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姉妹ブログ「都電紀行」 第五話をアップしました

本日より分割した姉妹ブログ「都電紀行」に第五話をアップしました。

テーマは「三四郎池の文人~都電19系統の風景」です。

東京大学の本郷キャンパスにある三四郎池の風景を書いております。是非ご覧ください。

「都電紀行」 三四郎池の文人
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「都電紀行」独立のお知らせ

「都電紀行」ですが、単独で立ち上げたエッセイをまとめた方がいいんではないか、という声をいただき、独立して展開することにしました。旧来の「世界の駅の物語」は私の意思不足の為にクローズすることにし、同アドレスを新たに「都電紀行~とある東京の風景」として再出発します。

 41話を予定しておりますので、宜しければご覧ください。

「都電紀行」はこちらからご覧ください。

従姉妹の説教予告

 同い年の従姉妹より電話あり。私の関西時分、彼女が何度か大阪に出張に来た際に飲みいった事はある。それはこのブログにも書いた。私が上京した後、先方も東京に住んでいながら、会う事もなかったのだが、いや、一応上京の挨拶のメールは流し、返事の着信もあったような気もするが、うっちゃっていた。どうせ好き勝手に自由に生きている筈だ。用があれば連絡よこすだろ。

 いきなり何の前触れもなく電話が来た。挨拶もそこそこに少々暴走気味。今、電話で話てもいいか、と言う。いや、少し支障がありますが、改めてご連絡をいただければ。ゴールデンウィークにシンガポールに行くとかで、私としては少し安心したのだが、どうしても説教したいから時間を作れとのこと。いや、そんなに気を遣っていただかなくても...。

 来月、良く分かりませんが怒られに行ってきまつ。

「都電紀行」 東京の象徴~都電30系統の風景

 ふと心に浮かぶ我が街の風景とは?

 東京スカイツリーは本日現在で高さ349m。私の家から見ることが出来るが、どんどん高くなっていくのが遠目からも良く分かる。周りに高い建物が無い事もあり、少し高い建物に上がれば東京のあちこちからも目にすることが出来るだろう。
 いつも書くように、東京のシンボルは東京タワーだと思っている。単に高いだけでなく赤白の美しい鉄塔。昼間見てもよし、勿論夜景としてもとても美しい建物だ。西から新幹線で来る際の東京タワーが持つその象徴性に対する感慨は、同じ新幹線から見る京都に於ける東寺の五重塔と同様(京都タワーとは書きたくない)。やはり都市の象徴というものは建造物であるものなのか。それも美しさを持つ建造物、である。仕事に疲れた時、赤羽橋の駅を降りて国道一号線の交差点に出て目に入る東京タワー、そしてビールを片手にタワー下で一息つく時、ホッとするあの感覚は何だろうか?やはり街には絶対的なシンボルが必要なのだ。

 東京スカイツリーは東京の象徴として東京タワーを超えるだろうか。完成時の高さは634m。世界第二位の建造物を想定している。東京タワーが出来た時は東京のあちこちから見えたというが、スカイツリーは下町界隈だけでなく今でさえ目白や新宿からも堂々とした高さで見えるのだ。完成してほぼ2倍の高さになった時、どれほどのインパクトを持つことになるか、想像できない。ただ、高さやインパクトだけでは一都市の象徴とはなりえない。どれだけの印象を訪れる人というより、そこに住む人達に植え付けられるか、つまり生活の一風景に溶け込めるかが重要であって、単なる巨大建築物ではシンボルとなりえないのである。東京タワーは象徴となりえた。それは単に高いだけでなく、建てられた時代を背負っていたこととその後の発展を見下ろしていたこともあるだろう。

 都市の象徴とは、都市やそこに住む人達と共にそこに存在しなくてはいけない。誰かが東京の何処かでこの塔を見て自分の中の何がしかを思えるような存在でなくてはならないのだ。

