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漢口の洋館

 重慶から乗ってきた長江下りの船は夜に漢口の武漢港へ着いた。時間は18時過ぎ。普通ならすぐに宿を確保に行くのだけれど、取りあえず一服しようと夕飯を取ることにした。

 漢口のメインストリートである中山大道は、メインと言っても非常に狭く、トロリーバスが行き違いをするのがやっとである。
 解放前、漢口には列強の租界があった。大体中国の列強租界は上海とか天津とか厦門などの沿海部にあるものだけれど、長江を遡ったこの街にも列強の力は及んでおり、英、仏、独、露、そして日本もこの地に租界を持っていた。漢口と言うけれど、街自体は当時武漢三鎮と呼ばれており、漢口の他、漢江を挟んだ対岸の漢陽、そして長江を挟んで南に位置する武昌の街で都市は成り立っていた。1937年の南京陥落ののち、国民政府は武漢を飛び越えて重慶に遷都してしまったが、その理由の一つとして武漢が列強の影響下にあったことがあげられる。今でも一般的に漢口と呼ぶことはなく、街を指す場合は武漢と言う。その中でも漢口は列強支配の名残で石造りの洋館が非常に多い。街のシンボル、長江沿いの武漢関の時計台も見事な石造りの洋館である。上海でも旧香港上海銀行をはじめとして洋館が立ち並ぶが漢口の方が圧倒的に数が多い。メインストリートの中山大道もその昔、租界の中心街であった。
 大体中国とは不思議な国で、1960年代後半から70年代にかけて四旧打破を叫んだ文化大革命が吹き荒れ、文化、思想、風俗、習慣の「古きもの」の打倒により、紅衛兵によって「修正主義者」の吊るしあげと共に盛んに寺社仏閣や教会など古い建物が打ち壊されたが、何故か帝国主義時代の建物である多くの洋館は壊されずに今に至るまで使い続けられている。それも保存という名目ではなく、実際に施設や住居として使われているのだ。有名な外灘は言うまでもない。また上海の山陽路や大連の南山街を歩いてみるがいい。戦前に日本人が建てた建物が、普通に住居として使われているのが分かるだろう。

 余裕をかましていた漢口のホテルだが、目指すホテルは再開発の為に取り壊されており、近くにあったこぎれいな宿も外国人宿泊禁止のホテルであった。仕方なく、昔の洋館をそのまま使った璇宮飯店に泊まることにした。自分の予算からすればべらぼうに高かったが、夜も遅かったし何よりも58時間の船上旅行明けで体も疲れていた。ベッドは当然フカフカ。なんとクーラーまでついていた。勿論古めかしい趣のあるこのホテルで、こころゆくまで滞在ホテルステイを満喫したのは言うまでもない。

 思えばこの街からだ。アジアに戦前の古い建物を見つけるのことを楽しみの一つとするのは。

 私が漢口を訪れたのは94年の9月である。その後中国は一気に成長の階段を登り、街の風景は変わり果てたところも多い。今は漢口も再開発の波に洗われて、趣のある石造りの建物が少なくなってきているようだ。上海の山陽路や大連の南山街はまだその雰囲気を残しているが、訪れるのなら少しでも早く行かれることをおすすめする。
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プロフィール

Mr.Problem

Author:Mr.Problem
東京移住。
職業:雲のジュウザ
根本思想:世界人民大団結万歳(笑)
多少、あちこちに行ってましたが、。結婚してからはめっきり諸外国へ出ることが少なくなりました。せめて一年に一度くらいは海外には出たい。元パッカーの習性で旅行は旗持ちではなくほぼ個人旅行。基本的には今世界で起こっていることについて思うところや、今まで行った街の印象を徒然に書いていきます。
みなさんが世の中について考える何かの助けになれば。

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