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トレドの風景

 トレドは歴史に名を残すカスティリア・ラ・マンチャの古い街で、他の街と同様に教会(カテドラル)と城塞(アルカサル)はこの街にも付いて回る。けれど他の街と印象を異なったものにするのは、旧市街が城壁に囲まれていることと、この街が紹介される際に紹介される写真が旧市街の街に流れるタホ川の向かいから撮られたもので、それがあたかも湖に浮かぶ島に街があるように見えるその美しい風景を以って印象づけられることだろうか。街をじっくり歩いてみると、モロッコあたりのカスバと見まがうような迷路のような細い路地やは中世にそのまま迷ういこんだ気にさせるし、エル=グレコの旧居や荘厳なカテドラルなど、歴史的な見どころはいくつもある。けれど、それらの多くはともすれば(印象だけなら)他のスペインの街でも見られるが、城壁に囲まれた化石なような街並み(我々はアンダルシアでそれを見たが)や、美しい街の外観はこの街に他の街とは違った印象を訪れる人に与えるのではないかと思う。

 宿泊したホテルは城壁そばなので、街の中心へは坂を上っていかなくてはいけない。ビサグラ新門から坂をほぼ登り切ったところにある広場がソゴドベール広場。この広場から「ソコトレイン」という汽車列車風の遊覧自動車が出ていて、これに乗ることで旧市街を望む例の景色を訪れることが出来る。自動車は定員制で、切符を買うと自動的にかその時に買える一番速い便が指定された(もしくは選べるのかもしれないが、そんな気もなかったので、素直に言われた便の切符を買った)。自分らの自動車は14時半発だというので、まだしばらく時間がある。朝食を取ってなかったので、広場のカフェでコーヒーとサンドイッチの朝食を取った。

 時間つぶしも兼ねて旧市街の迷路の中へ。日曜ということもあってか観光客は多く、日本人の旗持ち団体も幾組か見た。ただ、この調子だとマドリッドあたりからの日帰り観光客が大半で、夜は極端に人が少なくなるというパターンか。ミハスやコルドバのようになる気がした。
 街は期待を裏切らない迷路状の中世の街で、その中を歩いているだけでも楽しい。ここのお土産は刀剣類のようで、あちこちで刀のイミテーションが売っている。騎士の剣に似せたペーパーナイフがあり、一つ買ってみようかと思ったけれど、案外にちゃちそうだったのでやめた。丁度ミサか何かか分からないが、飾られたイエスの立像を手押し車に乗せてその後ろを鼓笛隊が練り歩くというイベントにあった。よくヨーロッパの祭りなどで掲げられるあの像だ。それをやり過ごすとバルが何軒か並んでいて自分らを呼んでいる。性格に言うと「Cerveceria」なのでビール酒場。ビールを看板に出すのは、ここスペインでは今までありそうで無かったパターンだ。

 そんなこんなで時間が来たのでソコトレインに乗車してみる。当ブログを読んでいただいている方のうちでこれから乗ろうと考えておられる方がいるかもしれないので紹介すると、この車、どんなことがあっても進行方向に向かって右側に座らなくてはいけない。4人がけの席なので一番右側が取れれば申し分ない。二人連れなら並んで座っていいが、3人以上なら分かれてでも右側を取るべきだ(2012年5月現在)。何故なら車は旧市街を出て右に向かってタホ川沿いを走るから。そうすると例の有名な景色を右手に見ることになる。勿論左側でも首をのばせば見られないことはないが、もっと良い景色をいい場所で見たいと思うのが人情。あとで損した気分にならない為にも、何とかして右側の席を押さえよう(早く行って周りに空席があったとしても、すでに誰かが座っている列に押し込んで座った方が安心。ドアは右側にしか無い)。車は全くスピードが出ないまま、40分ほどで街の外を一周して広場に戻ってきた。まあ有名なパラド-ルに泊まってしまえば景色を堪能できるのだが、ここのパラドールは人気があり、それなりに計画的に手配する必要がある。自分らが検討した1か月前は季節もあったのかもしれないけれど、既に満室だった。

 夕飯はホテルのレストランで。ホテルにあるといっても、ここのレストランは有名らしく庭の中に在って雰囲気抜群。名物は子豚の丸焼きというけれど、食べきれないのは分かっているので、素直にポークソテーにしておいた。この街に限らなかったが、メインを2人でそれぞれ注文すると食べきれないので、レストランで食事をとる時は二人でスープかサラダを2人分(2皿)、メイン1皿、小皿(生ハムなど)を1皿くらいの注文にとどめておいた。これにグラスワインをそれぞれ。

 21時に夕食を始めて終わったのが23時。ダラダラと完全なスペイン時間。街の鐘が夜の空に響く。
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最終訪問地まで

 普通なら首都でありスペインの玄関口ともなるマドリッドに到着した時点で旅行は終了、日本へ帰る、ということになるのだろうけど、今回はそうはならぬwww。まだ終わらんよ。

 ホテルを一泊でチェックアウトして駅へ。地下鉄でアトーチャ駅。列車の切符は昨日の到着した時に買っておいた。次の目的地であり、今回の旅行で最後の訪問都市となるのはトレドである。

 10時20分 マドリッド・プエルタ・デ・アトーチャ発トレド行Avant。高速列車でトレドまで無停車で突っ走る。そもそもはアランフェスから分岐する在来線がトレドまで結んでいたのだが、観光路線の性格を帯びる意味もあったのか、高速線専用区間として現在は営業しているようだ。Avantがマドリッドとの間をそこそこの本数で結んでいる。約30分ほどでトレドに到着した。
 トレド駅は歴史都市にふさわしい見るからに年季の入った建物だが、駅舎を除けば駅は勿論のこと、周辺も殺風景だ。丁度出口を出たところにバスが停まっており、旧市街まで行くという。値段は一人2ユーロ。あとで市内バスを調べたら1.5ユーロ(1.3ユーロだったかな)だった。けれど駅からのバスが白バスだった訳ではなく、観光客に向けた乗合バスだったらしい。旧市街まではわずかな距離だったが、途中寄り道をせずに真っ直ぐ走りビサグラ新門で下車。ここから今回のホテルまではすぐである。

 今回のホテルは昔の司教の館を改装したもの。雰囲気は抜群で夜は幽霊屋敷にもなりそうな歴史ある建物だった。実はわざわざ最終日をマドリッドにせずトレドにした理由はこのホテルにあった。この日は日曜だったので、土曜の晩と日曜の晩では宿泊代が2倍近く違ったのだ。マドリッドを出る飛行機は夕刻だったので、トレドからマドリッドまでの時間を考えたら、時刻を全く気にする必要はない。であれば、少しでも安い宿泊にした方が良いに決まっている。フロントの男性はエルキュール=ポワロのような見かけで愛嬌のある人物だった。セーフティーボックスの開け方を尋ねたら鍵をよこした。それで空けてそっちで管理しとけということらしい。自分の場合、この程度のいい加減さで腹を立てることは無いが、神経質な人だと頭に来るかもしれない。ちなみにその鍵ではボックスは開かなかった。いちいち取り替えろとやり取りするのも面倒くさいので、そのままうっちゃっておいた。

