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甲州日帰り旅行

 思い立って山梨を訪れた。

中央線は新宿を出る時は「中央線」だが、高尾を過ぎると「中央東線」になる。高尾まではオレンジ色の通勤電車が主の区間であり、そこから先はセミクロスシートの近郊電車の区間となって、明らかに印象が違う。最近の東京近郊は何処もかしこもロングシートの通勤電車になってしまったので、鉄道が単なる移動する「ハコ」になってしまった。ボックスシートのいい所は「さてこれから足を延ばしますよ」という感覚にしてくれる所で、旅行という意味ではこちらのが大分によろしい。

 高尾を出た小淵沢行は、ボックスに1組が入るくらいの入りで混むわけでもなく丁度いい。節電のせいか分からないがこう暑くてもクーラーが入っていないので、遠慮なく窓を開ける。はい、最近の電車は窓が開きませんから。空調前提なんですよ、作りが。

で、甲府でほうとうを食べて帰ってきた。考えてみたら甲府で降りるのは初めて。高知が龍馬で持つのなら、ここは信玄です。あちこちに武田菱の紋が掲げられていた。

 帰りは列車ではなく高速バスで。中央道が小仏トンネル辺りで渋滞するのは分かっているが、乗り換え無しに新宿まで行かれるのはラクで値段的にも普通電車を乗り継いでいくより安く行ける。本来中~長距離の移動手段としてのバスは自分の中では無いのだが、どうせ寝ていくのだからいいかなと。こうしてバスにシフトしていくのだろうかしらん。
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原子力の魔力

 原子力発電所の是非はひとまず置いておいて、どうにも理解できないのは、原発が存在している所の市町村の人々は怖く無いのか、ということだ。
 今停められたら困るとか出て行かれたら困るとか言うけれど、福島で起きている事を目の当たりにしてそれでも「自分の街は大丈夫」「電力会社が安全だと言っているから」などと、本気で考えているのだろうか。自衛隊の基地と同じで、原発が地域経済に深く根付いているから今更止まってもとか言うが、地域産業と生活の安全とで天秤にかけたとして、棄村になっている現実を見て、何かあったら生活の場を捨てざるを得ないにも関わらず「現時点」を是認し続けるのは、正直な話、理解に苦しむ。「では原発やめたら、今の生活をどうしたらいいのですか?」と当然の声が上がるのだが、危険と隣合わせに生きるのは「うちだけは大丈夫」との感覚が何処かで支配している=つまりは敢えて言おう、「危険な現実逃避」であると。

 宇宙に人を飛ばす時代に、自然エネルギーの有効な電力化は技術的に困難である筈が無いだろう。原子力という20世紀科学の頂点の技術を維持することが科学立国としてのプライドである、という考えを妄信的に持っている集団がいるのではなかろうかと穿った見方をしてしまう。核爆弾を持てない代わりの原子力発電だ。そのような考えが、新たな電源開発にともすればブレーキをかけてきているのが、この日本という国ではないかと思う訳です。

暑くなったので写真を代えてみた

 急に暑くなったので、表題の写真を代えてみた。いつまで桜の写真にしておくのだと思っていながら放っておいたところ、さすがに今日の暑さに桜は季節ハズレなので我慢しきれなくなって変更しました。

 写真は、四川省達州駅で硬座車の入り口に殺到する人民各位の乗車風景。特快列車(特急)なので乗車している人達の民度も低くはなさそう。まあこの後に夜を越すので、その時は別世界になったかもしれませんが。

 丁度季節は5月。中国の内陸も暑くなってきた頃の旅行での一風景です。

或る土曜の夕方

夕方、所用で霞ヶ関駅を降り日比谷公園に入ったら、日比谷野外音楽堂から「なごり雪」が聞こえてきた。どうやら「ご本人」が歌っているらしい。入り口には「南こうせつコンサート」の看板が出ている。ゲストか何かで呼ばれて歌っているようだった。本人達が見えないだけで音は十分に大きく、外でもコンサート気分のようで、野音の周りにあるベンチには多くの人が座っていて漏れてくる歌を聴いている風だった。

 用を済ませたあと、夕飯を外で取ろうということになり銀座へ出た。銀座と言っても高い店ばかりではない。狙うは老舗の庶民派洋食屋で、この辺りだと煉瓦亭とか銀座スイス当たりが定番だが、今日は「洋食あづま」に入る。ここは「あづまデラックス」(うすいオムレツがかかったカレー、ハンバーグ、魚フライのプレート)や「豚肉のじゅうじゅう焼き」が看板だが、今日は素直にハンバーグ。私はイタリアンハンバーグ(トマトソースにサワークリームのせ)、妻はチーズハンバーグにトマトポタージュを注文。私は洋食屋では大抵チキンカツを注文するのだが、やっぱり日本洋食の原点はハンバーグかな、とも思う。この店、新宿にもあることを今日知った。
 神戸在住時の洋食屋通いはこのブログでも書いてきたが、東京に来ても引き続いてこのような店を探して入っている。ということで我ら夫婦の洋食率は非常に高いが、ファミリーレストランは皆無。

