スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

94年夏~直快151次上海発貴陽行 上海にて

 上海から西南へ向かう列車は3本あった。1本は雲南昆明行の特快、1本が貴陽経由重慶行特快、1本がこれから乗車する貴陽行の直快である。昆明行は貴陽行や重慶行と異なり広西を経由するもので、特に桂林へ向かう外国人バックパッカーなどは南寧行直快と併せて広西経由便の切符を取るのに血眼になっていたので、単に昆明へ向かう以外にも混み合う理由がある列車だった。桂林着深夜1時とかだけれど。自分の目的地も雲南であったけれど、直接昆明に向かうのでは切符を取るのが困難なように思えた。特別貴陽に用がある訳ではなかったけれど、こちらの方がまだ切符を得る確率が高く思えたのである。
 神戸から上海港に到着した翌日、目指す貴陽行列車の切符を求めてCITS(中国国際旅行社)に向かったが、対応はケンもホロロだった。そんなもんある訳ないでしょうといった感じで、一週間後の硬臥であれば取れるかもしれませんと言う。仕方が無いので上海駅へ向かった。どうして先に駅に向かわなかったのかと言えば、外国人にとっては切符を買える可能性が高いのは駅ではなく旅行社、それもCITSであったからだ。
 駅の售票所は今まで見た事もない光景だった。人人人!どの窓口も大行列で割り込みも横行。用がないのか切符が取れなくて途方にくれているのか分からないような人々が地べたに座り込んでいる。並んでいる人々も煙草をスパスパやっていて煙がもうもう。ところ構わず痰を吐いている。「禁止吸煙」「禁止吐痰」の大きな表示はただ存在するだけで誰も守っていない。夏の暑さも手伝って異様な空気が售票所内を支配していた。窓口は北行と南行に分かれている。今でこそ電光掲示の空席案内があるがその当時はそんな文明的なものは無く、わずかに窓口に紙で作った小さな残席案内が貼られていて3日後までの残席表示が出ていたが、何処まで正確かなど期待出来るものでもない。勿論軟臥、硬臥、硬座などの等級ごとの案内ではなくその列車に空きがあるか無いか、ただそれだけだ。それ以前にどの列車も「售完」(完売)なので空席案内の意味を全く成してなかった。
 船で知り合った中国語の出来る人と一緒に列に並んだ。この人は洛陽への硬臥を狙っていた。ようやく辿りついた窓口では、幸い日本人だとばれることはなくやり取りが進んだが、硬臥は当然のように無かった。それどころか硬座もなく「無座」ならあるとこと。基本的に座席指定となる中国の列車で、無座とは良く言えば自由席。席が空いていれば何処に座っても良いというやつだが、勿論座れる訳が無い。駅ごとに割り当てがあるとは言うものの、上海は始発駅であるので一番割り当てが多い筈で、そこで無座であるのなら「立って洛陽まで行け」ということを意味するのだ。洛陽へは洛陽行以外にも西安、成都、西寧、烏魯木斉行など何本か停まる列車がある筈だが、全くこれらの列車の切符は出てこない。当たり前だ。これらの列車に上海~洛陽の割り当てなど無いのだから。比較的近い鄭州までということで、鄭州行や石家庄行もあたってみたがどれもダメ。結局洛陽まで18時間半もかかる列車の無座票をこの人は購入した。これで彼の地獄以下の旅は保証された。勿論自分の貴陽行など寝台はおろか席などある筈も無かった。
 上海は暑かった上にこの售票所での体験が疲れを倍増した。いつ出られるか分かったものじゃない。一週間待ったところで出られる保証もない。幸い安宿で一泊30元ほどの所に泊まっていたので金には困らなかったが、そのような問題ではない。外灘での黄浦江は貨物船に混じって長江を登る旅客船などが通っていた。対岸の浦東は何も無く景色が開けている。疲れて上海市庁舎(現在の上海浦東発展銀行)の石段に腰掛けていたら警備員に追い払われた。

 翌朝、荷物をまとめてホテルを出た。この行動は今でも分からない。上海を何としても出なくてはいけないと思ったのだろうか。出る宛も無いのにホテルをチェックアウトするなど馬鹿な話だ。
 ロシア領事館の前で連接車のトロリーバスに乗り換え、上海駅へ向かった。到着してまっすぐ駅横にある龍門賓館に向かった。ここに外国人用の切符売り場があった。幸い窓口は空いておりすぐに自分の番が来た。ここでは外国人にしか切符を売らないので日本人である事を隠す必要は無い。今日の貴陽行の切符はあるか?と訪ねたら軟臥ならある、との返事が帰ってきた。何と当日の切符が出てきたのだ。荷物をまとめて来ている割に、このようなことで驚くのもおかしな話だが、奇跡だと思った。値段は人民料金の3倍以上の700元と少し。後ろで台湾人が「太貴!」(高い)とつぶやくのが聞こえた。勿論そんなのを気にしてはいけない。上海を出なくてはならないしそれが実現する切符が手に入ったのだ。喜び勇んでその足で上海駅の軟席候車室(一等待合室)へ向かった。
 そこからホームにどのように出たかは覚えていない。とにかく出られることに舞い上がっていた。

 上海発貴陽行直快151次。2番線に緑色の列車が乗客を待っていた。自分は軟臥であるので丁度編成の真ん中ほど、食堂車の隣。古ぼけた非空調の車両だったが、自分には十分過ぎる車両だった。

(続く)
スポンサーサイト

22型軟臥車を手に入れた

 ようやく手に入ったぜ!

