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T10次 重慶発北京西行 取れたってさ

 入手至難と言われる重慶発北京西行T10次の硬臥切符が無事取れたとの案内が、上海の旅行会社よりあり。15年ぶりに重慶再訪と相成りました。走行距離2087kmで、2年前に乗ったT8次成都→北京西よりも若干長いけれど、T8次が秦嶺山脈と蜀の桟道という険しい地形を超えるのに対し、同じ中西部でも漢中の端っこをかすめ、荊州から洛陽を経て中原に出る為、時間的には速い。25時間弱の旅といったところでしゅ。途中には「関林」とか「襄樊」(かつての襄陽)、南陽などの地名あり。三国志ファンの方ならご存知の辺り。何故か快速(日本の急行に相当)ばかり乗る機会が多いのだが、今回は特快(特急に相当)で、しかも伝統の列車だから気分も盛り上がってくるっていうもの。







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漢口の洋館

 重慶から乗ってきた長江下りの船は夜に漢口の武漢港へ着いた。時間は18時過ぎ。普通ならすぐに宿を確保に行くのだけれど、取りあえず一服しようと夕飯を取ることにした。

 漢口のメインストリートである中山大道は、メインと言っても非常に狭く、トロリーバスが行き違いをするのがやっとである。
 解放前、漢口には列強の租界があった。大体中国の列強租界は上海とか天津とか厦門などの沿海部にあるものだけれど、長江を遡ったこの街にも列強の力は及んでおり、英、仏、独、露、そして日本もこの地に租界を持っていた。漢口と言うけれど、街自体は当時武漢三鎮と呼ばれており、漢口の他、漢江を挟んだ対岸の漢陽、そして長江を挟んで南に位置する武昌の街で都市は成り立っていた。1937年の南京陥落ののち、国民政府は武漢を飛び越えて重慶に遷都してしまったが、その理由の一つとして武漢が列強の影響下にあったことがあげられる。今でも一般的に漢口と呼ぶことはなく、街を指す場合は武漢と言う。その中でも漢口は列強支配の名残で石造りの洋館が非常に多い。街のシンボル、長江沿いの武漢関の時計台も見事な石造りの洋館である。上海でも旧香港上海銀行をはじめとして洋館が立ち並ぶが漢口の方が圧倒的に数が多い。メインストリートの中山大道もその昔、租界の中心街であった。
 大体中国とは不思議な国で、1960年代後半から70年代にかけて四旧打破を叫んだ文化大革命が吹き荒れ、文化、思想、風俗、習慣の「古きもの」の打倒により、紅衛兵によって「修正主義者」の吊るしあげと共に盛んに寺社仏閣や教会など古い建物が打ち壊されたが、何故か帝国主義時代の建物である多くの洋館は壊されずに今に至るまで使い続けられている。それも保存という名目ではなく、実際に施設や住居として使われているのだ。有名な外灘は言うまでもない。また上海の山陽路や大連の南山街を歩いてみるがいい。戦前に日本人が建てた建物が、普通に住居として使われているのが分かるだろう。

 余裕をかましていた漢口のホテルだが、目指すホテルは再開発の為に取り壊されており、近くにあったこぎれいな宿も外国人宿泊禁止のホテルであった。仕方なく、昔の洋館をそのまま使った璇宮飯店に泊まることにした。自分の予算からすればべらぼうに高かったが、夜も遅かったし何よりも58時間の船上旅行明けで体も疲れていた。ベッドは当然フカフカ。なんとクーラーまでついていた。勿論古めかしい趣のあるこのホテルで、こころゆくまで滞在ホテルステイを満喫したのは言うまでもない。

 思えばこの街からだ。アジアに戦前の古い建物を見つけるのことを楽しみの一つとするのは。

 私が漢口を訪れたのは94年の9月である。その後中国は一気に成長の階段を登り、街の風景は変わり果てたところも多い。今は漢口も再開発の波に洗われて、趣のある石造りの建物が少なくなってきているようだ。上海の山陽路や大連の南山街はまだその雰囲気を残しているが、訪れるのなら少しでも早く行かれることをおすすめする。

