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「もう一つの高級軟臥~T97次」 ~「北京~モスクワ国際連絡 第3/4列車」

超久しぶりにページを更新しました。
弊サイト「北京~モスクワ国際連絡 第3/4列車」のコラム「RW19雑記」の第五回は、「もう一つの高級軟臥~T97次 北京西→九龍」です。

2007年9月の乗車を基に、中国の列車の中では青蔵鉄路と並んで日本でも名の通っている「京九特快」の紹介です。

北京~モスクワ国際連絡 第3/4列車

「タガタメ」PageTop急行「銀河」の寝台

Comment

モスクワ北京急行

初めまして。
africafeといいます。あちこちさまよって、このサイト発見しました。

23年前、学生最後の時期にヨーロッパを放浪し、ヘルシンキから鉄道利用で上海経由で日本へ帰りました。
その際、モスクワ-北京間で利用したのがこの列車です。懐かしいの一言です。

HP中の内容はほぼその昔と似たようなモノですが、この列車の愛称(列車名)ソ連国内は「ポイーズド、ノーミルティチェーリ、メジナロードナヤポイーズダ、マスコフスキー・ペキーニ フ ウランバートル モンごリア(モンゴルスカバだったかも)」(第4列車 モンゴル、ウランバートル廻り、国際列車モスクワ・北京号」という駅アナウンスや表示を眼や耳にしました。

中国人の列車長と仲良くなり、この話をすると、「正式名称は第3/4列車だが、満州里廻りのモスクワ・北京間の列車は『極東号ヴォストーク』て言うわな。ウランバートル廻りの列車を『モスクワ・北京号』て呼んでいるのは知っている。」同じダイヤで運行されている、モスクワ・ウランバートル間の列車は『草原号ステッペ』て言う名前があるんだが、でもこの列車は中国国鉄の運行なので、正式な呼び方じゃないウランバートル行はソ連の管轄だ。」と歯切れの悪い説明でした。

 当時、ソ連国内だけのこの列車の利用はモスクワ-ウランウデ-ナウシキ間の車両に限定され、第3/4列車以外にソ連国鉄(もしくはモンゴル国鉄と共同運行?)
仕立てのウランバートル行は制限がなかったのではないでしょうか。
 モンゴル国内は『国際旅客』のみが乗車可能(モンゴル国内相互間の利用は不可、連結されているモンゴル国鉄車両の意味が食堂車以外不明、恐らく国際列車ゆえの工作員専用車としか思えません)
モンゴル国内の停車駅、ウランバートルを例外として、サインシャンダー、チョイルなど、全く無人だったのはそう言う事情かと。

 ちなみにこの列車、外国人は除き、中国人民の中国国内相互利用も不可でした。旅券を所持しない利用客は、この列車自体を利用できなかったはずです。
20数年前、余程の地位と事情がなければ、一般人民に旅券など発給される事はなかったはずです。それを考えると、隔世の感がしますが。

 高包車両が発券制限になっているのは、当時からの名残からかも知れません。
 また、23年前のメモにはこの高包車は、確かに連結されていましたが、時刻表には連結の事実も記載されておらず、外交官か軍関係者と言った高級公務員専用車という位置づけだったのではないでしょうか。
 
 一般外国人は4人部屋X8室、同じ車両の上段をたたんだ2人部屋X8室の軟臥のチョイスで、個室X8人定員の高包車は謎の存在でした、ただ、貴ページ上の高包車より、遙かにグレードの高い車両だった記憶があります。

 深紅のワインレッドの絨毯、ピカピカに磨き上げられた真鍮の金具、内装はマホガニー仕上げでした。
東欧系の軍人か外交官らしき乗客一名しか利用者はなく、停車中や運行中にこの車両に立ち入ると、車掌に追い出されました。

最後にソ連・モンゴル国境の停車場ドーゾルヌィとモンゴル側キワキワ間にある停車場はドルージバという名前だったと記憶しています。『駅』ではなく、出国時の検査か臨検用の停車場だとおもいます。
何もありませんが、ドーゾルヌィにもドルージバにも短時間ですが停車し、国境警備隊歩哨が最後の検査を凍てつく中、黙々としておりました。