 ではさっそく街へ出るとしよう。

マドリッド 酔っぱらいの夕べ

 セビーリャを出た列車はすぐに高速モードに突入した。コルドバから来た線路は在来線でこちらは高速専用線。突っ走る事45分でコルドバ・セントラル着。うーむ、高速列車の破壊力を見せつけられているようだ。コルドバを出ると一路北北東へ。こうなると旅情もへったくれもないので、じっと外を見ているのもつまらない。気分転換にカフェテリアカーに足を運んだ。バーカウンターみたいなところで給仕がオーダーを取っている。昔、新幹線にあったビュッフェみたいな感じだが料理を出している訳ではなく、せいぜいサンドイッチとかポテトチップを売っているくらい。カフェコンレッチェを飲もうと思ったのだが、ここには置いていなかった。カフェソロ(エスプレッソです)を飲む程に気分をはっきりさせたい訳では無かったので、何も注文せずに席に戻った。

 アンダルシアからカスティリヤ・ラ・マンチャに入って変るのは、家が土色になったこと。白い家ばかりを見てきた目には地味に映る。そうこうしているうちに急に街が現れ、都会に変った。だんだんとスピードを落として走るが、定刻よりも5分程早い18時過ぎ、マドリッド・プエルタ・デ・アトーチャ駅に到着した。

 さてさて、こんな大都会に放り出されては人の多さに疲れるなと。まずはホテルに向かうとする。地下鉄を乗り継いでヴェントゥーラ・ロドリゲス。目指すホテルはすぐに見つかった。チェックインし、すぐに街へ。土曜日だからか分からないが、人で溢れていた。夕食を取ろうと目をつけていたのは街の中心プエルタ・デル・ソルだが、歩いて行かれない距離ではない。今までとは桁違いに大きい街でその感覚に慣れるのには歩いた方がいい。

 入った店はハムの専門店。食事だけでなく販売もしており、店内には豚足ハムがずらりと並んでいて壮観。プリマベーラスペシャルとかで(スペシャルのスペイン語を忘れた)、生ハム1.8ユーロ、ビール1ユーロ、グラスワイン1ユーロなど泣けてくる価格設定。珍しくカウンターのみの店で立ち飲みにはなるが地元の人でいっぱい。イベリコハムも7.9ユーロの期間限定価格で今まで見たことのない値段なら頼まない筈がない(もっとも正価でも12ユーロ弱だったけど)。軽く飲み食いして次の店に行くつもりだったが、ワインやビールだけでなくサングリアまで飲んで、ダラダラやってしまった。

 気分良く店をあとにし、向かったのはマッシュルーム専門店。有名店らしいです。テーブルとカウンターの店内スペインでは一般的なスタイルで、当然値段も座った方が高くなる。自分たちが行った時はテーブルは満席だったのでカウンターで料理をつついた。この店はマッシュルームのソテーが有名で、自分らもこちらとワインでまたダラダラ。

 これはいい感じに酔っぱらった。さすがに歩いてホテルに戻るのは、この調子では鴨ネギでスリに挨拶するような感じ。地下鉄で戻ることにした。ホテル近くの雑貨屋でプリングルスの生ハム味があったので購入。それとビール。この店、中国人がやっていてやたら愛想がいい。紅焼牛肉麺のカップ麺が売っていて久々に買ってみようかと思ったけど、おっとここは中国ではない。ヨーロッパなので最後までヨーロッパ気分でいることにしよう。

セビーリャのカテドラル

 スペインでは土曜だと、バスの本数は平日と比べて少なくなる。カルモナからセビーリャに向かうバスも土曜ということもあって少なく、出発はバスの都合に合わせてとなる。スペインは時間にルーズなイメージが昔はあったが、バスにしろ鉄道にしろここまで定刻通りに出なかったことは一度もなく、目的地到着もほぼ定刻か所要時間通りだった。
 カルモナを9時50分過ぎのバスで出発。のんびりとした1時間ほどのバスの旅だが、途中の停留所ではそれなりに乗客があり、しかも意外に若い人が目立つ。車も普通に走っているけれど渋滞にはまることもなかった。サン・ベルナルドまで行こうと思ったが、10時半過ぎ、丁度サンタ・フスタ駅の側を通ったので、駅近くの停留所で降りた。この日はそのままセビーリャを出るので荷物を置いていくことにする。駅構内の手荷物預かりへ。ヨーロッパでは今でも人が管理する手荷物預かり所をよく見かけるが、ここスペインではコインロッカーが発達しているらしく、そちらに入れろ、とのことだった。21インチのトロリーを入れて3.5ユーロ。

 アンダルシアの中心でスペイン第4の規模を誇るセビーリャ。都市とはいうものの高層ビルに圧迫されるようなことはなく、何処となく落ち着いた雰囲気を持った街だ。中心部でも道が概ね広いので、アホみたいにクラクションを鳴らす車を見なかったからそのように思ったのかもしれない。

 荷物を置いて身軽になったところで、市内バスでプラド・デ・サンセバスチャン。バスは連接バスだった。コレ日本でももっと導入したらいいのに。何か規制があるんだっけ?都バスでも人で溢れる草63とかに入れてほしい。セビーリャの出発は15時45分なので、目的地を絞って周る。この街はカテドラルとスペイン広場だが、旧市街側のカテドラルへ。路面電車に乗っても良いのだけれど、それほど暑くもなく遠くもないので往路は歩いてみることに。丁度昼前ということもあり、バルやレストランがボチボチ開店してきたようだ。

 20分ほど歩いてカテドラルへ着いた。さすがにここには行列ができていたが、そんなに時間がかかるものでもなく15分ほどで中に入ることができた。
 ここのカテドラルは「後世の人々が我々を正気でないと思うほどの巨大なカテドラルを建てよう」という意味不明な決定によって15世紀初めに建設を開始し、100年と少しで完成させたもの。カテドラルとしてはバチカンのサンピエトロ寺院、ロンドンのセントポールに次いで欧州3番目の規模を誇るらしい。確かに中は広かった。ミラノのドゥオモが自分の中で都市聖堂の基準みたいなのがあって、あちらと比較してどうなのかなと思うのだが、いや、セビーリャの方が大きいです。ここにはクリストファー=コロンブスの墓があって観光客が集まっていた。墓と言っても棺を4人の王様、すなわちアラゴン、カスティリア、ナバーラ、レオンの各王国の王様が担いでいるという、妙な墓だった。
 カテドラルに接してそびえる塔がヒラルダの塔。ゲームに出てきそうな名前のこの塔は高さ100m近いのだけど、上まで登っていくことができる。勿論エレベーターは無いです。らせん状のスロープをひたすら登ることになった。ここからの眺めは最高。ヨーロッパは何処でも市内中心部は規制がかかっているのか高い建物が無いことが多く、この街も例外ではなかったので遠くまで見渡すことができる。一番目につく巨大建築物はサンタ・フスタ駅ですね。
 昼食はカテドラル近くのバルで。当たり前のようにタパスを食べ、ワインを飲む。こんなのばっかり。