 言問通りを入谷から東に進むと真正面に建築中のスカイツリーが見えてくる。丁度言問橋のたもと、隅田公園から隅田川を挟んだ対岸に望むあたりがこの塔を最も美しく見せているように思う。隅田川の流れと共にこの塔がそびえる時、東京を代表する川と同時に映るその景色は、スカイツリーを東京の象徴たらしめるのに十分な素地を持っていると思えるのである。

30系統東京スカイツリー
言問橋から望む東京スカイツリー


●都電30系統 路線図
東向島三丁目~言問橋~本所吾妻橋~雷門~上野駅前~上野広小路~須田町

東京チャリダー

今からスカイツリーまで自転車で爆走でつ。家→護国寺→千石→白山→団子坂→上野桜木→入谷→言問橋→業平橋。途中休憩入れて一時間半てところかしら。天気最高。ブログの資料も集めないと。

パンドラの箱

 パンドラの箱を開けてしまったので後戻りは出来ない。米軍の力が東アジアの安定を確保していると主張する方=何処までも沖縄に基地を置くという考えの持ち主。その主張をさえぎるつもりは無いが、余りにも無責任だ。ヒゲの隊長などの政治家たち、絶対に自分の住んでいるところに大規模な米軍基地は来ないのだから、何を言っても心に響かない。

 振興策という名のお金と引き替えに基地を認めてきた土地だが、本当に裕福になったのか。ここまで運動が盛り上がってしまえば、どんな主張の知事でさえ行政区のトップとして先頭に立たざるをえなくなってくる。現代法治国家と言えども最後は理よりも情なのだと思える瞬間。広島市長、長崎市長、沖縄県知事は、本質的に背負っているものが他の自治体とは違うのか。

 いずれにしても室蘭に基地を持っていくとは死んでも言わない。当たり前だ。

 パンドラの箱にはこの世のあらゆる「負」が詰まっていた。だから開けてはならなかったのだが、あらゆるものが出ていった後に箱に残ったもの。それは「希望」であったという話である。

貫禄十分の神戸駅

 神戸駅。東海道本線の終着駅にして山陽本線の起点。現在の神戸の実質的な中心駅は三ノ宮駅であるが、歴史という意味では神戸駅が最も由緒あるものとなる。
 この駅には貴賓室が残っている。山手側から駅に入ってすぐ左手に喫茶店があり、その奥まったところに貴賓室があり、中に入る事は出来ないものの、外から見ることは出来る。かつて皇族が神戸を訪れた際、出発まで小休止した所。また、今でも駅構内は装飾見事な柱と白壁で構成されており、かつての風格を今に伝えていてとても趣深い。隣の元町駅も同じように装飾見事な駅であるけれど、神戸駅の方が大きいので、風格はこちらの方が上だ。
 今回のホテルは神戸駅前にとった。普段の関西行なら大阪梅田に宿泊することが多く、神戸に泊まったとしても三宮か元町近辺となるが、改めて神戸駅をじっくり見てみる気になり、こちらに宿泊してみた。繁華街は完全に東側に移ってしまっているので駅地下街もそんなに賑やかである訳ではないけれど、何となくさびれたようなこの雰囲気は嫌いではない。
 ちなみに一番山手側にある一番線は、現在は朝のラッシュ時しか使われていないけれど、新幹線が走る前の往時、ここから戦前は超特急「燕」、戦後は電車特急「こだま」や急行「銀河」などが始発としていた由緒あるホームです。