インフルエンザ 神戸ですかそうですか

 って言うか、神戸高校なら、使っている駅は王子公園か灘駅か、さもなきゃ三宮神社~阪急六甲の市バス2系統か。2月末まで近くに住んでました。中央区から東灘まで休校で、神戸市が芦屋にまで休校要請してるってマジですか?でも会社員は出勤停止にはならない。そこいらに住んでいる人達が毎日大阪まで空気を送っているし。騒ぎすぎかどうかは微妙だと思ってたけど、死人まで出ている風邪が国内で出たからなあ。
 もちろん我が会社にとっては、流行カゼよりも目先の業績のほうが大事でつ。
 会社万歳!

日本はまだまだ大丈夫!老年パワー爆裂のとげぬき地蔵

 会社のスタッフに勧められたので巣鴨のとげぬき地蔵を訪れた。「おばあちゃんの原宿」などと揶揄されていたのでどんなものかと思ったが、なるほど噂通りだ。都電の庚申塚で降りた目の前が地蔵通り商店街。四の日縁日とかで屋台が出ており、老年善男善女で溢れ返っている。テキ屋が売っているのも演歌のテープとか健康金属の腕輪とか薬とかパンストとかそんなのばっかり。たまに出てくる食べ物屋台がお好み焼き300円とか三陸ワカメ1000円とか。不忍池の出店のお好み焼きが平気で500円以上取ってくるから、東京ではそれくらいなのかと思っていたが、やはりこのような正価もある所にはあるらしい。で、肝心のとげぬき地蔵だが、「ここ左折です」という看板を曲がったらすぐお堂だった。どんな所かと思っていたけれど、とてつもなく小さいお寺だった。来ているのは勿論言わずもがなであるけれど、自分と同じような感じで来ているような興味本位の大学生とかも何人か見られた。しかし何なんですか?この元気な空間は。

 すぐ近くに巣鴨駅があったが、ここはバスで出ることにする。雷門行のバスで、超満員。乗客は自分が一番若かった。次に若そうだったのは60歳を越えているような人たち。こんなバスでのんきに座っていたら、大ひんしゅくを買いそうだ。バスは白山、東洋大学から団子坂を下って千駄木の方に進むが、とげぬき地蔵前から乗った多くの人は西日暮里駅で降りた。ちょっと待て、地蔵前から巣鴨駅はすぐ。西日暮里駅で降りるなら山手線を使えばいいじゃないか、と思ったが、やはり年配の方達、段差のある駅を乗り降りするよりも、ノンステップ車が多く走り、道路からすぐに乗れるバスの方が便利なのかもしれない。さもなければ敬老パスの威力か。電車とは比べ物にならないくらい時間がかかったとしても...。西日暮里からも年配の方々が多く乗ってきて座れる雰囲気では無い。結局三ノ輪橋手前の大関横丁まで立ちっぱなしだった。

 そんなことを今日会社で話をしていたら、「東京の坂」のサイトを作ったらどうですか、と言われた。谷根千とか南池袋や南大塚辺りの昭和丸出しの風景を徘徊するのが好きだ、みたいな事を話しているついでから、坂の街東京について話題が向いたのだ。いや軽く言わないでください。なんせ23区で675も名前のついた坂があるんです。

 とか言いながらも少し乗り気になってきた。サイトを作るかは分からないけれど、あと何年いるか知らないが、この「名前のついた坂」に限って全部制覇しようとするのも何気に面白いかもしれない。あくまで、楽しみに一つとして、ですが。
 
●とげぬき地蔵(高岩寺)
草63系統(池袋駅~浅草雷門)にて
「とげぬき地蔵」下車

山手線の内側の人たち

 会社のスタッフYさんは、東京生まれの東京育ち。所謂「やねせん」と言われる地域の人である。「やねせん」とは谷中、根津、千駄木のこと。最近東京の中でも昔からの雰囲気が残る場所として人気のある地域。上野の北、鴬谷や日暮里の西側にあたる地域のことで、東京のど真ん中もど真ん中であるけれども古くからの住宅街で、Yさんもギャルの雰囲気丸出しで社員の中でも異彩を放っている。ウチの会社って金髪OKだったんだ。両さんとかに出てくるような絵に描いたような裏表の無いキャラで、「食べることが死ぬほど好きなんです」などと喜々として喋っている。私も好んでこの界隈を徘徊しているので、為になる話を色々としてくれて助かっている。