 今日も満足して家路につく。

更科そば

 麻布十番駅を上がって一ノ橋交差点を六本木の方に向かう道が、麻布十番商店街である。この界隈で食べられる食べ物が~というかここでしか食べられないのが「更科そば」。この商店街近辺に3軒の屋号が並ぶ。他の地域でも更科そばの店はあるが、何処もこの麻布十番の3軒が支店として出している店であり、実質的にはここにしか無いと言っても良いだろう。
 この3軒、ルーツを辿ると1つになるのだが、歴史の途中で大人の事情によって今のような3軒競争になったらしい。

 東京は郷土料理であると言ってもいいくらいに石を投げれば蕎麦屋に当たるくらい食べる所は多く、そんなにお金を出さなくとも酒と板わさなどの一品をつつくことから始まってざるやせいろで締める江戸前の食べ方で楽しむことが出来る。「薮」を代表として出てくる蕎麦は当然の事ながら蕎麦色であるが、ここ麻布十番の「更科」は白い蕎麦。同じ蕎麦を使っていても一見冷麦みたいな白い蕎麦が独特だ。

 勿論食べ方は更科であろうとなかろうと一緒だが、基本は盛りやざるであって温製ではない。大体少量のつゆに少しだけ付けて食べ、特に酒を飲まないのであれば、食べたらさっさと店を出るのが粋な世界だ。食後に一服やご歓談など野暮な仕業である。

 自分達が入った店は混んでいたけれど回転の速く、更科を二枚とかき揚げを一つ頼んで満足して出てきた。気分が良く、そのまま元麻布の丘を超えて有栖川記念公園を過ぎ、外苑西通りを天現寺橋まで歩いたとさ。

うんちく
板わさは東京の蕎麦屋の代名詞だが、元をたどれば上方のものらしい。東京の蕎麦屋で出てくる板わさのかまぼこは、小田原産が本流とされているようです。

●麻布十番商店街
都06系統(渋谷駅~新橋駅)、橋86系統(目黒駅~東京タワー)、反96系統(五反田駅~六本木ヒルズ)にて「麻布十番駅前」下車。

名曲喫茶に東京を見る

「全館(各階)ステレオ音響完備(帝都随一を誇る)」

 戦前のコピーではない。現代に営業する喫茶店のコピーだ。

 渋谷道玄坂から少し脇道にそれた所に、その店「名曲喫茶ライオン」はある。創業は1926年。つまりは昭和元年。

 今では殆ど聞かなくなったが、古い通俗小説を読むと「音楽喫茶」だとか「歌声喫茶」なるものが文中に出てくることがある。少し上の世代ならご存知の筈の喫茶店で、「音楽喫茶」とはひたすら店内に音楽が流れていて、そこに行く客は会話をしに行くというよりも、その流れる音楽を聞きに行くといったところ。「歌声喫茶」とはそこで一緒に歌を歌う=つまりは合唱をする喫茶店のことだ。昔は相当流行ったらしいが、勿論今となってはどちらも絶滅寸前で私も今まで足を踏み入れることはなかった。歌声喫茶は新宿界隈の何処かに今でもわずかに営業しているらしいのだが、さすがに印象的に入るのがためらわれる。いや、いたって健全な喫茶店なのだけれど、知らない人と歌詞を持って一緒に歌う事に何となく抵抗がある(こんな人間が多くなったから廃れていったのだろうけど)。大体喫茶店とは誰からも束縛されない時間が欲しいから行く訳で、音楽喫茶なら個人の時間に没頭できるだろうということで、渋谷にある老舗の音楽喫茶に足を踏み入れた。

とにかくこの店の詳細については、以下のホームページを見てほしい。
名曲喫茶「ライオン」HP

 創業1926年だが、建物は一旦1945年の東京大空襲で被災した。で、1950年に同じデザインで再建をしたとのこと。この2代目も既に築60年以上なので、外観も内装も店の持つ雰囲気もレトロの本流をいっている。で、店内は話し声など無い中でひたすらクラシック音楽が流れているのだ。席は全て巨大なスピーカーの方を向いており、音楽の世界に浸れるようになっている。音源は主にレコードのようで所々プツプツ音が出てるが、それがまたいい感じにタイムスリップさせてくれる。来ている人の年代は意外にも幅広いようで、20代と思われる人達も何人かいた。レトロなのは店の雰囲気だけではない。メニューにもレモネードとかオレンジエードとかあるから泣けてくる。「それって何?」という人も多いのではないか。