阪急甲陽園線徒然

 阪急神戸線の夙川駅。何度この駅に降りたか分からない。桜の季節は文字通り夙川沿いに桜が咲き誇りとても美しい風景となり花見客であふれるが、この一瞬を外すと静かな落ち着いた地域となる。夙川から北に延びる阪急甲陽園線はたった二駅のローカル線。夙川を出ると苦楽園口、甲陽園の、単線のとても短い路線である。一時、この甲陽園線を地下化する話があったようだが全く意味が分からない。今のままでは複線化は無理であるし、車両も駅ホームの関係から3両までしか繋げないのでそれを解決する為の方法として地下化を言っているのだと思うが、ラッシュになる路線でもなくローカル線を本線並みにする意味を見いだせない。ましてやどういう訳か夙川沿いの桜も多少の伐採やらが必要になるとかいう話だったようで、当然のごとく沿線の人たちの反対運動で建設のメドがたっていないのである。実際乗車してみれば分かるが、乗れば乗る程地下にする意味が不明となる路線だ。
 苦楽園口は関西でも有数の高級住宅街である苦楽園の入り口。西宮には西宮七園と言われる「園」の付く地域が7地域あり、すなわち甲子園、昭和園、甲風園、香櫨園、甲東園、甲陽園、苦楽園の7つ。これらは全て大阪市外の避暑地として開発された地域である。今ではベッドタウン化してしまった地域もあり、昭和園に至っては名前すら町名に残っていないが、苦楽園は現在でも当時の名残で高級住宅街として広がっている。
 終点の甲陽園はこちらもとても落ち着いた地域。行き止まり式の駅は狭い駅前に丁度よく収まる好ましい駅舎。駅周辺は洋菓子のツマガリの本拠地として、甘い香りの漂う場所でもある。

 甲陽園駅に最初に降りたのはいつのことだったか。そろそろ寒くなってきた季節の夜だったような。

 東京は明朝にかけ季節外れの雪が降るとのニュース。明日の甲陽園は穏やかに晴れそうです。

「都電紀行」 宮家の邸宅~都電5系統の風景

 敗戦後まもなく、直宮家(秩父宮、高松宮、三笠宮)を除く皇族は皇籍離脱となった。それとともに税金の支払いの必要もあって今まで住んでいた住居を引き払っていったことも当然の話かもしれない。
 久邇宮の系統となる朝香宮は現在の白金台に居を構えていた。その住居は宮の留学時の影響もあり、アールデコ調で造られた邸宅となった。広大な庭に対し住居は大きくないが、そのモダンな建物は現代に於いても全く色あせることはない。幸いにして空襲の被害を受けず、建てられた当時のものが今でもそのまま残っている。戦後朝香宮が出て行く際、危機感を覚えた昭和天皇が吉田茂にこの家を譲ったと言われ、それからは吉田がここを半ば首相官邸代わりにして住居とした。次いで西武鉄道がここを管理したが、建物は迎賓館として利用された。後、迎賓館として利用するのには手狭になったことから、東京都の管理に移って東京都庭園美術館として公開されている。

 丁度私が訪れた時は「アールデコの館」として、邸宅自体の展覧会として内部公開されており、建物をじっくり見る事ができた。今回以外でも随時美術展が開かれているようで、開催時期は邸宅に入ることが出来る。

 今まで見てきた宮殿と比べればその大きさは比較できるものではないが、機能的でありながらも瀟洒な内装は、現代の目には逆に新鮮だ。このような建築を見るたびに思うのは、どうして現代の建築家はこのような細かいところまでこだわる仕事を創造できないのだろうか、ということ。レトロとは古くさいものではなく、逆に現代に於いては新鮮さを持った建築のように感じるのは、多くの人が好んでこのような建物を見に訪れる事実が示しているようにも思う。それは決して懐古趣味からだけではないだろう。

5系統旧朝香宮邸
旧朝香宮邸

●東京都庭園美術館
黒77系統(目黒駅~千駄ヶ谷駅)、橋86系統(目黒駅~東京タワー)
東98系統(東京駅~等々力)、品93系統(目黒駅~大井競馬場)にて
「白金台五丁目」下車

