無い不思議な日本がそこにはあります。

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プロフィール

Mr.Problem

Author:Mr.Problem
東京移住。
職業:雲のジュウザ
根本思想:世界人民大団結万歳(笑)
多少、あちこちに行ってましたが、。結婚してからはめっきり諸外国へ出ることが少なくなりました。せめて一年に一度くらいは海外には出たい。元パッカーの習性で旅行は旗持ちではなくほぼ個人旅行。基本的には今世界で起こっていることについて思うところや、今まで行った街の印象を徒然に書いていきます。
みなさんが世の中について考える何かの助けになれば。

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