 洗練されたカフェやアメリカ的チェーンコーヒーが幅を利かす中で、このような世界がまだ残っているのだ。単に古い喫茶店なら自分が今まで住んできた京都や大阪や神戸にもあったが、このような空間は殆ど見た事がない。古いだけではなく時間も止まった喫茶店などまず見ることは無いが、東京にはまだそのような喫茶店があちこちに残っている。カフェではない。ここにあるのは、かつての「日本の喫茶店」だ。
 京都でイノダコーヒーや進々堂に行って感慨に浸れる方には、もっとディープで興味深い印象的な喫茶店の世界が東京にはある、と強くオススメすることが出来る。神田神保町だけでそのような店は4~5軒は出てくるし、新宿や上野、池袋あたりの騒がしい街中にもこのような店はある。

 桜についても以前書いたことだが、関東の人はわざわざ遠くに行く必要はない。私は関西から出てきたから言える資格はあると思うが、東京という街をじっくりと見直してみるべきだ。

 一緒に行った妻は楽しいのかどうか微妙だったが、これらの店にもう少し付き合ってもらうことにしよう。

●名曲喫茶ライオン
渋66系統(阿佐ヶ谷駅~渋谷駅)にて「東急百貨店本店前」下車、池86系統(池袋駅~渋谷駅)、早81系統(早大正門~渋谷駅)にて「渋谷駅西口」下車

サイトをhtml5に書き直し

北京~モスクワ 第3/4国際列車

 サイトを大幅リニューアルするには至らないものの、使用タグがメチャクチャだったり、スタイルシートが煩雑になってきているので、デザインそのままでページを再構築してみることにした。

 で、せっかくだから練習も兼ねてhtml5で書いてみた。デザインはほぼ変っていないけど、裏のソースは大幅に変っている。CSS3を使うまでもないレベルだが、htmlだけでもこうして書き換えてみると何となく新しくなったようで気分がいい。

 ということで、ボチボチ他のページも書き直していきます。

参照環境は

IE7以上(多分6でもいけるけど一応7以上で。javascriptで強引に対応させてる)
Firefox3.6以上(今の最新は4です)
Opera10.6以上(こちらも最新は11だったかな)
Chrome
Safari5以上

ここまでは動作確認をしています。

「北京~モスクワ 第3/4国際列車」復活運行!いえ、サイトですが何か?

 とりあえず一旦復活です。

 本当はサイトをリニューアルしてからにしようと思いましたが、一旦手放した旧ドメインを再び取得できたので、前の内容のままでサイトを復活させました。
 またおいおい変えていきますが、定期的に読んでいただいていた方もおり、どこぞの御仁が貼っていただいていたWikipediaにもリンクが残っているので、再度公開しました。

 よろしくお願いします。

北京~モスクワ 第3/4国際列車

オサマ=ビンラディンが巡り巡って

 2001年9月11日は、多かれ少なかれ記憶がある方が多いだろう。

 私のその日は、家に帰った瞬間に上司から電話がかかってきて会社に連れ戻されたことが最初の記憶だ。確か夜11時から0時くらいのことだったと思う。勿論残業後に多少の酒が入っていたのだが、酔っぱらっていて適当に返事してたら「テレビを見ろ」と怒鳴られた。あとは今すぐタクシーに乗って会社に来い、との指令。後にも先にも会社がタクシーを使えと言ったのは、あの時のみ。
 で、夜中の3時くらいに当時の本部長が「よしみんなにおごったろ」と言い出し、近くの吉野屋に誰かが使いに出て、その時会社にいたスタッフはその恩恵に預かった。誰一人として牛丼を食べたそうなのはいなかったが、その好意を無にする程にサラリーマンとして出来ていなかった訳ではない。

 それからの1ヶ月くらいは色々な意味で大変だったが、多くを学んだ時期でもあった。

主権国家内で他国の軍隊がオペレーション。アメリカの仇敵は消えたようだが、こんなのアリ?とも首をひねる。例えて言うなら、日本に於いてかつてのKCIAが金正男を殺ったとしたら?
 おっと、似たような事件が実際ありましたね。

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プロフィール

Mr.Problem

Author:Mr.Problem
東京移住。
職業:雲のジュウザ
根本思想:世界人民大団結万歳(笑)
多少、あちこちに行ってましたが、。結婚してからはめっきり諸外国へ出ることが少なくなりました。せめて一年に一度くらいは海外には出たい。元パッカーの習性で旅行は旗持ちではなくほぼ個人旅行。基本的には今世界で起こっていることについて思うところや、今まで行った街の印象を徒然に書いていきます。
みなさんが世の中について考える何かの助けになれば。

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