●都電5系統 路線図
目黒駅前~清正公前~古川橋~一ノ橋~芝園橋~御成門~日比谷公園~馬場先門~京橋~八丁堀~永代橋
山手から隅田川まで走る長距離路線

「都電紀行」 神宮の白球~都電10系統の風景 

 野球と言えばプロ野球であると同時に、子供の頃から東京六大学野球にも触れてきた。関西に出てからは六大学と同じようなリーグで「関西学生野球」(同志社、立命、関大、関学、近大、京大)があり、こちらもよく見に行ったが、やはり大学野球は神宮での六大学が本家本元になる。
 
 かつてはプロ野球よりも人気があったというが、テレビで見る限り、優勝のかかった早慶戦でもなければ満員になることは無いようだ。私も去年行くつもりが結局行く機会もなくこの春を待ったのだが、今日開幕戦ということで、神宮外苑に足を向けてきた。

 最初の試合はプロ注目のエース野村が投げる明治と東大の試合だった。自分が球場に入った3回で既に明治が8点取っており、試合の興味が失せた。もっとも大学野球は試合がつまらなくても応援団を見ているのも楽しかったりするので、退屈はしなかった。明治は勿論のこと、東大まで行って応援団に入るのはどういう連中なのかとも思うが、スカイブルーの「大学」と書かれたシンブルな東大の応援旗が青空に栄えて美しかった。そうなのだ。日本で「大学」の文字だけで自称していいのは東京大学だけなのだ。余談だが東大には確か校章も校歌も無かったような。結構この大学、特殊だったりします。普通にあるものが無かったりする。
 試合自体は東大の草野球並みの野球で、見始めて1分で見るのをやめたが、六大学には東大が無ければ始まらない。

 第二試合がメインイベント。早稲田対立教。早稲田の開幕投手は斎藤。ハンカチ王子。
 彼の投球は夏の甲子園で3試合見たことがある。最後に見たのは決勝再試合の引き分けた方の試合。楽天に行った田中との壮絶な投げ合いだった。丁度両親が関西に来ており、彼らは初めての甲子園であったのだが、最高の試合を見てもらえたので良かった。
 斎藤相手ということからか立教は気合い入りまくっていた。行き詰まる投手戦で、立教の初安打が本塁打だった。ま、9回サヨナラで早稲田が勝ちましたが。

 甲子園と同様にここ神宮も野球を語る上で外せない場所。六大学野球の開幕が、桜の開花と共に暖かい季節の到来を告げるものとなる。

10系統神宮球場
早稲田対立教 投げるは早大 斎藤投手

●都電10系統 路線図
渋谷駅前~青山通り~赤坂見附~三宅坂~半蔵門~九段上~九段下~神保町~小川町~須田町
昭和38年10月、青山一丁目~三宅坂、半蔵門~九段上廃止のため、青山一丁目~四谷三丁目~四谷見附~市ヶ谷見附~九段上へ途中経路変更

3104さんへ

 どうもお久しぶりです...って、コメントをくれた僕の元部下の人、大変ごめんなさい。関西の時の人ですよね。一生懸命考えましたが、どなたか分かりません。この番号に思い当たる節がありません。一番多い時で20人以上いたじゃないですか、関西のウチのメンバーって。延べ人数でも30人近くいっていると思うんで...。
 もう一度見られる時があったら是非ヒントの返信を待っております。こちらの記事についてはコメントを開きました。

 わざわざ思い出してくれてググってくれて来てくれているのに、
 本当に申・し・訳・な・い。
 で、宜しくお願いします。  

「都電紀行」 面影橋の桜~都電15系統の風景

 私が最初に歩いた街は面影橋界隈だった。

 東京に出てくると決まり、住居を探すために夜行列車で東京駅に着いたのは朝7時前。あらかじめ目をつけていた不動産屋はあったものの、開店するまでには時間がある。よって東京駅から京浜線に乗り、王子駅で降りて朝食を取り、都電で都の西北に下りてきた。
 面影橋とは感傷的な名前の橋であるが、それに惹かれて電停を降りた訳ではない。別に理由などなかったのだ。不動産屋は新宿であり、面影橋からなら高田馬場まで出て山手線に乗れる。今考えると学習院下の方が近いのだが、その時はそんなことは知らない。電停を降りたすぐ道路沿いに神田川が流れており、川沿いにてくてく西の方に歩いていた。