 列車の出発時刻まで中途半端に時間が残ったが、チラ見でも良いのでスペイン広場まで行っとこうということになった。市庁舎前から路面電車でプラド・デ・サンセバスチャン。歩いて広い公園を横切りスペイン広場へ。
 この広場はフランコ政権前の1920年代に開かれた博覧会の会場となった場所。多分セビーリャの街景色というとここが出てくると思う。ボート遊びをする若者多数で、彼ら目当ての写真撮影屋もちらほら。ちなみにスペインはフランコ独裁政権の巧みな外交戦術で、第二次大戦を中立国としてやり過ごしている。その前のスペイン内戦ではフランコを支援したナチスドイツによっても爆撃とかを受けているが、大戦期はナチスの手から逃げ切った。内戦に絡んではゲルニカの絵が描かれたり、「日はまた昇る」の小説もあって、そのあたりの歴史を紐解いてみると、一層スペイン旅行が深く楽しめると思う。

 再び市内バスに乗って駅へ。何とか発車20分前に着いた。荷物を受け取ってホームに降りる。

 セビーリャ・サンタ・フスタ発マドリッド・プエルタ・デ・アトーチャ行のAVEは15時45分発。この列車の席は日本で押さえてきた。当日でも問題ないと予想していたものの、切符代が前売りで半額近くで出ていたのだ。カード切ってTTSを考えても事前購入しないという選択肢はない。ただ、サイトの相性が悪くて日本では予約は出来たものの発券は出来ず、サンタ・フスタ駅の自動券売機で発券した。

 さあ、ここからは一気にマドリッドまで突っ走ることにする。一昔前なら夜行列車を使うところだけれど、所要2時間30分、途中停車駅はコルドバ・セントラルのみの高速列車の恩恵を十分に受けることとしよう。

ここは現代の町じゃあない

 太陽は丁度真上に来ていた。さてさて、暑い午後はこれからが本番。

 今日の宿はパラドール。国営ホテルだけれどその大半が古城とかを改装したもので、トレドやグラナダが有名。今回、トレドは試みてみたが満室だったので、ここカルモナで泊まってみようと訪れたのだ。

 バス停から旧市街の入り口までは10分ほど、目の前にあるセビーリャ門とそれに続く左右の城壁はひょとしたら街としては新しい光景かもしれない。ん~今までこのようなところに訪れた記憶は無いなあ。前回化石都市と書いたのは、昔の城壁が街を一周して残っており、その中に家は勿論のこと教会や市場、広場などが全部詰まっていて中世の都市をそのまま現代に残したような街だったから。当然今ままでは比較にならないくらい小さい。いや、ミハスよりかは大きいかな。で、今日泊まるパラドールは元々の領主の屋敷を改装したというわけ。建物は密集していてその間を細い道が迷路のように入り組んでいるが、わざとそうしているのかそれとも結果的にそうなったのかは分からないけれど、街並みも全く現代のものではない。このような街だと観光都市として人が押し寄せてもいいくらいだが、哀しい程に人がいなくて静かだ。日本人は勿論のこと、欧米の旗持ち観光客もいやあしない。城塞に入ってからパラドールまでは直線で3~400mくらいだと思うけど、何処の国でも領主は高い所に住んでいるものだからひたすら坂道を上がっていくことになる。それでもって律儀に昔ながらに石畳が敷き詰められているから、持参のトロッターのトロリーも壊れるんじゃないかと思った。我々はまだそれ程大きく無いトランクだったから良いが、日本人がよく運ぶような大型のスーツケースは、この街ではアウトです。タクシー乗れって?ハイ、それが常識なんですけどね。重いものをガタガタ引いていく自分の気がしれないんですが、なんとこの街にはタクシーが無かったのでした。

 何でこんな風に歩いているのだろうと、トランクをガラガラと引きずりながら歩くこと20分くらいで急に景色が開けた。眼下にはアンダルシアの台地で見渡す限りの大平原。外からこの町を見ると、畑や野原にポツンと丘があり、そこに城塞と町があるようなイメージではないか。そうですか、こういう風景がありますか。この景色で半分怒りモードに入ってた不機嫌さが一気に吹き飛ぶ。そこからはパラドールまで大した距離は無かった。城壁の門をくぐると広場でそこには車が停車中。どうやら普通は車で来る場所らしい。
 部屋は期待通りの城館の一室だった。部屋からの景色も最高。ただ、自分らは一番安い部屋を押さえていったので窓が小さい部屋になってしまった。キチンと高いお金を払えばベランダ付きの部屋もあるらしい。
 このパラドール、元は城館なのだが、16世紀に日本人がここに滞在したという記録があるらしい。イスパニアの宣教師に連れられた天正遣欧使節の少年達と、伊達政宗の派遣による支倉常長一行だ。まさにセビーリャ門から入り、東側のコルドバ門から出たとかで、自分達も早速コルドバ門まで行ってみた。どうみても昔の姿がそのまま残っているような門で、ひょっとしたら同じものを見てるんじゃないかと思わせるのには十分なモノだった。

 この町に来た本来の目的はひまわり畑だったのだが、残念ながら少し早すぎたようで全く咲いていなかった。今回の旅行で唯一目的を果たせなかったイベントだけど、こればかりは季節ものなので仕方が無い。

 午後4時をまわるとシエスタ。暑さがピークに達する代わりに店が一斉に閉まる。食堂や雑貨屋はだいたい20時くらいまで休みになってしまう。この時間に水が無くなると非常にきつい。ペットボトルのミネラルウォータはそれこそ命の水で、その消費量は半端ではないので如何にこの時間に無くならないようにと気を遣っていた。けど、カルモナではその配分に失敗し、シエスタ中に水が無くなってしまった。
 うわぁこりゃきついなあと思いながらセビーリャ門を出てみると目の前に雑貨屋。しかも開いている。奇跡!と思ったらドアには漢字の案内。おお、中国人がこの街で店を開いていてシエスタ上等で営業していたのだ。売り子の女性は半分寝ていたが、我々が入ると「Ola!」と挨拶してきた。風習を無視するその行動はあちこちの国々でハレーションを起こしているようだけど、この営業スタイルには逆に本当に感謝することもありますわ~www。

 夕食はパラド-ルで食べようと思ったが、でも外で食べた方が現地の人達も居て楽しいだろうとなって、中心部の小さな広場まで出向いて食べた。夕食はどうしてもタパスとワインになるがそれで十分。スペインに来てこういったバルのサービスに不満を持つことはなかったが、ここもとても愛想がいいバルだった。旧市街人々が集まって飲み食いしており、広場ではたくさんの子供たちが歓声を上げて遊びまわっていた。夜も10時を過ぎているのだが、人は多いので危険な雰囲気は一切ない。多分昔からこんな感じだったのだと思う。バルセロナやグラナダ、コルドバとは比べ物にならないくらい小さな町で雰囲気は抜群によく、観光都市では無かったが結果的に訪れて正解だった。
 マドリッドやバルセロナ、普通にアンダルシアを訪れているだけでは、この空気感を味わう事はないです。

化石都市カルモナへようこそ

 サンタ・フスタ駅のホームに降りるとちょうど隣のホームに茶色にクリーム色の客車列車が停車していた。この列車、グラナダに到着した時に見たものと同じで何かと思っていたのだが、帰国して調べてみると「アル・アンダルス」という列車。定期列車ではなく、観光用の特別列車で1929年製の客車を利用してアンダルシアを5泊6日で見所を周りながら走るというもの。各地の停車駅で観光地を巡るというヨーロッパではよくあるパターンの観光列車。シンプロン・オリエント急行とかと同じスタイルの列車。で、料金はというと全行程で35万円。そういう列車なのです。むかーしむかし、1990年代の中頃にシンプロン・オリエント急行をヴェネチア・サンタルチアで見たことがあり、その当時のイタリアの列車が持つ雰囲気とは別格な感覚を受けた。昔の人は優雅な旅行をしていたものだ。列車といい、船といい。勿論移動手段に優雅さを求めるより速さを求める方が圧倒的なのだが、観光資源としてしかこのようなレベルの列車に乗れないというのも何となく寂しい。