当時、ナウシキでは深夜にも拘わらず、構内の掘っ立て小屋みたいな銀行では、ルーブルのドルなどへの再両替業務をやっておりました。レートはモスクワでの交換レート等価。さすが社会主義国、と感心した思い出があります。

長くなってしまいましたが、メモを読み返して何かわかりましたら、またメール差し上げます。

第3/4列車のお話

africafe様

はじめまして。管理人のMr.Problemです

 非常に興味深いお話、どうも有難うございます。私も初めて知る事実があり、とても勉強になりました。
 社会主義国の国際列車は国の威信をかけて運行される事が多く、また体制の性質上「秘密」が付いてまわるものであったようです。ソ連がロシアになって国家体制も変わり、中国は社会主意国を名乗っておりますが、限りなく資本主義に近い体制であれば、列車の意味合いや運行方法も当時とは相当変わっている事が推察されます。

 是非今後も貴重なお話や拙サイトへのご意見、ご批判をお寄せいただけますことお願い致します。

モスクワ北京急行Ⅱ

Mr.Problem様
あれから旅行時のメモを再読しました。

訂正です。ドルージバという操車場はモンゴル-中国間の国境モンゴル側に位置していました。国境の中蒙友誼関から中国側にも何か停車場、操車場らしきものがありましたが、列車は停車していません。

モンゴル側の最後の駅、ジャミン=ウデ-国境-二連間は、レールゲージがソ連・モンゴル国鉄の1524mm、中国国鉄の1435mmとの4線軌条になっており、中国国鉄の機関車がお迎えに来ていました。

 話は23年前ですが、牽引機は何と重連の蒸気機関車でジャミン=ウデ発車時の野太い汽笛に、車内が騒然となったのは懐かしい思い出です。当時でも、まさか蒸気機関車が登場するとは夢にも思いませんでした。

 ただでさえロマンティックなソ連-モンゴル-中国間を往く国際列車、しかも蒸気機関車が牽引となると、物語の舞台としてはできすぎの感がしました。

 人生の内で、旅の内でこれほど高揚したことはありません。蒸気機関車は二連で単機に交代、張家口まで蒸気機関車の牽引でした。張家口南から北京まではディーゼル機関車でした。

 モンゴル国鉄の食堂車ですが、メニューは「できるモノ」でした。ダメ元で「モンゴルの郷土料理」をリクエストしたところ、モンゴル風小籠包「ボーズ」と「ホーショール」という揚げ物、うどん入り野菜スープを食べることができました。4人で数ドルでしたから、高くはなかった気がします。
 当時、建前ではトゥグリクは国境駅(スヘ=バートル)で両替出来るはずでしたが、スへ=バートル駅ホームに降りようとした途端、警備兵にカラシニコフを突きつけられ、真っ青になってデッキに舞い戻った次第でした。まさかとは思いますが、いまだに、あれは人生のなかでも怖い経験の一つです。

 ついでソ連国鉄の食堂車、これもメニューはお粗末の一言でしたが、ソリヤンカという濃いトマト風味のスープは絶品でした。イルクーツクでキャビヤと生キュウリの入荷があり、ジャム瓶程の16oz瓶に入ったキャビヤが6ルーブル(当時で1500円位)生キュウリのスライスとバターをこってり塗った黒パンにキャビヤをたっぷりのせて堪能しました。もう、人生で二度とないかも知れません。
 食堂車の係はいい人ばかりで、メニューにはないはずのブーリヌイ(ホットケーキ)や、超貴重品ネスカフェを出してくれたりしました。

ソ連、モンゴル、中国食堂車メニューの写しがありますので、次回にでも披露します。

長文済みません。

ロシア食堂車の料理

africafe様
今晩は。管理人です。

 再度のコメント、有難うございます。
 14年ほど前の話になりますけれど、私も中国で一度だけ蒸機牽引列車に乗車した事があります。それまで日本のSLについての本は色々見てきましたが、観光用はともかく現役列車になど乗ることがかなわず、他国とはいえ体験した時はひどく感動しました。