 日本人なら桜の木だけは誰でもすぐにわかる。一月の寒い頃で葉の無い桜であったが、川沿いに延々と植えられている様は、春の景色を期待しない訳にはいかないもので、その季節にはとてつもない桜並木の光景となるのは十分に予想出来た。

 面影橋は神田川にかかる橋である。都電が渡る高戸橋から早稲田電停近くの豊橋(ゆたかばし)までこの界隈には6本の橋がかかるが、丁度真ん中あたりに位置し、南は西早稲田、北は宿坂をかけあがって高田、雑司が谷へ続く。宿坂の隣に位置する坂を胸突坂といい、東京で一番急な坂と言われる坂である。胸突坂を上がると千登世橋の際。我が家はすぐそこだ。橋の歴史は古く、大田道灌の逸話「山吹の里」という話もある。安藤広重の浮世絵にも書かれているくらいで、昔から名所でもあったらしい。

 今年の桜の季節。この神田川沿いを歩いてみた。両岸を埋め尽くす桜は筆舌に尽くしがたいもので、有名な九段の千鳥が淵の桜とはまた違った意味で見事と言う外はない。難点を挙げるとすれば、護岸工事が完璧に施された神田川のコンクリートの壁であろう。

 いつかこの界隈から離れる時、この面影橋辺りの桜の記憶と共に出ていくことに違いないのである。私にとっての東京の入り口は、面影橋であったのだ。

春の面影橋と神田川
春の面影橋と神田川


●都電15系統 路線図
高田馬場駅前~早稲田~江戸川橋~飯田橋~九段下~神保町~小川町~大手町~日本橋~茅場町
かつて都電最盛期には最も乗降客の多かった系統であった。

動坂下から千登世橋へ、GO!GO!不忍通り

 Yさんと西日暮里でラーメン。で、動坂下で別れた。
 まっすぐ田端駅へ行けば早いのはわかってるんだが、ラーメン食べた後でもあり、ビールも入っていたのでそのまま電車では勿体ない。本郷通りまで出て駒込から山手線に乗ろうと思い、不忍通りを歩き始めた。動坂下からすぐの本駒込の都営住宅は元々都電神明町車庫、なんて話はどうでもよい。上富士前で本郷通りに辿りついたが右折するのは勿体ない。白山通りまで行って巣鴨の気分になったのでそのまままっすぐ。白山通りまで来たが体が元気。次は春日通りですか。勿論春日通り交差点も直進!ここまで来ると山手線も離れています。でも結構いけるものだなあ。夜だから車も少ないので足取りも軽い。坂を下ると音羽通り。護国寺です。もうタクシー乗る気無し。家まであと少しだもん。目白台へ駆け上がる坂を上って目白通りとぶつかった。到着した気分です。で、千登世橋横の交番の裏階段を下れば明治通り。到着です。
 動坂下から千登世橋まで、一時間と少しで来ました。いい運動でつ。

日本人犯罪者に対する中国での出来事について

 少し前まで中国の入国カードには「外国人であってもいかなる理由でも問題を起こした場合は、中国の法律によって処理される」みたいな事が書いてあった記憶がある。最近のは両面印刷になっているので直接それら警告に触れることはなくなった。まあ、一般の渡航者が治外法権で守られている筈が無いので、その国に入ったらその国の法に縛られるのは当然。入国する、というのは、その国の文化、宗教、風俗、習慣、法律を無条件に了承することと同義であり、これを承服できないのであれば、「行かない」という選択をすることで意思表示をすることも、渡航者には認められている。当たり前の話だが。
 麻薬で死刑というのが厳しいというのは、あくまで日本を含む他国の感覚に依るもので、中国に渡航した以上、日本人から見て厳しいとか悪法だとか言う筋合いは本来無い筈だ。納得できなければそもそも行かなければ良いのだし。ましてや死刑と臓器売買を絡めて書いてあったニュース。臓器は死刑とは別の話だろう。大体死刑制度のある日本がとやかく言えるのだろうか。日本での中国人処刑は人を殺した犯罪者に対するものだったから、と肯定するのか?
 麻薬と死刑の関係については、かつてこのブログでも取り上げたと思う。日本は嫌中の風潮が強いので「やはり中国」とか思えるかもしれないが、シンガポールやマレーシアも麻薬で死刑が科されるのは同様。こちらは確か入国書類にその旨が書いてあった筈だ。