 だだっ広い駅前から市内バスでバスターミナルがあるプラド・デ・サンセバスチャンへ。某ガイドブックに記載されているこのエリアから出るというカルモナ行のバスを探しに行くが、情報が古いのか、全くの嘘っぱちなのかは分からないが、バス停は全く見当たらない。事前にバス会社のサイトで調べたところではサン・ベルナルドから出るとのことだったので、そちらに行ってみる。まったく、到着して5分もしないで見つけたさ。というか、サン・ベルナルドへは、コルドバからの列車も到着する駅だった。をいをい、サンタ・フスタで降りたのは何だったのか、と思うけど、まあ仕方がない。一時間に一本程度でカルモナ行バスがあるからいいようなもの、一日数本のバスだったら面倒くさいことになったわ。サン・ベルナルドは近郊へのバスが発着するエリアとなっていて、市内バスや路面電車、地下鉄、近郊電車とのターミナルになっていた。ここから出るバスは、バスターミナルから出発する程でもない行き先へ行くみたいだ。逆にプラド・デ・サンセバスチャンは、マドリッドやバルセロナ、アンダルシア各地へのバス、国際バスなどが発着する一大ターミナルらしい。

 サン・ベルナルドから乗った「カルモナ行」というバスは市内バスそのものだった。こんなバスで一時間近く郊外へ行くのですか?と思ったら、別の場所で長距離バス型のバスに乗り換えさせられた。カルモナまでは2.5ユーロ/人。この国の交通費は高いのか安いのか分からない。

 セビーリャを出てしばらくすると右手にセビーリャ空港を見た。ライアンエアーとかの欧州域内限定の機材が多かったが、中国国際航空のB747も見た。遠目だったから確認できなかったが、あれは旅客機だったのかな?それとも貨物機だったのかな?

 途中のバス停はいくつかあり、その周りに家が何軒かあったが、集落があるという感じではない。この家の為にバス停を置いているのかと思えるようなところも。

 空は真っ青で雲がない。開放感はあるけれどどちらかというとそんなのんきな気分ではなく、午後に向けてグングン上がっていく気温にあとで叩きのめされるのが予見できる憂鬱感が先に立つ。セビーリャの街に出ている温度計で、38℃を差していたからな。午後には40℃を超えるのは間違い無いんですよ。乾燥してたって暑いものは暑いんだ。湿気が無いからいいってもんじゃない。ちなみに湿度は30%を切ってます。

 のんびりとした台地を突っ走ること1時間弱でカルモナの街に入る。街?町?村かしらん。この城壁囲まれた古い街並は、時間が停まっているのだけは間違い無い。

 セビーリャに滞在せず、何でこんな田舎町に我々を引き寄せたのか?

 それはパラドール、化石のような街並、ひまわり、そして天正遣欧少年使節なのです。遣欧少年使節ってどっかで聞いたような...おっと、意外なところで日本人が出てきましたね。

まずはセビーリャ・サンタ・フスタへ

 次の目的地となるカルモナへは、コルドバのバスターミナルから一日二本バスの便があったが、朝便で行けば午前の早いうちに着き、夜の便で行けば遅すぎる。なんとまあ中途半場な時間帯。ここは少し遠回りとなるけれど、セビーリャ回りでカルモナへ向かうことにした。

 コルドバ・セントラルからセビーリャ・サンタ・フスタまでの列車は、よりどりみどり。午前の都合良い時間帯に、AVE、AVANTに加えて長距離列車のALVIA、中距離快速列車のMedia Distancia(MD)まで揃っていた。勿論AVEが一番速くて45分33ユーロ、一番遅いMDで1時間20分12.50ユーロ。間を取ってマドリッドから来るカディス行ALVIAの所要47分30.80ユーロにしようと切符を求めると「full」だという。まあいいです。同じような時間帯に着くけど出発が1時間ほど速いMDで行くことにした。ちなみにMDの切符だけは駅の自動販売機で購入できた。律儀にも席が指定されている。この国には近郊列車以外は全て指定となるらしい。

 コルドバ・セントラル発カディス行MDは3両の短い編成。AVEとかAVANTが高速専用線を行くのに対し、MDは在来線を行く。道理で安い代わりにのんびりとした所要時間なわけ。セビーリャが終着ではなくその先の大西洋に面したカディスまで。カディスはコロンブスがアメリカに向けて出港した港で古い街。本来なら訪れたい街でもある。1時間20分もかかるんだからどれだけノロノロ走るのかと思ったが、出発するとすぐ160km/hまで速度をあげて走りだした。専用線は300km/hで走っていくもんだからこちらはのんびりとした感覚があるが、日本の在来線で160km/hで走る列車など無い。ただ、途中ところどころが単線で、列車交換とかで時間がかかるらしい。

 コルドバを出てしばらく行くと右手の丘の上に古城が見えてくる。この景色、実は日本で見たことがあった。90年代に発行されたヨーロッパ鉄道写真集でこの場所が紹介されていたのだ。この後もあちこちで丘の上に城を望むことができた。

 アンダルシアの線路を突っ走り、けどのんびりとした時間を過ごし、スペイン第四の都市であるセビーリャの中央駅サンタ・フスタ駅には定刻通り10時40分過ぎに到着した。高いドームに覆われた非常に開放感のある立派な駅。やっぱり駅はこうでなくっちゃいけない。

コルドバはメスキータと遊園地

 さてさて、旅情もへったくれもない高速列車の移動を終えて着いたのは、コルドバ。ここはイベリア半島に於けるイスラム勢力の都として、かつて大いに繁栄したところ。同じ時代にはバグダッドとかダマスカスとかカイロとかイスファハンが栄えるのだけれど、文化面ではイスラムの中心として君臨したのがこのコルドバ。当然訪問の目的もこれらの遺構を求めてとなる。

 コルドバ・セントラル駅は旧市街から微妙に離れているのでバスで向かおうと思ったが、バス停の路線図の上に観光バス案内が重ねて貼られていて、路線のどれが旧市街へ行くか分からないようになっている。この辺の想像力はどうにかならないものかと思うが、文化の違いとして納得するしかない。そうこうする間に日差しは高くなり、暑くなるばかりなので、タクシーで向かうことにする。最初から行けって。
 目指すホテル「ラス・カサス・デ・ラ・フデリア」は旧市街のど真ん中で、多分この旅行を通じて最も良かったホテル。当然昔の邸宅を利用したパティオのある落ち着いたホテルを選んでいるが、ここはその中でもすこぶる雰囲気が良かった。わざわざ観光客がその中庭を写真に収めてきていたし。部屋は広くジェットバス付。プールもある。またレストランも知られているようで、夕食時はお客さんが詰めかけていた。