 部下のF君は埼玉生まれの赤羽橋在住。東京タワーの裏に住んでいる。彼は港区が活動範囲なので、大体会話には六本木がどうだ、とかをいつもペラペラ喋っている。どちらかと言えば私が歩くのに疲れる地域を得意としており、あまり自分の為にはならないのだが、いつか役立つこともあるかと思い、その半分は武勇伝を務めて聞くことにしている。

 上司のKさんは大阪出身だが大学の時に上京してからはセレブを夢見て活動している。ウチの給料でどうしてやっていかれるのかは知らないけれど、品川の3部屋もあるマンションを購入して毎日お台場の方を見ながら生活しているらしい。当然のことながら所帯などある筈もなく独身貴族を謳歌している。関西時代からこの人は知っていたけれど、毎週ホームパーティーで人を集め、そうでなければでそこいらのゴルフ場を荒らしまわっている。ほぼ定時に帰る時は合コンというのは周知の事実で、半年間に30万円程費やしたらしい。それでも極力ホームパーティーなどで費用を抑えたというから恐れ入る。勿論全くその金は身になっておらず、もっとその金を自己向上の為に使うんだった、とぼやいている。実家は大阪なのに蓼科に別荘を持っているとかで、仲良くしていて損は無いかも、と最近思いだした。ちなみに私の携帯はソフトバンクであるが、Kさんから、IT系の仕事をしていてiPhoneを使っていない、などと意味不明な理由で人間扱いをされなかったので、とうとう購入してしまった。

 関西時代の先輩Sさんは、私より一足先に東京に出てきた。住んでいるのは駒込。大阪にいる人はなんでこんなとこに住んだのだろうと首をかしげていたが、なるほどその気持ちもわからなくもない。神戸六甲道にマンションを買って住んでいたのだが、あえなく東京転勤となった。神戸時代に王子公園周辺に住んでいた私にとっては最も家に近い会社の人で、その当時から何かと仲が良かった。少し一歩引いたような住宅街が好きなので、洗練されたアーバンライフというイメージでは無いのだ。

 明日はそのYさんのすすめで巣鴨のとげぬき地蔵に行きます。まあ地蔵がどうこうよりも、参道の試食でおなかいっぱいになれますよ、などと食べる話しかしていなかったけれど。

五月去渝

 くそっ!
 どのように日程をひねくりまわしても4日で桂林滞在が出来ないことが判明。いや、行って帰るだけならOKなのだが、桂林往復に飛行機を使うなどの飛び道具を使わないと厳しい。そんなの当たり前じゃないか、だって?決まっているじゃないか、列車を利用するつもりなのだ。
 当初の予定では上海から南寧行の列車に乗るつもりだった。これは問題ない。だが、帰りの桂林から上海までの足がどうにも時間帯の都合がつかない。一旦広州まで出てそこから上海までの飛行機を使うなど、バクチ要素が充満している。広州往復は日本との飛行機代の問題があり、次善の策として香港往復を狙うのだが、こちらは航空券は安く出ている。しかし、往路の鉄道利用はいいとしても、帰り、広州6時半着で13時までに香港空港に辿りつかねばならぬ。いやこれは頑張れば出来ないことは無いのだが、何より広州に6時半前後に着く列車、これは桂林の先、柳州からのヤツなのだが、こいつが取れないと一気に危険フラグが立ってしまう。
 ということで、行先変更。西安にしようかと思ったが、まだ行くにはつまらない。色々考えた結果、10何年ぶりかに重慶に行くことにした。姉妹ブログにも書いたが、重慶は旅行とは何たるかを教えられた街。また、まだ三峡ダムが出来る以前に長江下りの船に乗船した街だ。
 北京西発重慶行のT9次は、北京発の列車の中でもT7次成都行と並んで最も切符が取りにくい列車としてその筋では有名である。また、重慶発北京西行のT10次もそれに輪をかけて、と言ったところ。T9次はまだしも、T10次に乗車した日本人の旅行記を私はまだ見ていない。というのなら、私が乗ってみようか。以前は行き止まり式の重慶駅に早朝放りだされて白バスのぼったくりに遭ったが、今回はその重慶駅から北京を目指してみるのも悪くない。北京からは上海か蘇州か南京か杭州か、行き先は何処でもいいが空いている寝台に飛び乗って江南を目指せば、帰国の飛行機に十分間に合う。
 ちなみに前回、中国の行政区には略称があると書いた。4直轄市の一つ、重慶市の略称は「渝」です。