 雲南の大理とかに行くと、大麻がそこらで自生していたのを思い出す。もう15年くらい前の話だが。私はやらなかったが、当時大理に籠って大麻中毒になっていた旅行者を何人か見た。だから死刑を持ち出した所で根本的に麻薬が手に入らない国では無いのだが、手にした瞬間にヤバイ国であるのはその当時から感じていた。
 アヘン戦争と絡めて麻薬に厳しいという話がある。確かに麻薬で国を滅ぼす原因を作った事実もあるので、この話もあながち嘘とは言えない。ただでさえ人命が軽い国だ。中途半端に牢屋に入れるくらいなら、みせしめの意味も込めて殺してしまう選択を取りやすいのもごもっとも。これを厳しいとか量刑不当だとか言う意見こそ、本来ならば不当な意見だとも思える。

 ちなみに以前、処刑は公開だった。私はそのものズバリを見たことはないが、銃殺前の市中引き回しは見たことがある。トラックに乗せられ、首から罪状の書かれたプラカードを下げていた。もちろん見せしめの為です。何かやってみろ、明日はお前たちがこいつらみたいになるんだぞ、という脅し以外の何物でもないですけれど。

新テーマ立ち上げます~「都電紀行」

 「世界の街の物語」と言いながらも、最近東京のことしか書いていません。自分の中で外への関心が薄れているので仕方が無いんですが。一回海外旅行に行けばまた変わるんですけれど。

 新テーマを立ち上げます。

 テーマ名は「都電紀行」。

 東京にはのべ41系統の路面電車が縦横に走っていました。このテーマでは系統の紹介と共に、各系統ごとに沿線の特徴的な風景や小話を一つずつエッセイとして記していきます。選択は私の独断と偏見。場所の場合もあれば歴史物語の場合もあります。勿論私はその最も栄えた時代を生きていないので、当時の写真はありませんが、出来れば現在の風景を一緒に紹介したいと思います。

 41話のテーマは決定しました。系統は私の気分により順不同で不定期に記していく予定。「お江戸物語」とは極力差別化を図ります。

 お楽しみに~!

今日の飛鳥山

こんな感じでした。携帯のカメラの性能が悪いので荒いのはご容赦を。

asukayama.jpg

早稲田界隈のマクドナルドに思う

 馬場下町のモスバーガー。この早稲田界隈で珈琲飲むには空いている確率が高い。いやに人が多いなと思ったら、そうだった、新入生が入ってきたんですね。近々ちょっとしたイベントで関西に行くので散髪に来たのだが、普段土曜日とかいうとこの辺り閑散としているのに、人が多くて少し驚いた。でもここのモスバーガーはガラガラ。並んでるマクドナルドは結構人が入っているのだが。
 先週馬場下町の少し南、若松町のマクドナルドに入ったら3月いっぱいで閉店ですの案内。何処でも混雑している印象のマクドナルドで、ここは前から人が入っていないと思った。今後は馬場下町のマクドを使ってくださいとか案内してた。調子いいといいながらも不採算の店舗もあるみたいです。
 我が社も業績悪化とかで、コールセンターを地方へ移管しているが、厳しい世の中です。セクションと一緒に飛ばされる若い女性スタッフの中には泣くスタッフもいたらしい。社会人の常とは言いながらも、人情のかけらも無いのはどうかと思います。私などWeb制作部門。これこそ全国何処でも、下手すりゃ地球の裏側でも出来る訳で、明日は我が身か。会社に魅力が薄くなった今、そろそろ先を考えなくてはいけないと思う今日このごろ。