 荷物を置き、早速街へ。勿論目指すは「メスキータ」。コルドバのシンボルであり、今でこそキリスト教会となっているものの、元はイスラム建築の粋を集めた列柱の美しい内殿は、よく写真などに取り上げられるところだ。800本以上の柱が並ぶ様は、それだけでイスラムを引き継いでいると共に、そこに掲げられているキリスト教会の十字架やら彫像やら聖歌台やらが融合されて独特の世界を形造っている。アルハンブラの時にも書いたけれど、中南米の文明を破壊し尽くした旧教の権化であるスペインが、自国領土のイスラム建築を破壊し尽くさなったのは、奇跡に近い。アルハンブラは半分は捨て去られ見向きもされなかったのが現代に残ったものだけれど、ここコルドバのメスキータは都市のど真ん中にある旧イスラム建築。逆のパターンがイスタンブールのアヤソフィアだが、どちらもその歴史背景を考えると、その貴重さと歴史のアヤに体が震えてくる。

 メスキータの北側に旧ユダヤ人地区が広がっている。ここは迷路のようで、フェズのカスバとまではいかなくても、しばらく歩いていると何処に自分がいるのだかわからなくなってくる。こういう時は団体に付いていくのがよろしい。丁度フランス人グループがガイドにつれられて歩いていたので、そちらについていってついでに街案内と道案内もしてもらうことにした。

 夕食にタパスとワインをかきこんだあと、旧市街の南に流れるグアダルキビル川をローマ橋という石橋で渡って新市街へ。遠くに観覧車やらが見えたので近づいてみると、巨大な遊具がギンギラギンに輝いて回った絶叫を撒き散らしていたりしてた。どうやら祭のようで、民族服を着たカルメンみたいな女性がそこら中を歩いている。この遊園地、遊具は相当荒っぽく、観覧車は高速回転しているし、地上数十メートルに人を置き去りにして人の入れ替えをしたりと、日本の遊園地とは違った意味でスリル満点。勿論時間は夜10時を過ぎても人でいっぱい。まあ、昼間が暑くて仕方がないから、こうして夜も盛り上がるのだろう。行く前は非効率かなと思っていたシエスタがある理由も、なんとなくわかるような気がするのだ。

「AVE」と「マックイベリコ」

 マラガはパブロ=ピカソの故郷。でも今回は通り過ぎてしまう。

 コスタ・デル・ソルでの一日ばかりのバカンスを終え、山を降りてフエンヒローラ。近郊線に乗ってマラガに戻ったのは昼11時。次の目的地はコルドバとなる。マラガ・マリア・サンブラーノからコルドバ・セントラルへは、Renfe(スペイン国鉄)が誇る高速列車「AVE」か特急の「AVANT」の利用。これ、所要時間は15分程しか違わないんだけど、料金は何と2倍近い開きがある。AVEで45.40ユーロで、AVANTで25.20ユーロ。いくらAVEがRenfeの顔と言ったってこの値段付けはないんじゃないの?とも。確かに在来線の長距離列車で行けば2時間近くかかるところをAVEなら50分で行くけどさ、AVANTでの1時間と少しだって。これならAVANTで十分と時刻表を調べると朝の9:10発と14時半発が有効時間帯。AVEは1時間おきに走っている。マラガに宿泊していれば9時過ぎのAVANTに乗るけど、ミハスから来ようと思ったら7時過ぎにはミハスを出なくちゃいけない。朝をそんなに忙しくして鉄道切符代をケチる程に貧乏旅行ではないので、ゆったりマラガに出る代わりに昼のAVEに席を取った。

 マラガで1時間程時間があったので遅い朝食を構内のマクドナルドで。ヨーロッパまで来てマクドナルドかと思われるかもしれないが、滞在期間があるのならば一度は入りたい。理由は、別に世界共通安心の味を求めているのではなくて、ご当地バーガーがあることが多いからだ。普通に食事を取るだけだったらマクドナルドは割高のこともあるが、ご当地はもちろんここでしか食べられないから、一度くらいは入ってみるのは悪く無いと考えている。ただし緊急時以外はあくまで一度だけど....。この国でのご当地バーガーは、出た!「マックイベリコ」。日本のベーコンレタスバーガーを巨大化してドレシングソースを外し、ベーコンの代わりにイベリコハムを挟んだものを想像していただければ宜しいかと思う。贅沢にもイベリコ豚!!うーん、ショーグンバーガーやサムライバーガーに匹敵するストレートなネーミングだ。コーラとポテトのおなじみのセットで6.50ユーロだったかと思う。勿論巨大過ぎて全部は食べられないが、ハムだけは何とか残さず食べた。

 12:05発マドリッド・プエルタ・デ・アトーチャ行のAVEだ。始発となるマリア・サンブラーノ駅は欧州によくある行き止まり式のターミナルだけれど、この国では存外に行き止まり式の駅は多くなくどちらかというと珍しい存在。けど駅はやっぱりこうでなくちゃ気分が盛り上がらないぜ!いくつか車体にはバリエーションがあるけれど、この列車はフランスのTGVを近代化したような車体で何両かに一人コンダクタが付く。二等車であるTuristaと一等車のPreferente、それとカフェテリアカーの編成。最高運行スピードは300km/h。日本の新幹線のように専用線を突っ走る。マドリッドを中心に四方へ路線を延ばしているが、マラガはその南端となる。この高速鉄道網のお陰で旧来のヨーロッパ型客車列車が一気に置き換えられ、日本と同様にこの国でも夜行列車や在来線長距離列車は風前の灯だ。ここマラガから出るAVEやAVANT以外の長距離はバルセロナ行が一本あるのみで、かつて存在したという夜行列車は消え去ってしまっている。今はヨーロッパ全域で、少なくともオーストリアから西側ではこのような高速列車が幅を利かせつつあるので、昔ながらの客車列車は消えていく一方。どちらが旅情があるかと言えば明らかなんだけど、まあ航空機とガチンコの勝負をせざるを得ないので致し方が無いんだろう。

 列車はアンダルシアの山がちな台地を文字通り突っ走り、約50分でコルドバ・セントラルへ到着した。

「白い村」ミハスの休日

 フエンヒローラから市内バスのようなバスで郊外へ出る。天気はとてつもなく良く迫ってくる山の緑も美しい。途中ロシア語の看板があったが、どうやら別荘地の売り出しらしい。経済状況もあってか市内中心部でも「売家」の表示を見てきたが、このようなリゾート地では外国人への売買もあるようだ。

 道路状態は良い山道をうなりながら登っていくこと20分程で、山の中腹にへばりつく白い村、ミハスに到着した。

 アンダルシアの家々は白壁が特徴だけれど、ここはそのような昔ながらの白い建物が密集する集落。大きな車が入れるのはバス折り返し地点にある広場までで、そこから中は細い石畳の道がうねりながら村を走っている。山の中腹にあるので景色は抜群によく、展望台のような所からは眼下にフエンヒローラの街と地中海、そして何と!遠くアフリカの台地まで目にすることが出来た。が、どうしてこんな不便な所にわざわざ集落を持ったのかが不思議。車通りが出来る前は、舗装の無い山道を徒歩で行き来していたであろうことが、バスの中からも良く分かった。