五月去桂

 中国の行政区は略称で表すことが出来る。例えば北京市なら「京」、河南省なら「豫」、山東省なら「魯」と言った具合。神奈川県に湘南という地域があるが、あれは湖南省を代表する洞庭湖の南方に似ているから呼びなわされたもの。湖南省の略称は「湘」であるから、「湘南」となる。
 さて、ゴールデンウィークもようやく終わりに近づいた。今年は働き通しだったので、何も記憶に残らない連休となったが、代わりに月末に4連休を取ることになった。何処に行こうかと思案したが、日本に居る必要はない。日数的に近場のアジアとなるのだが、やっぱり中国が適当かしらとも思えてくる。去年全行政区到達を成し遂げたので、今回は観光旅行といきたい。地図を見ていたら、まだ訪れていない超A級観光地がいくつかある。筆頭は西安であるが、ここはいつも候補に挙がるのだけれどどうも気乗りがしない。他は..おっと!あったあった行こうと思って忘れていた所が。世界に名だたる桂林を見ていない。今回はこの桂林に行ってみることにしようか。
 実は桂林は96年の夏に通ったことがある。北京からハノイに向かう列車ででだ。世の人は桂林桂林と言うが、実はあそこだけに山水画のような特徴的な山々が連なっているのではない。桂林から柳州に向かう沿線上では嫌というほどあのような山々を見ることが出来るのだ。
 勿論自分もそれを見たので改めて行く必要もないだろうと思っていたのだが、色々な写真を目にするにつれ、列車の窓越しに見る風景と船上から見る風景は違うような気もしてきた。丁度季節は雨期に入り、雲に煙る仙人の景色が見られるかもしれない。雨が降って許される観光地というのも滅多にあるものではないけれど、何となく桂林には雨と雲が似合うように思う。観光客に毒された観光地になってしまっているのは周知であるけれど、どうせ一生に一回位は行くこともあるとは思っていたから、今回がいい機会かもしれない。
 単に飛行機で行って帰ってもしょうがないので、当然のごとく少なくとも片道は列車を使うことになる。あちこちから桂林には向かうことが出来るけれど、今回は上海から出発してみようかと考えている。上海から桂林には一日三本、昆明行、湛江行、南寧行とあるが、上海に到着してすぐに出発し、時間帯もいいのは南寧行。列車で約21時間。鉄道の旅としてはまあまあだ。日本との国際線の予算が合えば、桂林から広州に列車で出るのも案の一つだろう。
 さてさて、今回はどんな旅になるだろうか?