今週徒然~桜桜桜

 そう言えば今週一度も書いてませんでしたか。何もしてなかった訳ではない。むしろ仕事を終えてからも街に出ていたのだ。
 
 仕事の都合でどうしても20時までは会社にいなくてはいけなかったが、20時になった瞬間に最寄りの地下鉄駅へGO!まっすぐ九段下を目指す。勿論千鳥ヶ淵の桜並木です。肌寒い毎日だったが、何とか桜が咲く陽気にはなり、火曜30日に訪れた時は夜桜の見頃を迎えていた。去年も書いたけれどここの桜は素晴らしい。千代田区さくら祭りと称して夜10時まではライトアップをしていた。去年は靖国神社前の高灯籠(明治四年造)からすごい人の波だったが、今年はすんなり千鳥ヶ淵まで行く事が出来た。もっと人で混雑しているかと思ったが拍子抜け。寒さからまだ見頃では無いと思っていた人が多かったのかな?で内堀通りの入り口まで行って九段下まで戻ってきた。夕食は東西線で高田馬場まで出てシンガポール料理屋とかいうところで食べた

 翌水曜日も20時に終わったので地下鉄で半蔵門へ。同じく千鳥ヶ淵。やっぱりそれほど人は多く無い。この日はそのまま九段下へ抜け、東西線で早稲田へ向かって駅前の王将で久しぶりに餃子を食べた。

 で、本日。明日、会社の面々と飛鳥山で花見。特に用は無いのでシティサイクルと明日の下見も兼ねて飛鳥山まで出てきた。概ね都電沿いに走る。さすがに今日の都電は頻発しており、次から次へと電車が来る。それもいい感じに満員で走っている。見るからに観光客らしき人たちでいっぱい。大塚駅より南でも混んでいるということは、みなさん早稲田まで直通するのだろうが、その後どうするのかな?大隈講堂の前を通って地下鉄駅まで歩くのかさもなければ面影橋か学習院下で降りて高田馬場まで歩くのか。主要駅から離れている中途半端な早稲田から発着する割に、普段から近隣の人たちで都電の利用率は高いと思うが、このように混んでいるのを見ると公共交通機関としての役目を十分に果たしている。このままずっと走り続けてほしいです。

 大塚駅前から庚申塚、滝野川を抜けて飛鳥山へ。うげ。すごい人です。まあこんだけ晴れているし、暖かいですから。電車通りの向こうに桜の山が見事に展開されていて壮観。山に上がってみると人がゴミのようにうずくまっているが場所を選べばスペースはありそうで一安心。部下が明日朝場所取りに行ってくれることに。ありがとうございます。

 飛鳥山からは本郷通りをひたすら南へ向かう。途中霜降橋の商店街でコーヒーでも飲んで一息つこうかと思ったが適当な店がなく、東京大学まで来たら観光客らしき人で何処もいっぱい。東大は東京名所の一つなのか。本郷三丁目や御茶の水あたりは自転車が止められず、結局駿河台下のスターバックスなう。

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プロフィール

Mr.Problem

Author:Mr.Problem
東京移住。
職業:雲のジュウザ
根本思想:世界人民大団結万歳(笑)
多少、あちこちに行ってましたが、。結婚してからはめっきり諸外国へ出ることが少なくなりました。せめて一年に一度くらいは海外には出たい。元パッカーの習性で旅行は旗持ちではなくほぼ個人旅行。基本的には今世界で起こっていることについて思うところや、今まで行った街の印象を徒然に書いていきます。
みなさんが世の中について考える何かの助けになれば。

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