 初めて中国を訪れた際、最初に乗った列車は上海発貴陽行直快151次だった。今と違って列車の切符の取りにくさは普通ではなく、指定切符は窓口ごとの割当制で、隣の窓口では切符があっても並んだ列には「無い」などというのは当たり前。それ以前に裏での販売が激しく、窓口で発売開始する前に席が売り切れなどというのも珍しくなかった。自分も翌日出発の硬臥を狙っていたが、今思うと無知の極致でそんなの取れる訳がない。やむなく人民料金での購入を断念し、外国人料金で購入することにして、外国人用切符売り場に並んだのだった。そこで、当日発の軟臥下段の切符を手に入れ、貴州に向けて出発することが出来た。今は二重価格制はなくなり、外国人用切符売り場も無くなった。いや、一応大都市の駅にはあるが、切符売りが外国語を喋られる訳ではなく、それ以前に外国人料金と引き換えの外賓優遇施策もなくなったので、何処の切符売り場で購入しても条件は同じである。当時はこの二重価格制に頭が来てばかりいたが、今思うと古き中国が急激に無くなっていっている現状が、ある意味寂しくないこともない。二重価格の存在は、「外国人料金が正規の価格で貧しい人民には割引価格で発売している」というおよそ非文明的思考ここに極まれりという文明国日本の人々には決して思いつくことの出来ない理屈で平気で語られていた。やっぱり二重価格だけは二度と出てこなくていい。

 今までの文章は前置きです。

 ようやく出ました。この私が初めて乗車した軟臥車の模型が。早速手に入れた。所属の表記は「成局成段」。自分が乗車したのは「成局貴段」だったが、まあいいでしょう。これでこの非空調22型の軟、硬臥、餐、硬座、行李の各車が勢揃い。
 コミュニストグリーンの車体に黄色二本線。この一時代前の非空調車を現在の中国で見ることは少なくなってきた。客車列車は直達、特快、快速、普快、普客に概ね分けられるが、この非冷房車が使われるのは普快以下。最近は普快でも空調車が入ってきており、非空調車でも外観がごつごつした昔ながらの車両は減ってきている。ここ数年中国に訪れた際に乗ったのは快速以上が殆どであるので基本的には空調車を利用しているが、2006年に東北を訪れた時、昔ながらのごつごつした非空調硬座を利用した。

 このような文章を書いていたら、直快151次を思い出してきた。次回あたりはこの列車の旅を書き記したいと思う。

宇田川町の観音像

 東京に来てしばらく経った頃、渋谷宇田川町の渋谷区合同庁舎へ足を運んでみた。勿論庁舎に用があった訳ではない。
 戦前、今の渋谷区合同庁舎あたりは陸軍刑務所だった。今でこそ少し南に行けば渋谷の繁華街でとても疲れる街だが、かつてはそこそこ広々としたところだったのだろう。合同庁舎の北側はNHKと国立体育館を望み、その向こうには代々木のドコモタワーがそびえていて景色は開けている。代々木公園は元々代々木練兵場だ。この庁舎の西北にある税務署の、更に西北の隅に一体の観音像が建っていて空を指さしている。思う以上に結構大きい観音像で、私訪れた時も花が供えられていた。
 ここは二・二六事件の反乱将校がまさに処刑されたとされる場所で、そこに慰霊碑として建っているのだ。勿論今は刑務所の跡など全く無いし、慰霊碑が無ければそこが処刑の場などと分かる訳も無い。私が訪れた時は丁度NHKから出てきた中年女性の集団が大声で喋りながら通り過ぎていったが、誰一人として立ち止まる人はいなかった。意外と若者の中には興味を持って訪れる人もいるようで、茶髪のカップルが立ち止まって何やら話をしていた。
 靖国神社でも何人かこのような者を見かけたけれど、今の二十代は存外にこのような場所へ訪れる人も多く見かける。主張はどうであれ、歴史に興味を抱いてこのような場に足を向けるのは悪いことではない。それが中年の人たちではなく二十代と見える人たち(男性も女性も)が訪れている事実は、まだ歴史に対するこの国の認識は捨てたものではないのじゃないかと思う。逆に事実として中年女性を余り見かけないのは諦めなくてはいけないのか。

 二・二六事件と自衛隊の危うさについては三年程前に書いたので、今ここでは繰り返さない。

 個人的には政治家やマスコミ等で叫ばれている程今の若い人は昭和の歴史に対し興味が無い訳ではないように思え、もし彼ら彼女らの無知が露呈するとすれば、それは関心が無い訳ではなく教わっていない事に起因するのが主な理由ではないだろうか。逆にマスコミで主筆をふるっているであろう世代の方が、あまりこのような場で見受けられないように感じるのである。

●渋谷区合同庁舎
早81系統(早大正門~渋谷駅)にて「渋谷区役所前」下車
または
渋66系統(渋谷駅~阿佐ヶ谷駅)にて「宇田川町」下車

先輩の上京

 関西時代の会社の先輩が来月出張で上京してくるのに合わせ、モロッコ料理の食事会ケテーイ!この人にですよ。出張帰りの新幹線での過ごし方を教わったのは。
 東京から関西に戻る時、出張帰りであればビールが付くのは常識として、さて「アテ」には何にするか。さきいかとかにはしません。私は崎陽軒のシウマイ15個入りと決めておりました。これが新神戸まで腹を保たせるには丁度良いのです。崎陽軒は横浜ですが、東京駅でも買えます。東北新幹線乗換改札の前にある弁当屋で。前はそこでしか置いてなかったような気がするのですが、最近は他の弁当屋でも手に入るようになりました。これに缶ビール350ml1本で、関西まで十分に楽しめました。最近は夜でなくとも昼時の新幹線であればシウマイ15個入りを買っているような。まあビールは飲まないですが。この過ごし方を教わったのがこの先輩から。以前も書きましたが崎陽軒のシウマイは子供の頃は地元の味=横浜に出た時のお土産の定番でしたので、出張帰り、これが至福の時でした。子供時代の刷りこみとは強いものですね。