 街はそれなりに観光地化されているとはいうもののそんなに商売熱心でいるようにも思えず、一応ロバ車や馬車が「タクシー」とか称して集落を一周してくれるみたいだが、何となくのんびりした空気が村を包んでいる。フエンヒローラからのバスには外国人らしき客が何人か手ぶらで乗ってきたところを見ると、下界に宿泊を取りながら滞在の合間にここに登ってくるようなこともあるらしい。実際1時間もあれば集落を一周してしまうので、ガイドブックではマラガからの日帰り観光地として紹介しているくらいだ。日本の旗持ち旅行ではこの村で数時間の自由時間を取るようで何組かの日本人団体を見る事ができたが、一応ふらふらと歩くものの時間を持て余しているようで、この白い美しい村を十分に楽しむのには至らない方々が多いように思えた。ここは特に見るべき教会建築や美術館、遺跡の類はなく、白い家々が作り出す街の雰囲気が見所であり、例えば暑い日差しを避けてバルのテラスで目的も無く時間をつぶすことに楽しみを見い出すような旅行客でないと、退屈で仕方が無いかもしれない。

 けれど自分達はこの暇そうな村に宿泊を取った。結果的にはその空気が合ったように思え、とてもこの村を気に入った。ホテルというよりペンションと言った方がいいような宿で、チェックアウト時も人がいないからと、カギを玄関に置いて出てってくれというようなところ。その割にはミニバーもあるのだが、どうやって清算をするのかなと思うのようなのんびりした宿だった。

 このような感じだから何かを見たという場所ではない。高台の闘牛場を外から、またその前にある教会の脇でアイスクリーム、家族経営のレストランで鶏のソテーとバゲットに添えられたイベリコ豚のハム、満点の星空、再度夜に訪れた展望台からアフリカの街の灯、やたらはっきり聞こえた教会の鐘が、この街の印象だろうか。

気分は爆走!コスタ・デル・ソル

 グラナダのバスターミナル前では路面電車の敷設工事中。闘牛場近くまでは工事していたみたい。ゆくゆくは旧市街まで延ばすのかな。

 9時丁度発のバスはマラガ経由アルヘシラス行き。マラガ行は2台あったが、一台は自分らの乗るデラックスバスで1列2列のゆったり版。もう一台は4列の普通バスだが、かなりゆったりした作りのようだ。自分たちの車は乗車時に水と簡単なスナックが配られた。これから南アンダルシア爆走ドライブが始まる。

 基本的に移動は鉄道で行う主義だけれど、決してバスが嫌いな訳ではない。特にこの区間のように明らかにバスの方が便利な場合は、選択に迷いはない。

 列車と同じようにひたすらオリーブ畑の風景を突っ走る。数年前にアルヘシラスを訪れたことを思い出した。アフリカ側からジブラルタル海峡を渡って、単にジブラルタルを訪れるだけの旅行だったっけ。そんなに大きな街じゃなかったが、駅でマドリッドやグラナダの文字を見て感動したのは覚えている。
 ここでも車内ではご親切にテレビでドラマかなんかのビデオが流されていた。水と一緒にイヤホンも配られたが、天井のスピーカーから音が漏れていますよぅと。

 1時間半程のバストリップで、マラガのバスターミナルに到着。地中海に面したコスタ・デル・ソルの中心都市で、国際空港もある。ヨーロッパ各地から便がありますよ。以前モロッコで、カサブランカからタンジェまで乗ったプロペラ機は20人乗りくらいの小さな飛行機だったが、何気にマラガ行の国際線だったのを思い出した。マラガのバスターミナルは国鉄のマラガ中央駅となるマリア・サンブラーノ駅と併設されており、アンダルシア域内は勿論のこと、マドリッドやバルセロナへも路線が通じていた。国際バスの案内もあり、遠くルーマニアまでのチケットもここで購入できるようだ。ブカレストまでは一体何本のバスを乗り継いでいくのだろうか。

 マリア・サンブラーノ駅で地下にある近郊電車に乗り換え、コスタ・デル・ソルの海岸をのろのろと走る。しかしまあ、コスタ・デル・ソルとは上手いこと言ったもんだ。太陽海岸。名前の通り空は快晴としか言いようがないし、日差しは強いし、地中海を目の前に見るわで気分が盛り上がらない訳がない。日本ではあまり知られてないけど、リゾート地としてヨーロッパでは代名詞的なところで、マラガ空港駅でそれらしき旅行客が乗ってきた。こんな時に雨とか降ったら泣くしかないわ。

 トレモリーノスで半分くらいの乗客が降りた。リゾートマンションらしきものも目についてくる。乗客となって50分程で、リゾートのど真ん中、フエンヒローラ着。

 さて、この小さな町でバカンスと行ってもいいだけれど、今日の目的地はここからバスに乗り換えてとなる。目指すの人のために少々詳しく書くと、

1,地下駅を上がると前に通りが走り、背中にはスーパーマーケット。名前は「Super Sol」だったかな。何処までいっても太陽かよ
2,道を渡って交差点を海側に向かうこと1分で小さなバスターミナル
3,ここで「ミハス!ミハス」と叫んでいれば、そのあたりにいる人がターミナルの前にあるバス停まで連れていってくれるだろう。駅前通りの一本海側に並行に走る、つまりは海と並行に走る道沿いにバス停はある
4,郊外バスだけれど、市バスみたいな車体。4列のバスヅラをしたバスじゃあない。運賃は確か1.4ユーロ/人

 この日の目的は、ここからさらに2~30分の山の中腹にある「白い村」ミハスです。

ここはアルハンブラ宮殿でしょ

 カトリック国ですが、一番の見どころはイスラム教徒が遺した宮殿です。ここを訪れることは自分に取っては数十年来の念願でしたんで、盛り上がり方も違います。

 カテドラルの後、とことこ旧市街をさまよってサン・ニコラス展望台まで辿りつきましたよ。シーシャも楽しめるアラブ街などを通り過ぎたところで、そう言えば朝食をとってないなあ、と。で、住宅街のど真ん中で見つけた小さなカフェでトルティ-リャ(ポテトオムレツ)を挟んだサンドイッチとコーヒー。これが超ド級のサイズ。あのさあ、こんなの食べたら昼ごはんなんて食べる気にならないでしょ、と。場所柄かだべっているのは西洋人のパッカーくずれみたいな自由人と地元の人々で、観光客など来やしない。まあ、いようといまいとどちらでも良いんです。食事の時間を乱されなければ。アラブ街までいたんですがね。昼前ということもあってさすがに日向で食事をするのには日差しが強くなり過ぎてきたので、パラソルの下でダラダラ過ごす。

 サン・ニコラス展望台は細い道を上り切ったところにある小さな教会の広場。ここには観光客が来ます。個人客らしいですが。アルハンブラ宮殿を谷を挟んで真向かいに見る有名な風景はここから。宮殿の茶色と宮殿下の緑と、遠くに見えるシエラネバタ山脈の雪山が美しい。フランス人たちが「La neige!La neige!」とはしゃいでいる。

 ここでしばらく時間を過ごしたあと、また街まで戻らなくてはいけないのだが、来た道を帰るのはつまらないので、別の道からてくてく降りる。ここまでミニバスが来てるらしいけど、全く見ることは無かった。旗持ち団体客はどうやってここまで来るのかな?