※うんちく
 桂林は湘桂線の線上にある。「湘」は湖南省、「桂」は広西自治区を表す。ちなみに桂林は戦争中に日本軍に支配されたがその事実は殆ど知られていない。

猟奇的な彼女

 初めて見た韓国の映画は「猟奇的な彼女」だった。この映画とタイアップするWEBページを作成した関係でタダ券が自分のところにまわってきたのだ。
 まだヨン様が出てくる前のこと。それまでに評判になった韓国の映画と言えば「シュリ」だったが、自分は見ていなかった。ページを作っていて恋愛映画だということは知っていたが、監督やら俳優やらに全く知識が無い。タイアップページを作成したはいいけれど、当時は全く評判にならない映画だった。自分で金を払って見るのは嫌だが、せっかくタダ券をもらったことだし多少なりとも仕事の縁もあったことなので、映画好きな友人をさそって見に行った。この友人、映画好きではあったが、自分と全く映画の趣味が合わない。今もってどんな映画が好きなのかも知らない。好みの映画の話にはなったのだろうけれど、全く覚えていない。聞いたそばから忘れていたと思う。勿論恋愛映画を見て喜ぶような人間で無いことは分かり切っていたが、こちらも相手の好みを気にかけるほど優しくはなく、別につまらなくても寝ててくれれば済む話だ、くらいにしか考えていなかった。純情乙女であることをハナっから期待などしていない。
 映画は絵に描いたような純愛ストーリーだった。主人公のチョン・ジヒョンは自分の頭にある韓国人女性のイメージとは「全く違う顔」をしていた。どうも韓国のイメージとは違い過ぎる。整形天国とは本当なのか、などとくだらない事を思ってみたりもした。分からん、ひょっとしたら整形ではなく素顔かもしれん。が、日本ではテレビの中に出てくる顔とそんなには変わらないような女性が街でそこらを歩いているような気もするが、ソウルであんな顔を見たことがない。ギャップが激しすぎる。等々。ストーリーは高校生や大学生が見たら感情移入するような内容なのだが、自分はのめりこむほど若くはなかった。連れは隣で寝ているが、パンチは出ないにせよある意味「猟奇的な彼女」だ。外に出たら、この映画がどれだけつまらなかったかを延々と聞かされるのを覚悟しなくちゃいけない。

 しばらくたったあと、仕事でまわってきた映画が韓国映画「ラブストーリー」だった。丁度ヨン様ブームが出るかでないか頃の話だったと思う。監督は「猟奇的な彼女」と一緒で、また恋愛映画かと思いながらタイアップページを作った。主演はソン・イェジン。美人であったが、チョン・ジヒョンと同様に普通っぽい雰囲気も出している。日本で同じような女優をあげるとすれば、堀北真希とか新垣結衣とかかしら。なるほど、韓国ではこういう女性が受けるのか、とも思った。これもタダ券をもらった。前回と同じ映画評論家を連れていったが、映画館を出たあとコイツと来たことを後悔した。

 二度あることは三度ある。どうしてこんなに韓国映画に縁があるのか知らない。次は「僕の彼女を紹介します」が仕事でまわってきた。主演はチョン・ジヒョン。もう韓国の恋愛映画もおなかいっぱいであったが見に行った。さすがに映画評論家と行くようなことはしなかった。チョン・ジヒョンは「猟奇的な彼女」の方が魅力的だった。ストーリーも「猟奇的な彼女」の方がまだ面白かったように思う。

 先ごろ、「Gyao」で「猟奇的な彼女」が流れていた。「冬のソナタ」などテレビドラマは勿論見たことはなく、韓国のストーリー自体を見るのが「僕の彼女を紹介します」以来。相変わらず映画に感動をすることは無かったが、久しぶりに韓国に行ってみたくなった。