 早速後輩アカリちゃんに店を手配するよう指示。アカリちゃんもこの先輩の部下でしたからよく知っております。

 楽しみですわ。

高田馬場から雑司が谷辺りへ

 珍しく夕飯はラーメンにしてみた。関西時代から夕飯にラーメンというのは一緒に行く連れがいなければあまり無く、こちらに来てからはなおのこと食べる事が減った。
 山手線を高田馬場で降りた。別に用があった訳ではないが、たまには馬場から歩いて帰るのも良いかと思ったのだ。夕飯は道すがらにある適当な食堂で済まそうと考えた。明治通りまで出て少し早大理工の方へ下れば評判の店もあるのだけれど、夜10時を過ぎていたし、わざわざ新宿方向に行くこともない。駅周辺で適当な店を見つけて入った。で、注文したのが油そば。確か本場は小金井の方だったような。こちらに来てから小金井には出向いていないな。今度足を伸ばしてみよう。
 高田馬場駅から我が家までは丁度20分程度。早稲田通りから一本北の筋は住宅街を貫通して行くが、意外に小さいおしゃれなバーとかが店を構えている。時期が時期なのでがらんとしているが、学校シーズンなら早大生の溜まり場と化すのか。裏通りから明治通りに出たところが丁度高戸橋。新目白通りとぶつかる交差点で、ここで早稲田からの都電も合流する。丁度自分が家を探しに来た時分、最初に歩いたのが面影橋からこの辺りだったなあと思い返してみる。面影橋については別の機会に記してみるが、この辺りの神田川沿いの桜はとても綺麗です。

 明治通りは都電の線路に沿って坂をかけ上がる。学習院下の電停では寒い中で2人の電車待ちの人たちがいた。電停から少し奥に行けば、静かな住宅街が広がっている。で坂を上って千登世橋。ここまで来ると我が家はすぐです。西早稲田方向から来ると一旦下って神田川辺りが谷になっており、ここから一気に登りに入る。これ、地下鉄に乗っていてもよくわかります。車が少なければ気分のいい道すがらだけれど、道が広いので多少車があっても気になりません、

●高戸橋と神田川
池86系統(池袋駅~渋谷駅)にて「学習院下」下車

「ラインゴルト」!

 先週の木曜日、Minitrixの「ラインゴルト」を見つけてしまった。5両編成のセットで、別で名機「Class103.1」も並んでいるではないか。

 「ラインゴルト」はヨーロッパの鉄道全盛期の最後を飾る「TEE(Trans Europe Express)」の内でも花形に属する列車。西ドイツ国鉄持ちで、運行はアムステルダム~ケルン~マンハイム~バーゼルSBBを主に結び、時代によってその目的地は変わるものの、ライン河に沿ってオランダとスイスを結んだ名門昼行特急だ。編成は全て一等車で展望車も連結されており、その格式は全車一等車で編成されたTEEを体現する列車だった。1980年代後半にオール一等車のTEEが廃止され二等車を連結して別の列車として生まれ変わった時、「ラインゴルト」の名前の列車は引き継がれることが無く廃止された。「オリエント急行」が時代の変遷で普通急行に成り下がったのとは対照的で、名門のまま無くなってしまった。ライン河に沿った景色がこの上ないものであるのにふさわしく、一等車と食堂車、展望車からなる編成が更に格式をあげてくれる。

これですよ、これ。綺麗な編成だなあ

 この模型、5両セットで3万円弱。機関車を入れて5万円強とくれば、今月は大口の出費がなかったと言ってもさすがに迷う。

 まあ、趣味の世界に迷いは禁物で、「迷った時は買え」なのだが。今週早めに仕事が終わるようなら、もう一度店に見に行ってみるか。

熊野前商店街

 子供の頃「天才たけしの元気が出るテレビ」という番組があった。無茶苦茶おもしろい番組だったし、一定世代以上ならご存知の方も多いと思う。その番組内の企画で「熊野前商店街」を取り上げたものがあった。お客さんが減りつつある商店街を盛り上げる企画だったような記憶がある。先日そのことをふと思い出し、今日熊野前まで足を伸ばしてみた。

 熊野前は我が家からは都電で一本。早稲田から来た電車は大抵大塚駅前か庚申塚で席が空く事が多いのだが、今日はどういう訳が入れ替わり立ち替わりで席が埋まっていた。王子駅前で空いたが、ここからはすぐなのでそのまま立っておいた。飛鳥山ではケーブルカーみたいなゴンドラが去年出来ていて、階段を上らなくても楽に登ることが出来るようになっている。勘違いしている中年のおばさんや子供たちの行列が出来ていた。一瞬梶原で降りて都電もなかを買おうかと思ったが、今回はやめた。次に関西へ行く時にでも買う事にしよう。
 荒川区に入るとじきに併用軌道になるが、道路とはブロックで隔離されているので、実質的に専用軌道となっている。運行終了後の夜などに軌道内に入って走るとやっぱり捕まるのだろうか?

 熊野前の電停で降りて南西に少し行くと目指す熊野前商店街があった。80年代に「お客さんが減ってきて~」とか言っていたが、21世紀の今はシャッターが降りている店も多い。日曜だからと信じたいが、閑散としている。でも東京の商店街らしく、和菓子屋、せんべい屋、蕎麦屋などがあって雰囲気はそれなりに。テレビの影響はとっくの昔に無くなっているが、地元の人がそれなりに訪れている模様。この辺り、今でこそ舎人ライナーが出来て西日暮里まで一本で行かれるようにはなっているものの、それまでは都電で王子か町屋に出るか、さもなければバスしか交通機関がなく、最寄りのJR駅まで歩いて出るにはかなり歩かされる。山手線の外、荒川区とか北区の上の方とかってそういうところがある。こんな地理的なこともあっての都電電停前の商店街であったのかもしれない。建物を見ると石造りの立派なお店もあったりして、歴史はありそうだ。
 商店街に少しでも貢献しようと何か食べようかと思ったのだが、やっているのかどうか分からないお店ばかりだったので、結局明治通りまで出てしまった。丁度バス停があり、草64の停留所だったので、池袋駅まで戻るか雷門まで出ても良かったのだが、丁度行ったばかりだったのでそのまま歩いて京成電鉄の新三河島駅まで行ってしまった。駅近くでうどんを食べたら関西風の薄いダシで嬉しくなった。