 もう正午は過ぎているけど昼ごはんなど食べる気にもならない。大体スペイン人の昼食は13時を過ぎてからなので、店がようやくポツリポツリとあいてきた。

 いったんホテルに戻り小休止した後、ようやく本命ですよ。サンタ・アナ広場脇から坂道をだらだらと上ること20分で、アルハンブラ宮殿の入り口。当日券はとっくの昔に売り切れているようで、並んでいる人もなく閑散としていた。予約してたチケットを受け取り門を入ったのが14時半。でも、ハイライトの入場までは、あと3時間半もあります。

 最初に訪れたのはヘネラリフェという庭園。丁度日本人旗持ち旅行と一緒だったので、遠慮なく付いていってガイドの説明を伺うことにする。でもさぁ、いきなり庭園に入った一言目で、「ここにある創建時のオリジナルは手すりくらいですね。大抵は20世紀云々ですから」って案内はどうなんだ?正しいんだろうけど、楽しみに来てるお客さんに対して最初に案内することじゃないだろ。そのあとも、私はしゃべるの忙しいんで写真撮影係はお断りしますって、もうちょっと言い方があるんじゃないか?こっちはタダで勝手に聞いているんで文句は言わないけどさ。案内されるお客さんはかわいそうです。ツアー会社、ここでさらしていいですか?私は、水を非常に上手に利用した設計と庭園のバラの花の美しさを十二分に堪能しましたが。

 次はパラドール。パラドールとは国営ホテルですが、昔の屋敷を改装したホテルが園内にあり、そちらで暑さから小休止。

 いよいよ日差しの強さが増してきました。朝の寒さが嘘みたい。乾いた園内に容赦なく降り注ぎ、ミネラルウォーターの消費量が普通じゃないです。

 アルカサバ。ここの景色も良く出ますね。イスラム教徒が築いた要塞跡です。見るからに難攻不落で城塞建築としては見事というほかに無い。「アルカサル」という言葉がこの後のいくつかの町で出てきて「城塞」とい意味らしいんですが、言葉としては関係ありそう。城とはまた微妙に違うんですが。

 18時、ようやく指定された時間がまわってきました。けど、ここまでの3時間半、ダラダラ見てたので時間が余ったということは無いですがね。その時間を指定されていたのは50人くらいに見受けられました。団体客は別の入り口から入っていたみたい。

 イスラム三大建築とはここグラナダのアルハンブラ宮殿、イスファハンのイマーム広場、イスタンブールのブルーモスクと聞いたことがあり(本当かどうかは知らないです)、どれも訪れる機会を得ました。他にも美しい建築物はいくらもありますが、装飾という意味では、ここアルハンブラ宮殿の「ナスル朝宮殿」が思い切り抜けてます。その彫刻たるや、美しいの一言に尽きる。イスラム教は偶像崇拝を禁じたので、必然的に草文様とアラビア文字を装飾にまで高めたのですが、ここのは極致に達していると言っても過言ではありません。ガチガチの旧教徒で南米大陸の文明を破壊尽くしたスペイン人がここを破壊しなかったのは奇跡だと思ってましたが、その実は手を下すのには至らなかったのではないか、と思える程。有名なコマレス宮が全てかなと思ってたんですけど、その神髄は宮殿内部の装飾にありました。興味ある方は是非検索でお探しいただきたい。
 勿論思い切り堪能して宮殿を出ることになりました。

 こんななので当然のことながら昼食は食べていませんが、朝食が朝食だったので二食でも十分。ホテルから少し南に下った市庁舎の方のバルでパエーリャ。本場はバレンシアですが、何処の国の観光客もスペイン料理とくればパエーリャなんでしょう。人が集まるところでは何処でも食べられます。バルセロナでは食べる機会が無かったので、こちらに来てからは初めてのパエーリャ。あとはワインで。このあと、昼もワイン、夜もワインと、水代わりにひたすら飲み続けることに。

 街では学生がデモをしてました。最初は祭りのパレードがかと思ってたんですが、鎌とハンマーを黄色く染め抜いた赤旗を振ってたんで、ああ、何かの主張ですか、と。

 さてさてアンダルシアの旅が始まり。次はコスタ・デル・ソルと白い村の話です。

グラナダのイントロ編

 グラナダ駅に到着した朝は寒かった。街の温度計は9℃を表示していた。念のためにと思って長袖で列車を出てきたのは正解だった。駅前からバスに乗って中心地まで行こうかと思ったが、深く考えなくてもスーツケースを転がしてバス通りまで出るのは面倒。タクシーを利用して予約していたホテルの近くまで送ってもらった。
 ホテルは昔の貴族だかの家を改装したというもので、雰囲気は抜群。少し暗い照明とパティオ(中庭)が印象的。かつてモロッコのマラケシュで泊まったホテルでも(これも昔の邸宅をホテルに使っていた)パティオがあったが、要はイスラム建築(またはその支配地域)でよく見られるもの。中庭の四方を建物が囲んで建つというのは北京の四合院建築でもそうだけれど、日本では見られないもので雰囲気は抜群。
 チェックインしてから少し休めばいいものの、そこは街から街への旅行。午前中の人が薄い涼しい時間帯を利用して次の都市への手配へ動く。郊外のバスターミナルまで出てマラガ行を手配。スーパーデラックスとかいうバスとダイレクトバスという2種類があったが、12ユーロちょっとと10ユーロちょっとの料金の違いであれば悩む必要は無い。スーパーデラックスの切符を手配した。これ、自動券売機だったが、こういうのが置いてあるのは、治安がそれほど悪くない証拠だ。街でもジュースの自動販売機は普通に見かけるので、強引は犯罪は少ないのだろう。

 中心部に戻ってからはカテドラルと併設された王室礼拝堂を見る。ここにはアラゴン王フェルナンドとカスティリア女王イザベル夫妻が埋葬されている。世界史をかじったことがある方ならおわかりいただけるかと思うが、グラナダをイスラム教徒から奪還してレコンキスタを完了させた人物連。イザベル女王はクリストファー=コロンブスのパトロンとしても知られている。

 この街の見どころは当然のことながらアルハンブラ宮殿。世界中の観光客がこの街を訪れる最大の理由はこの宮殿観光に他ならない。正確に言うと宮殿というよりもその中にあるナスル宮殿の観光なのだけれど、これを見なければわざわざグラナダに来るものでもないといわれるくらい。しかし、いきなり行って見られるものでも実は無く、人数制限がかけられていて、そのため当日入場したければ朝一番に切符売り場に行って並ぶことになる。それとて昼には売り切れてしまうことが大抵のようで、自分たちが宮殿ゲートを訪れた14時過ぎにはもうチケットが無かった。団体旅行なら旅行会社が団体券を手配するので問題ないけれど、個人旅行ではそんなリスクは負えないので、あらかじめ日本で入場時間が指定された入場券の手配をしておいた。わざわざ旅行会社へ手配を依頼しなくても「アルハンブラ チケット」と英語でたたけば予約サイトかそのサイトへの導線が出てくるハズで、わずかながらの前売り手数料を支払って券を抑えてきた。1か月弱ほど前の手配だったが、これでも18時からの入場券しか手に入れられなかった。