 かつての社会主義国は、色々な資料によれば、メンツの問題もあって外国人にはそれなりの待遇をしていたように思えます。今の中国では殆どなくなりましたけれど、90年代前半あたりでもまだ外賓という観念が残っておりました。これらは、悪名高い外国人料金の賜物でもあった訳ですが、スタッフの対応は最悪でも、設備面であったり食事等の場面ではそれなりのものがあったのではないでしょうか。以前は例えメニューは貧弱でも出てくる料理の質的には贅沢に思えるような場合が多かったようです。今のロシア食堂車では、キャビアは出てきません。でも、私も食堂車で「ラソーリニク」というスープを飲みましたが、ロシア滞在中で最も美味しいロシア料理でしたよ。伝統はまだ息づいているのかもしれませんね。

83年4月に乗りました

いまから28年前、新婚旅行で83年4月27日北京発の列車の軟包車(いまでは高級軟臥というらしいですが)に乗りました。北京からウランバートル経由でイルクーツクまでです。料金は1人143.50元で、当時は確か1元=160円位だったと思いますから、2万円強と優雅さに比べたら格安でした。
軟包車はマホガニー調の非常にシックな感じでした。今の車両とはたぶん2世代離れているのだと思いますが、雰囲気は良く似ています。
2人部屋8室の構成だったと思いますが、乗客はウランバートルまで行くポーランドの外交官の女性と私たち夫婦だけでした。当時は国際列車の乗客は極端に少なく、他には硬包車(4人コンパートメント)を利用する東ドイツの留学生の一行だけでした。
切符は、中国旅行専門の日中平和観光と言う旅行社で予約し、確か崇文門あたりにあった中国国際旅行社のオフィスまで受け取りに行った記憶があります。
新婚旅行ではモスクワからポーランド・チェコ経由でウィーンまでの国際列車にも乗りましたが、いずれの列車でも、食事ができるかどうか分からないと言われて、カップ麺などを持参しました。実際には国ごとに連結しなおされる食堂車があり、しかも米ドルで支払えましたが。
当時、共産圏の国際列車の切符を買うには通過する国を含めてすべての国のビザを取得する必要がありましたが、途中のチェコスロバキアの通過ビザは何と通用1日限りという、列車が遅れたらそれまでというものでした。

Re: 83年4月に乗りました

なぐ様
 コメント有難うございます。
 90年代末くらいまでの中国の鉄道時刻表には列車編成一覧があり、そこにモスクワ行3次と19次には確かに「軟(包)、硬(包)」という表記がありました。一般の硬臥は開放寝台だったので「包」の案内も納得いきましたが、軟臥は当時でもコンパートメントだったので「?」だった記憶があります。
 ご体験の通りかつては列車の旅は安く、私が旅行した時でもまだギリギリ納得できる価格でしたが、現在は大幅に値上がり、体験するにも「気軽に」というものではなくなってしまいました。

 古き良き鉄道時代の貴重なご体験のご紹介、ありがとうございます!

ご連絡

Mr.Problem様

大変ご無沙汰をしております。
中国鉄道倶楽部のボーゲンです。

実は、相談があってご連絡したいのですが、
メールアドレスが分からず、わいわいフォーラムの個人メッセージに送信させていただきました。

お手数ですが、宜しくお願いします。

Re: ご連絡

Borgen閣下
 
 ご無沙汰しております。フォーラムの方にご返信を差し上げました。
 ご確認くださいませ。

Mr.Problem

> Mr.Problem様
>
> 大変ご無沙汰をしております。
> 中国鉄道倶楽部のボーゲンです。
>
> 実は、相談があってご連絡したいのですが、
> メールアドレスが分からず、わいわいフォーラムの個人メッセージに送信させていただきました。
>
> お手数ですが、宜しくお願いします。

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Mr.Problem

Author:Mr.Problem
東京移住。
職業:雲のジュウザ
根本思想:世界人民大団結万歳(笑)
多少、あちこちに行ってましたが、。結婚してからはめっきり諸外国へ出ることが少なくなりました。せめて一年に一度くらいは海外には出たい。元パッカーの習性で旅行は旗持ちではなくほぼ個人旅行。基本的には今世界で起こっていることについて思うところや、今まで行った街の印象を徒然に書いていきます。
みなさんが世の中について考える何かの助けになれば。

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