●熊野前商店街(はっぴぃもーる熊野前)
都電荒川線にて「熊野前」電停下車
端44系統(北千住駅~駒込病院)、里48系統(日暮里駅~見沼代親水公園)にて「熊野前」下車
草64系統(池袋駅~浅草雷門)で「田端新町二丁目」からも歩けます

ある土曜の徒然

 妙に雪の多い東京であるけれど、もうすぐ春が来ることを期待して自転車の購入を検討。神戸から持ってきたやつは部下にあげてしまったので、本格的なシティサイクルを買おうと思う。

 で、上野御徒町まで出て自転車を見てきた。まあ、当然のごとく取り寄せになるのだが、急がないのでこちらはかまわない。東京は坂が多いので、シフトチェンジ方式のものでないと不便で仕方が無いが、丁度軽くてお洒落なやつが見つかった。今夜にも注文してみます。

 昨日の夕食は池袋でその筋では有名な洋食屋。ハンバーグとカニクリームコロッケ、海老フライのセットで920円。950円だったかも。定番の味でご飯の量も多く満足して帰ってきた。今夜も洋食にしようと四谷までやってきたのだが、目指す店は土曜は昼間のみの営業であった。明日は休み。出直しです。東京って意外に土曜が早いとか日曜が休みという店が、老舗を中心に多い。日曜においしいものを食べようとするとそれなりの選択が必要になってくる。

 近々モロッコ料理を食べに行くことになりそう。神楽坂の店で東京では一番古いモロッコ料理の店らしい。以前モロッコは周遊をしたことがあるのでどういう料理が出てくるかは大体分かるつもりだが、モロッコというよりも北アフリカ料理になるんだろう。何処でもそうであるように、国で厳密に料理が分かれる訳ではないし隣国一帯で同じようなものを食べているのが普通だし。北アフリカ一帯は帝国主義以前は元々オスマン帝国の領土ですからと要らぬツッコミを入れてみる。個人的にはクスクスは口に合いません。羊肉のタジンで決定ですね。

ツタンカーメンの墓からiPodが見つかったくらいのニュースらしいです

 私の学生時代「神々の指紋」という本がブームになりました。世界各地の遺跡に対する新解釈により有史以前の高度な文明を導きだすという内容。私も読みました。以前この場で書いた無茶苦茶女から借りた本が、今でも本棚を飾っております。とっくに古本屋に行っても良いのですけれど、読み物としては非常に面白いので、いつか読み返す時もあるかと思い、度重なる引っ越しを乗り越えて東京まで一緒にやってきました。
 当然のように、ブームに少し遅れるようにして「この本は嘘八百だ」みたいな内容の文も出てきました。確かに遺跡の解釈など相当に無理がある部分があるのですが、著者は考古学者ではないので最初から読み物のとして読んでおけばいいのに、真っ向から真剣になって反論する人が必ずいる。例えば友人同士の飲み会で酒と一緒に面白おかしく議論をするくらいの内容にしとけばいいのになあ、などと思った記憶があります。

 で、本日舞い込んできたのがこのニュース

「現生人類以前に地中海を渡った何者かがいる」

 クレタ島で現生人類以前の石器が見つかったそうです。石器だけなら別に驚くことでもないでしょうか、見つかった場所が「島」であることが問題でした。船や筏が発明されたとされていた前の時代の石器なので、定説通りにいくなら島でこの石器を作った高等生物が誕生したと考えなくては理屈が合わないのです。しかしそれはそれで問題があり、外から来たと考える方が自然。ちなみに石器が作られた時代はクレタ島は完全に「島」であったのは間違いないらしい。ソースが考古学者ですから、耳を傾けるべき話かもしれません。

 久しぶりに歴史にロマンを感じましたね。「神々の指紋」を読み返してみよっと。

天使と悪魔~ヴァチカンのセキュリティ

 仕事が早く終わったので、TSUTAYAでDVDを借りて帰る。久しぶりだな、家で映画を見るのは。借りてきたのは「天使と悪魔」。映画館で見ようと思ったのだが機会を逃して結局見れなかった。去年モルディブに行った時、暇つぶしにと思って成田で買って持っていったら、丁度滞在期間中に3巻全部読み終えた。で、ストーリーはまあまあ覚えているのだけれど、ローマの観光旅行だと思ってDVDを借りてきたのだ。

 ヴァチカンと言えば、自分にとってはヨハネ=パウロ二世。以前も書いたが、ある大晦日にヨハネ=パウロ二世の説教をサン=ピエトロ大聖堂で聞いたことがある。広場でではなく聖堂内でだ。すぐ目の前、まさに5mくらい前を司教冠を付けた白装束の教皇が通って、聖堂奥の説教台に上がった。見るからに弱ってはいたが、声には張りがあったのを強く覚えている。

 しかし

 その聖堂内にいる人々の中で最も教皇に遠い筈の私であったが、どうして私が聖堂内に入れたのだろうか。私はキリスト教徒ではない。
 サン=ピエトロ広場は世界中から集まった信徒でいっぱいだった。当然この人達も生で教皇の説教を聞きたかった筈だ。広場には長い行列が出来ており、自分も並んでいたらいつの間にか入ることが出来たのである。別に割り込んだ訳ではない。そもそも説教を聞けるということも知らず何か貰えるのかしらという卑しい理由で並んでいたのだが、どうも周りの声を聞いていると説教の為の列らしいということで、そのまま並んでいたら中に入れたのだ。確かシスティナ礼拝堂でも行くつもりであの辺りを歩いていたのだが、ヴァチカンは2度目であったこともあり勿論礼拝堂よりも説教の方が大事だ。キリスト教徒ではなくとも歴史と宗教学に首を突っ込んだ私としては聞けるものなら聞いてみたかったのだ。