 さて次はアルハンブラ宮殿の案内です。

バルセロナ発グラナダ行夜行列車です

 バルセロナ・サンツ駅に着いたのは夜9時前。当然のごとくまだ空は明るく、夕方の雰囲気です。バルセロナの滞在は曇りがちだったので、本当ならもう少し明るいんだろう。

 グラナダ行夜行列車は特等となるGran Clase。シャワー、トイレに食堂車での食事付。値段は張るけれども普通に考えればお得。なぜなら食堂車の食事はコースメニューから何でも選べというやつで、スペイン料理によくある一皿目と二皿目をいくつかの種類からチョイスするもの。一皿目は自分はサラダを、妻はスープを注文、で二皿目は妻は鮭のソテーで自分はポークソテー。食堂車の食事とはいうものの、外のレストランと遜色なく本格的なもので味付けも満足。中国の華畜食堂車で良くでてくるような●●の餌とはとてつもない違いだ。この食堂車のポークソテーは、旅行中に食べたポークソテーの中で一番美味しかったことを付け加えておく。特等以外の乗客はお金を払うことになるが、肉や魚は一皿15~18ユーロくらいです(街のレストランで食べることを考えれば、この値段も決して高くない)。一等寝台に食堂車の食事を加えると同じかそれ以上になりかねないので、シャワー・トイレが付いていることを考えれば、間違いなく特等の方がお得だと思う。
 夜9時半出発とはいうものの、スペイン人の夕食は8時半から0時くらいまでなので、10時くらいに本格的なコースを食べるのは、こちらの感覚ではおかしなことではない。食後のデザートやコーヒーは勿論、食事中に飲んだワインも切符代に含まれていた。アルコールは別料金かなと思ったのだが、そういえばバルセロナのレストランで出すランチは水かワインは料金に含まれていることが殆どだったので、ワインを注文している分には(変に銘柄を指定しなければ)追加料金はかからないのかもしれない。

 このグラナダ行夜行列車は「tren hotel」の名がつけられており(trenはtrain)、二等車は普通の座席ではあるけれど、特等だと列車にhotelと名付けられているのもあながち言い過ぎではない。スペインの特徴として、連接車で運用しているからか車体はマッチ箱みたいに小さく、一車両6つしか2人用コンパートメントが無い。日本の標準的な4人一区画のB寝台で8区画だから、その小ささがおわかりいただけよう。車体は小さいものの、寝台自体は欧州の標準的な寝台車(クシェットとは比較してはダメ)で特段狭さは感じない。上下二段のコンパートメントであるけれど、お湯の出るシャワーにトイレにアメニティキットまで付いているとなれば、定期寝台列車にこれ以上の設備を求めるのは酷というもの。途中バレンシアあたりまでは吹っ飛ばしていたようなので、ノロノロ走る列車でもない。その分、食堂車では走る音がうるさかったが、寝台は一般的なレベルまで音は抑えられていた。スペインの在来線は線路幅が広いので、揺れも殆どない。

 ※ちなみに線路幅は1668mmで、ヨーロッパの標準である1435mmとは異なります。理由は線路を敷設した時に周辺国の侵入を警戒した為。このあたりの考え方はロシアと一緒。スペインの周辺国とは勿論フランス。では何故フランスを警戒したか....?はい、ナポレオンです。線路を引き始めた時、ナポレオンの記憶が残っていたからですね。勿論、ロシアについても同様。このあたり、ヨーロッパの歴史が見えておもしろいです。

 食堂車から帰ってくるとベッドメイキングは済んでいた。出発する時は座席だったので戻ったら頼まなくてはなあと思ってたのだが、このあたりは気が利いている。貴重品大丈夫ですか?というのは、そもそも列車内でコンパートメントを空ける時は身につけていくという常識で測れば、まあ大丈夫でしょう。

 朝、目が覚めるとアンダルシアの大地を走っていた。日が沈むのは遅いくせに、日の出は普通に始まる。勿論何もない大地か、さもなければ見渡す限りのオリーブ畑。家は殆どない。朝食は付いていたがパス。到着時刻までに全てを済ませようと思ったら、6時くらいに起きないと食堂車で朝食が食べられない。
7時ころ車掌が起こしにきた。雲一つ無い天気は、バルセロナのはっきりしない天気とは違って一日に期待が持てる。

 定刻より10分程早く、8時少し前にグラナダ駅に到着した。二等寝台からは小学生の修学旅行みたいな20人くらいの団体が降りてきた。彼らにとっても取り合えず見とけという観光勉強都市のようだ。
 旅行はここからが本番。バルセロナなど、前座に過ぎないのです。

とりあえずバルセロナ

 バルセロナに朝着いて思ったのは、案外に都会であったことと案外に高い建物が少なかったこと。数年ぶりのヨーロッパだが、カタルーニャ広場そばのホテルにチェックインし、朝食を目の前のカフェで取ったことですぐに欧州モードにギアチェンジ。でもこの街、あとで訪れるマドリッドと比べると小さかった。というか、マドリッドでかすぎ。訪れる前の自分の感覚では同等レベルくらいのサイズだったのだけど、まあ東京と大阪の比較みたいなものか。

 バルセロナはガウディ建築を主眼に置いていたので、カサミラ、サグラダ=ファミリア、グエル公園、カサバトリョあたりはきっちり見る。特にサグラダ=ファミリアはあちこちで書かれているほど並ばずに入れた。15分程度かしら。スペインの見どころは確かに行列ができているところが多く、西洋人も並ぶんだなあなんて妙なところで感心。イタリアでもそうだったかな。「最後の晩餐」があるミラノの修道院は今では行列で有名だけど、訪れた1995年は全く並ばずに入ったと当時のノートにある。でサグラダ=ファミリアだが、教会としては100年と少し前くらいから建てているので、他のヨーロッパの教会と比べるととてつもなく新しいんです。だから外はまだしも中の荘厳さとかなら、セビーリャとかトレドのカテドラルの方がよっぽどもある。ミラノのドゥオモやパリのノートルダムが「好き」とか言う人には、このあたりは好みが分かれると思いますね。
 まあこの街の見どころを選んでいくと20世紀周辺のものに行きつくことになる。街の歴史自体はローマ時代からあり、属州時代の城壁などもあるのだが、どうしても自分のようにガウディを中心に考えることが多いと思われるので、ヨーロッパとしては新しいものを見てまわることになるだろう。勿論、その価値を下げるものではないので十分に楽しく、逆にいえば現代でも十二分に通用するガウディの様式などは別の場所では見られないから、街の風景は新鮮だったりするのだ。ええ、ここは独特の街です。

 他にもモンジュイックの丘にあるオリンピック競技場とか、やたら馬鹿でかいカタルーニャ美術館とかに加え、丘から港を結ぶ年代物のおもちゃみたいなロープーウェーなど、一般的なヨーロッパ都市には中々見られないものもあるので面白い。あとFCバルセロナ関係のショップもうるさいくらいにあるか。スペイン全般に言えることだけれど、イタリアやドイツ語圏スイスに比べ、交通機関は勿論のことレストランやバルのメニューも英語やフランス語が多いので、歩くのも楽。

 ということで、この街は私的にはオススメです。ただ、スペインの玄関都市として訪れたいですね。

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プロフィール

Mr.Problem

Author:Mr.Problem
東京移住。
職業:雲のジュウザ
根本思想:世界人民大団結万歳(笑)
多少、あちこちに行ってましたが、。結婚してからはめっきり諸外国へ出ることが少なくなりました。せめて一年に一度くらいは海外には出たい。元パッカーの習性で旅行は旗持ちではなくほぼ個人旅行。基本的には今世界で起こっていることについて思うところや、今まで行った街の印象を徒然に書いていきます。
みなさんが世の中について考える何かの助けになれば。

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