「病院坂」辺りの住宅街

 私の住んでいるとことは山手線の内側でも「田舎」の方である。東京=ビル街というのはある部分に於いては必ずしも正しくなく、私のマンションの周りは一軒家ばかりだ。上層階にあるので、部屋の窓から遠くにサンシャイン60が臨めるけれども、そこまでは住宅街と雑司が谷霊園の緑が視界に広がっている。山手線の沿線だけを巡っていると確かにビル街が殆どで、特に品川から北は高層ビルが乱立していることもあって、新幹線で西から来るアプローチとしては東京を印象づけるものとして非常に効果的な役目を持っているように思う。
 時間があればバスで東京の都心を巡るのが常。今日もバスに乗ってそぞろに見て周った。信濃町駅から外苑東通りを南へ、右に神宮外苑、左に赤坂御用地を見て進むあたりは緑に囲まれていて気持ちがいい。青山一丁目から南、この辺りは青山墓地を見て進む地域だけれど、起伏の多い丘をバスは進む。西麻布は六本木から少し南に位置するけれど、ここから品川にかけての広い範囲は地下鉄駅が少なく、バスが縦横に走る所である。広尾の繁華街から上は東京でも有数の高級住宅街となるが、通りからは見上げるような、丘というよりも山に近い高さの土地に建物が建っている。あの辺りに住んだら眺めもいいだろうな。まあ自分の収入では難しいが。かつての交通のジャンクションである天現寺橋から古川橋を過ぎると魚籃坂下にたどり着く。この辺りは昭和の住宅街の雰囲気がまだ残っていた。横溝正史の「病院坂の首縊りの家」って確かこの辺りが舞台でなかったかしら?ということで調べてみたら、魚籃坂と旧高松宮邸あたりの話だった。まさにこの辺りでビンゴった。作中の「法眼」という名字は珍しいが、麹町の方に「南法眼坂」とか「法眼坂(地図上は行人坂)」いうのがある。この魚籃坂を登ると高輪一帯で、ここも高台となり、南に泉岳寺から品川沖を見る形になるのだけれど、下界にはビルしか見えず残念だ。場所を探せば見晴らしがいい所があるのかも。でも落ち着いた住宅街には変わりません。雑司が谷辺りと家のサイズも雰囲気も違うけど。そう考えると、高輪プリンスには一度泊まってみたくなる。
 この高輪から白金、広尾辺りを巡ってみると、違った東京が見られるかも。セレブご用達のディープな地域です。
 でも、新宿駅から品川駅まで1時間もかかった...。

●魚籃坂
品97系統(新宿駅~品川駅)にて「魚籃坂下」「高輪一丁目」下車
他、反96系統(五反田駅~六本木)など

ちなみに、「坂の町」東京の坂道については、こういうヘビーなサイトもあります。作った方、敬服します。
「東京23区の坂道」

ドラマ「三国演義」

 最近はまっているのがUsen「Gyao」の「アジナビ」。仕事上の絡みがあって、見るようになったのですが、この「アジナビ」で今やっている三国演義、これがとてつもなく面白い。90年代に中国でつくられたドラマで原作に最も忠実と言われる内容で、非常に良く出来ています。このシリーズ、たまに新聞広告でも通販とかで出ていますね。おのおのの役者もイメージ通り。丁度赤壁の戦いに入るところで非常に盛り上がっています。実際原作のセリフをそのまま読ませてみるような演出もあり、また京劇的な見栄の切り方もあり、勿論ストーリーは分かり切っているのですけれど、十二分に楽しめる。毎日一本づつ配信になるので見逃せません。「レッドクリフ」と違い、周瑜と諸葛亮の腹の探り合いに曹操が絡んできて、余計な惚れたはれたもありませんから、話に引き込まれます。おとといが「十万本の矢」、昨晩が「苦肉の計」で今晩が「連環の計」でした。もうすぐ諸葛亮が東南の風を呼びます。そしたら世紀の一戦が始まりますよ。
 しかし、この周瑜、やっぱりこの男が赤壁の主人公です。結局諸葛亮が上手をいくのですけれど、この周瑜なくしては曹操に勝利することはかなわなかった。
 実生活でもいますよね。常に一歩先を越されてしまう「切れ者」が。

 このような面白い番組をタダで配信していて広告など見る訳が無かろうに。Usenには感謝していますが、ビジネスモデルとしてはちょっと違うのでは?赤字なのも分かります。

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プロフィール

Mr.Problem

Author:Mr.Problem
東京移住。
職業:雲のジュウザ
根本思想:世界人民大団結万歳(笑)
多少、あちこちに行ってましたが、。結婚してからはめっきり諸外国へ出ることが少なくなりました。せめて一年に一度くらいは海外には出たい。元パッカーの習性で旅行は旗持ちではなくほぼ個人旅行。基本的には今世界で起こっていることについて思うところや、今まで行った街の印象を徒然に書いていきます。
みなさんが世の中について考える何かの助けになれば。

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