 で、不思議に思った訳。

 聖堂に入る際、荷物検査を受けた記憶が無い。いや、鞄くらいは見られたような気もするが、空港でやるようなセキュリティチェックをやっていないのは間違いない。てことは、もし私がテロを起こそうとする輩だったとしたら、あの日きっと成功しただろう。そう考えると大丈夫か?ヴァチカンのセキュリティは。実際に何処のウマの骨か分からん奴を聖堂に入れてしまったことは私の経験が証明している。私を入れてしまってはまずいんじゃないか?と思うのだ。ま、私としては至上の経験を得たのでこれほど有意義な日も人生史上でそれ程無いから良かったのだけれど。勿論テロリストではありませんよ。

 「天使と悪魔」はヴァチカンの話だけれど、見ててふと自分の経験を思い出した。勿論未だに神の怒りには触れていない、と思う。

蕎麦とハンバーグとロールキャベツとチョコレート

 楽しく生きるための最良の手段はいかにおいしいものを食べるか、ということを信じて疑わない。

 昼食は新大久保駅すぐの蕎麦屋「近江屋」。明治創業の歴史のある店ではあるけれど街蕎麦屋としてのスタンスを守って営業されている。石を投げれば蕎麦屋にあたる東京でも評判の高い店だが、値段はいたってリーズナブル。セオリーならせいろ650円を注文するのだけれど、今日は「寒納豆」という冷やし蕎麦。大粒納豆にうずらの卵、大根おろし、そして紅葉おろしと海苔を加えていただく。美味。勿論江戸の蕎麦屋の伝統を守り、日本酒と一緒につつく板わさや天麩羅などの一品も当然置いてあり、となりの席の夫婦は二人で板わさと日本酒を空けたあとに、せいろとざるを注文して腹を満たしていた。ちなみに東京では、のれんに歴史ある蕎麦屋の板わさで出てくるかまぼこは、小田原産を使っているところが多いようだ。

 で、買い物に出たのだがそんな話はどうでもいいです。

 夕飯は新宿の「アカシヤ」。当然のようにハンバーグとロールキャベツシチューのセットを注文。ここは一人でも入れる洋食屋。昭和38年創業。場所柄か遅くまでやっているので、仕事帰りにも立ち寄る店として重宝している。色々メニューはあるが、クリームシチューにロールキャベツが入っているセットがおすすめだろう。元々ロールキャベツで売り出し店らしいし。日本の昔ながらの大衆洋食屋らしくハシで食べるのが基本。ハンバーグを注文してもフォークやナイフは出てこない。味にハズレは無く、結構一人客も多い(若い女性の一人客とかもいる)ので安心して食べられる。勿論リーズナブル。

 食べることにとにかくこだわった週末だった。古くからの店でナポリタン、トンカツ、蕎麦、洋食に珈琲。幸せです。はい、至福の時を過ごしましたが何か。

 ちなみにチョコレートは注文通りモロゾフ。外国産はいりません。昭和全開の二日間だった。

ナポリタンと珈琲とトンカツと

 昼食を食べに新橋へ。

 新橋の駅前にある新橋駅前ビルは古びたビルだが、ここに目指す「カフェテラス ポンヌフ」がある。お世辞ににも綺麗な店内とは言えず、老人のマスター一人で今の時間は切り盛りしているからか、下げ物もままならない状態。どう見ても大衆的な喫茶店。一応お客さんで埋まってはいるもののカフェテラスと言う割に珈琲を鍋で暖めるような店にどうして来たかというと、その理由はこの店のナポリタンにある。ここのナポリタンは食べ物ランキングで高い確率で載ってくるその筋では有名。決してマスターはそれを鼻にかけている訳ではなくむしろ大人しい感じの老人である。喫茶店のナポリタンとカレーというのは昔からある店なら定番のメニューだけれど、最近のチェーン系の喫茶店では見る事は殆どないし、あっても冷凍麺をスチームで解凍しているスパだったり、レトルトを温めているものが多い。ここのスパゲティは極太でまあ何処かのゆで麺を利用しているかもしれないけれど、昔ながらの典型的なケチャップ味で何より量が多い。ナポリタン600円、ハンバーグスパゲティ800円。おいしいです。ハンバーグスパゲティはセットだと鍋で暖めた珈琲と自家製プリンが付いてきてプラス300円。店名の「ポンヌフ」はフランス語であるけれど、直訳すれば「新しい橋」。分かりやすい名前です。

 日本橋三越を経由して次に訪れたのは神田神保町。何しに来たか?勿論本ではない。珈琲の為にここまで来た。すずらん通り出口すぐの「さぼうる」。無茶苦茶有名な喫茶店。喫茶店とはこういうものだというのを形にしたような店で、多分東京の学生街の喫茶店というイメージを見事に表しているような店内である。前に京都の喫茶店について書いたが、昭和全開という意味ではこの店も先端をいっている。本店と2号店が隣合っており、どちらもレトロであるけれど勿論本店に入る。木造の暗い店内は客でいっぱい。たまたま1席空いていたので席につくことが出来た。このような店で禁煙席がどうのとか言ってはいけない。私は元スモーカーで今は全く吸わないけれど、煙草も喫茶店の重要なアイテムだというのを改めて思い知らされる店であり、煙草がどうしても嫌だという人はこのような店には来てはいけないのだ。そのような人が「喫茶店」を知らないだけであって、この店が時代遅れなのではない。嫌煙の人は大人しく近所のドトールに入ろう。アイスコーヒーを注文。甘いアイスコーヒーが出てくる。昔からの喫茶店ではアイスコーヒーはあらかじめ甘くしてあるものが出てくるけれど、このようなアイスコーヒーには最近お目にかかることが少ない。外国資本やチェーン系はガムシロップを自分でいれるパターンなので、このような新しめのカフェにかぶれた人は融通が効かないと怒りだしそう。違うのです。アイスコーヒーとは本来甘い飲み物なのです。自分でガムシロで味を調節するなどは邪道なのです、と毒づいてみる。何処かの喫茶店でアイスコーヒーは「コーヒー」ではなく「ドリンク」の項目に書いてあったことを思い出した。

 で、夕飯は新宿のトンカツ屋「王ろじ」。大正10年創業。トンカツとは平べったいものが普通なのだが、ここのは円柱形。で、みそ汁ではなく豚汁が付いてくるのだけれど、これも一旦炒めた豚やタマネギに味噌を加えて豚汁にしているようで、普通に食べる豚汁とは少し違う。メニューじゃトンカツ定食、海老フライ定食、とん丼(カツカレーのこと)、インディアンカレー(ビーフカレー)など。勿論トンカツ定食だが、何故か海老フライ定食の方が安い。大きなカツでおいしい。

 とまあ、今日は古くからの店を巡りに巡った一日だった。変な創作料理はいらないから、このような典型的な物のおいしいやつを食べて過ごしたい。次回はハンバーグとロールキャベツのルポをお伝えしよう。

愛宕山の階段

 今までで見た階段の中で一番強烈でした。

 虎ノ門駅を降り、東京タワーの方へ歩く事数分でたどりつきました。「愛宕神社」の案内を見て右に曲がると...
いや、壁ですよ、壁。壁に階段が貼り付いていたのです。たまたま通りかかった女性二人組も初めて見たのか、「何これ~すご~い」とか叫んでおりました。

 東京都区内の自然の山としては最高峰という栄誉ある愛宕山。その標高はなんと!23m...まわりを囲むビルの方が高いです。NHKが初めてここでラジオ放送を開始したというのは知られている話。現在も放送博物館が山頂に建っています。この山頂に共に建っているのが愛宕神社。徳川幕府の火の神様ですね。でも大火に何度もやられた江戸の歴史からするとあまりご利益が無いかも..という突っ込みはなしで。この神社自体も火事でやられているみたいですけれどそれが何か。

 この神社へ至る階段が「出世階段」というそうです。家光の時代、何とかという武士が将軍の御前でこの急階段を馬で登り、で境内の梅の枝を折ってまた馬でこの階段で降りて将軍に差し出したとのこと。そこで「お前は馬の名人だ」ということになって出世したことから出世階段と言うそうです。いや、実際に登り降りしてみましたが、普通に歩くだけでも怖いですよ、あまりにも急で。しかもまっすぐに階段が続くものですから、上から見下ろすと落ちて行くような感じです。江戸時代のは100歩譲って脚色のある話だったとしても、明治、大正、昭和に入って一人ずつ、実際に馬で登り下りをした人がいるらしい。いつの時代も変わった人はいるんですね。

 山と言ってもすこぶる見晴らしは悪いですが、話のネタとして行ってみるのもいいと思います。
 会社のスタッフが霊感スポットですよというので、そちらに興味は無いながらもどんな所かと思いながら行ってみたのですが、私的には◎でした。

●愛宕神社
東98系統(東京駅~等々力)にて「愛宕山下」下車
渋88系統(渋谷駅~新橋駅)にて「虎ノ門二丁目」
橋86系統(目黒駅~東京タワー)にて「神谷町駅前」など

ドブ板通り

 どちらかと言えばマイナスの名称を積極的に売り出しているところが日本で他にあるとしたら教えてほしい。

 京浜急行を横須賀中央で降り、まっすぐ三笠公園へ向かった。横須賀へ来る時はいつも横須賀線だったので中央で降りるのは初めてなような気がする。三笠公園まではゆっくり歩いて15分てところか。午後遅いこともあって、記念艦「三笠」には殆ど客はいなかった。制服姿の軍人の団体がいたが、韓国語を喋っていたので韓国海軍の視察(と言っても観光旅行だろう)かもしれない。この三笠へ来るのも初めてだ。日本海海戦の戦艦であるがコンクリートに固められていて陸の砲台と化している。予想通り日露戦争の意義と東郷元帥の偉業を並べ立てている博物館だった。時間があれば猿島へ渡るのだが、夕方ということでもう渡船は無いようだ。とにかく寒いだけなので、次に来るのなら暖かい時期にしたい。

 三笠公園の北側、横須賀学院を挟んだ向こう側は米軍基地だ。アジアを管轄する第七艦隊の本拠地で、かつて空母とかが入港する時は反対デモに連れられて来たことがあったような。今、沖縄は熱いことになっているが、こちらはひっそりとしている。勿論部外者が少し歩いただけではわからない事はあるのだろうが、英語の看板がとたんに増えたことは、ここが基地の街であることを実感させてくれた。

 米軍基地からすぐ、国道16号線を本町一丁目で曲がり、またすぐに北へ曲がったところがドブ板通りである。

 父は横須賀出身。もっとも横須賀の市街地から山を越えて三崎へ行く途中の相模湾に向いた方の出なので、ここからさらに田舎に入ることになる。とは言うものの、横須賀の人であることには変わりなく、高校も横須賀の高校であった。そんなだからか分からないが、子供の頃にドブ板通りの話は聞いていた。米軍払い下げのジャンパーなどを売る店が並び、基地の軍人相手に開いている飲食店が軒を連ねる通り。当然ここの表記は英語が主で、中央駅の商店街とは雰囲気が違う。父が若い頃は汚い通りだったようだが、今は綺麗に整備されており、街頭には「DOBUITA STREET」とかいう派手な旗が並んでいた。昼間にも関わらず非番の軍人らしきアメリカ人が騒いでいたが、通り全体は古い店が多く静かだった。というか、さびれた昔の商店街と言った方が正しいかも。「米国直輸入」とかの表記が踊るけれど、輸入品がありふれている現代、今時「アメリカ」の文字に心踊ることもない。かつて日本で「USA」が目標だった時代は、この通りの文化が最先端を行っていたというのを何かで読んだことがある。確かにこの通り、さびれてはいるけれど、昔はハイカラだったんだろうなと思わせる雰囲気は漂っているし、カーキ色のスカジャンを着てサングラスをしマルボロを口にくわえた白髪のじいさんとかが出てきそうだ。今日もひょっとしたら夜になれば雰囲気は変わるのかもしれない。が、横須賀の人がこの通りに何かを求めて足を運んでいるようには思えず、市外の人であるなら、わざわざ来るような場所でもない。大体海軍カレーで売り出し中の街で、どうして過去になりつつある米軍の遺産に興味を持って来るだろうか。そもそもドブ板通りなど知らない人も今となっては多いだろう。

 帝国海軍とアメリカ第七艦隊によって発展してきた横須賀は、父や叔父の先生である井上大将の話から自分の中では心情的に東京は勿論横浜よりも近い街なのだが、足を運んでみると少々寂しく感じるのは、かつて父から聞いていたドブ板通りの繁栄とそのギャップをこうして目の辺りにしているからかもしれぬ。

ある日曜のネットワーク設定

 久しぶりの在京.

 フランス大使館旧庁舎での「No Man's Land」に行こうと思ったが、朝から家のことを色々やっていたら昼を越えてしまったので、今日はやめ。11日か次の週末にでも行くことにする。

 夕方、早稲田まで髪を切りに行くまでに時間があるので、ドコモの公衆無線LANの設定に昼食がてら出向くことにする。申し込んでいたのにも関わらず、設定するのを忘れていた。
 で、こうして大塚駅前のモスバーガーでピコピコやっている。ヨドバシカメラで盛んに宣伝している「ワイヤレスゲート」は主にマクドナルドで使えるけれど、ドコモの公衆無線LANの方が使える場所は多い。スターバックスをまずほぼ押さえているし、タリーズコーヒーやモスバーガーなど、まあ時間をつぶすのにはもってこいの場所で概ね使えるのが大きい。で、使用してみた感想だが、このモスバーガーで他に端末を開いている人がいないからかもしれないけれど、ワイヤレスゲートよりも使える印象。速いです。マクドナルドだとよく固まったり読み込み中が恐ろしく長いことがある。回線の問題か他の利用者が多いせいか分からないけれど。結構ストレスがたまり、結局FOMA端末を差しこんでいることが多い。FOMAは勿論定額プランなので、ある一定のラインを越えたらいくら使っても定額なのでこちらを使い倒せばいいのだが、最大54Mの公衆無線LANと7.2MのFOMAとではやっぱり変わってくる。FOMAのプロバイダはmoperaを利用しているので、普通に公衆無線LANを申し込むよりも安くなっていることもあり、使い勝手上々。宜しいと思います。次にマクドナルドで回線スピードが遅くてイライラきたら、ワイヤレスゲートは解約することになるでしょう。

こうしてどんどん公共インターネット回線が整備されていくのは有難いです。

バレンタインとスィーツと

 兵庫県は日本でのスィーツ消費量No.1というのを何かの記事で読んだことがあります。実際石を投げればカフェにあたる神戸の街ですが、日曜の午後などは何処のお店に行っても混んでいるのは、寒い季節だけのせいではないでしょう。神戸を本拠とする洋菓子屋も、モロゾフを筆頭にユーハイム、ゴンチャロフ、ケーニヒスクローネ、神戸凮月堂など有名どころから、地場に貼っているチョコレート屋まで挙げればキリがありません。少し範囲を広げてみれば、芦屋のアンリシャルパンティエ、西宮のツマガリなども有名。阪急甲陽園駅の駅前はツマガリが店とお菓子工房を一緒に構えていますし、ショコラリパブリックも店を構えているので、小さな駅周辺がスィーツの街と化しています。
 
 今年のバレンタインは何処のチョコがいいかしら?とか聞いてきたので、モロゾフと答えておきました。バレンタインチョコの発祥はモロゾフというのが俗説です。勿論日本に馴染みの薄かったチョコレートを販売する為にこのイベントを思いついたらしい。西欧ではプレゼントを贈る習慣があったので、最初はプレゼントにチョコレートを添えてどうぞ、みたいなアピールの仕方だったようですが、チョコレートを渡すというイベントが大々的にアピールされるようになったのは、この30年程のことらしい。

 会社で女性スタッフにチョコはいらん、と言っている人がいます。去年どう見ても袋詰めのチョコにしか見えないチョコを女性スタッフ陣にもらったそうなのですが、でもお返しはしっかりしなくてはいけないので迷惑だ、と叫んでおりました。
 ごもっとも。

久しぶりに週5日以上働きます

 仕事が早く終わるのをいいことに、家でドラクエ三昧。廃人とはいかないまでも、相当な時間を費やしてます。同世代のドラクエ人間がそうであるように、私も初代ドラクエからやってきているが、やっぱり6が一番面白いんじゃないか?ストーリーとしてもイベントとしても。

 来月関西行の際には在阪友人各位と飲み会がありそう。これ楽しみです。

 金曜の出社は久しぶり。今週は土曜も出社だが、もう体力が持ちませんww.週5日も働くなんて、どのくらいぶりかしら。労働をなめきってます。最近暇なので、機嫌は宜しい。

iPhoneやめた

 今日も雪。
 最近仕事が早く終わるので、体力的には楽。仕事中に研修とかも出来ているので、比較的暇なんだろう。スタッフの顔つきが年末と比べて柔和になってきておりまた精神的にも楽になったようで、逆に仕事がさくさく進んでいる。よろしい事です。

 iPhoneから通常の携帯電話に戻した。
 改めて思うのが日本の携帯電話はあきれる程すごいと思う。賛否分かれる所だけど、携帯電話にこれだけの機能を付けてなおかつ軽さを100gを若干超えたくらいに押さえるというのは舌を巻くほかは無い。また、i-modeやezweb、yahooモバイルの充実。自分の場合、飛行機や新幹線などの交通機関とホテルを押さえる事が頻繁にやってくるので、この辺りが何処でも出来る便利さというのを、元に戻してみて改めて認識した。iPhoneの長所が盛んに喧伝されており、勿論そこで語られることの多くは便利ではあると思うのだけれど、モバイルフォンに特化したサイトコンテンツやシステムがこれだけ充実している以上、というかこちらの方が充実している以上、こと日本で使用するということであれば、和製携帯の方がより便利ではないかと思う。勿論iPhoneにはiPodがついているし、普通に音楽を聞く分にはわざわざプレイヤーを持たなくて良いなど、和製携帯が及ばない所も多くある。しかし思った以上に、より重要度が高いと思われるアプリが現時点で開発されないなど、持ち運びの情報ツールとして不満を感じる事も少なく無い。例えばJRのエクスプレス予約、全日空、じゃらん、マクドナルドなど。本当に必要だろと思われるアプリが出て来ないのだ。面白さという点からみたら興味深いアプリはiPhoneも充実してきつつあるけれど、それらが無くても余り困る場面というのはなかった。むしろ生活に直結するようなアプリが少ないことが、私のiPhone生活を終わりに導く原因の一つとなった。あとはまあ、メールをうつ時のキーが押しにくいとか、ページを読み込むのに思った以上に時間がかかるとか。この辺りも和製携帯の方に軍配が上がると思う。
 他のスマートフォンは持ったことが無いので分からないが、しばらくは手を出す事も無いでしょう。

週末は寝ていたいのだが

 京都~台湾~札幌と、3週連続で東京を離れていたので、今週末は在京の予定。もうお金が無い。
 
 日曜は部下が教えてくれたフランス大使館旧庁舎での「No Man's Land」というイベントに行くと思う。フランスなのに英語のイベント名なのは何で?というツッコミは無しで。解体予定の旧庁舎を利用したアートイベントとのことです。

 で、その日の夕飯は旧関西チームより荻窪のイタリアレストランに召集がかかったので、顔を出すことになりそう。先週金曜の定例宴会には行かずに北海道へ向かっていたので、今週は必ず顔を出せとの指令がアカリちゃんよりあり。行かないとあとで何を言われるか判ったものじゃない。

 やっぱり今週末も予定で埋まりますかそうですか。

鄭成功

 外の雪はいよいよお盛んです。
 部屋から見る鬼子母神~雑司が谷界隈の屋根群はみんな真っ白。こう寒くては少しでも気分を盛り上げなくては。そんな訳で、ヘッドの写真を南国のものに変えてみました。
 日本が戦前に建てた台南駅です。

 台南は「府城」の別名があります。17世紀のオランダ統治期、台湾の中心はここ台南でした。いわば台湾の歴史都市で日本で言えば京都みたいな立ち位置。で、反清復明の英雄鄭成功がこの地を落とし、オランダを追い出して明復活を期す根拠地とします。ちなみに対岸の厦門のコロンス島には鄭成功の巨像が立っており、街の海岸沿いから良く見えます。こちらの像は台湾の方を向いており、何か暗示してそう。
 鄭成功は父親は中国人、母親が日本人で肥前国平戸生まれ。崇禎帝が紫禁城北側の景山で首をくくった後、福建で挙兵しました。まあ、詳しいくだりは省略しますけれど、このあたりの話をもとに日本では「国姓爺合戦」が浄瑠璃で演じられるなどして、結構日本とつながりがあったりする人物です。

台南の鄭成功
台南の鄭成功

厦門の鄭成功
厦門の鄭成功

 台南の鄭成功はオランダ人と「和議」を結ぶ図。とは言ってもオランダ人は頭を垂れており、鄭成功は刀に手をかけていて殆ど脅している図ですけれどね。一方の厦門の鄭成功は巨像で台湾海峡を睨みつけています。その目の先には中華民国が支配する金門島があり、小金門には民国が建てた「三民主義統一中国」の看板が。この辺の対比が面白い。厦門の鄭成功は「大陸が今にも台湾に攻め込もうとするの図」ですね(笑)

 現在は厦門と金門島の間に直通の船が出ており、日本人も乗船できます。民国と人民共和国の間を直接行き来出来るのです。

東京は雪

帰ってきてまで雪追いかけられるとは。
でも札幌の雪と違って無茶苦茶湿っぽい。
仕事やる気無し。ソッコウ帰りました。

PageTop

プロフィール

Mr.Problem

Author:Mr.Problem
東京移住。
職業:雲のジュウザ
根本思想:世界人民大団結万歳(笑)
多少、あちこちに行ってましたが、。結婚してからはめっきり諸外国へ出ることが少なくなりました。せめて一年に一度くらいは海外には出たい。元パッカーの習性で旅行は旗持ちではなくほぼ個人旅行。基本的には今世界で起こっていることについて思うところや、今まで行った街の印象を徒然に書いていきます。
みなさんが世の中について考える何かの助けになれば。

カレンダー

01 | 2010/02 | 03
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 - - - - - -

月別アーカイブ
最近の記事
カテゴリー
最近のコメント
最近のトラックバック
FC2カウンター
ブロとも申請フォーム
ブログ内検索

RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。