FC2ブログ

化石都市カルモナへようこそ

 サンタ・フスタ駅のホームに降りるとちょうど隣のホームに茶色にクリーム色の客車列車が停車していた。この列車、グラナダに到着した時に見たものと同じで何かと思っていたのだが、帰国して調べてみると「アル・アンダルス」という列車。定期列車ではなく、観光用の特別列車で1929年製の客車を利用してアンダルシアを5泊6日で見所を周りながら走るというもの。各地の停車駅で観光地を巡るというヨーロッパではよくあるパターンの観光列車。シンプロン・オリエント急行とかと同じスタイルの列車。で、料金はというと全行程で35万円。そういう列車なのです。むかーしむかし、1990年代の中頃にシンプロン・オリエント急行をヴェネチア・サンタルチアで見たことがあり、その当時のイタリアの列車が持つ雰囲気とは別格な感覚を受けた。昔の人は優雅な旅行をしていたものだ。列車といい、船といい。勿論移動手段に優雅さを求めるより速さを求める方が圧倒的なのだが、観光資源としてしかこのようなレベルの列車に乗れないというのも何となく寂しい。

 だだっ広い駅前から市内バスでバスターミナルがあるプラド・デ・サンセバスチャンへ。某ガイドブックに記載されているこのエリアから出るというカルモナ行のバスを探しに行くが、情報が古いのか、全くの嘘っぱちなのかは分からないが、バス停は全く見当たらない。事前にバス会社のサイトで調べたところではサン・ベルナルドから出るとのことだったので、そちらに行ってみる。まったく、到着して5分もしないで見つけたさ。というか、サン・ベルナルドへは、コルドバからの列車も到着する駅だった。をいをい、サンタ・フスタで降りたのは何だったのか、と思うけど、まあ仕方がない。一時間に一本程度でカルモナ行バスがあるからいいようなもの、一日数本のバスだったら面倒くさいことになったわ。サン・ベルナルドは近郊へのバスが発着するエリアとなっていて、市内バスや路面電車、地下鉄、近郊電車とのターミナルになっていた。ここから出るバスは、バスターミナルから出発する程でもない行き先へ行くみたいだ。逆にプラド・デ・サンセバスチャンは、マドリッドやバルセロナ、アンダルシア各地へのバス、国際バスなどが発着する一大ターミナルらしい。

 サン・ベルナルドから乗った「カルモナ行」というバスは市内バスそのものだった。こんなバスで一時間近く郊外へ行くのですか?と思ったら、別の場所で長距離バス型のバスに乗り換えさせられた。カルモナまでは2.5ユーロ/人。この国の交通費は高いのか安いのか分からない。

 セビーリャを出てしばらくすると右手にセビーリャ空港を見た。ライアンエアーとかの欧州域内限定の機材が多かったが、中国国際航空のB747も見た。遠目だったから確認できなかったが、あれは旅客機だったのかな?それとも貨物機だったのかな?

 途中のバス停はいくつかあり、その周りに家が何軒かあったが、集落があるという感じではない。この家の為にバス停を置いているのかと思えるようなところも。

 空は真っ青で雲がない。開放感はあるけれどどちらかというとそんなのんきな気分ではなく、午後に向けてグングン上がっていく気温にあとで叩きのめされるのが予見できる憂鬱感が先に立つ。セビーリャの街に出ている温度計で、38℃を差していたからな。午後には40℃を超えるのは間違い無いんですよ。乾燥してたって暑いものは暑いんだ。湿気が無いからいいってもんじゃない。ちなみに湿度は30%を切ってます。

 のんびりとした台地を突っ走ること1時間弱でカルモナの街に入る。街?町?村かしらん。この城壁囲まれた古い街並は、時間が停まっているのだけは間違い無い。

 セビーリャに滞在せず、何でこんな田舎町に我々を引き寄せたのか?

 それはパラドール、化石のような街並、ひまわり、そして天正遣欧少年使節なのです。遣欧少年使節ってどっかで聞いたような...おっと、意外なところで日本人が出てきましたね。

まずはセビーリャ・サンタ・フスタへ

 次の目的地となるカルモナへは、コルドバのバスターミナルから一日二本バスの便があったが、朝便で行けば午前の早いうちに着き、夜の便で行けば遅すぎる。なんとまあ中途半場な時間帯。ここは少し遠回りとなるけれど、セビーリャ回りでカルモナへ向かうことにした。

 コルドバ・セントラルからセビーリャ・サンタ・フスタまでの列車は、よりどりみどり。午前の都合良い時間帯に、AVE、AVANTに加えて長距離列車のALVIA、中距離快速列車のMedia Distancia(MD)まで揃っていた。勿論AVEが一番速くて45分33ユーロ、一番遅いMDで1時間20分12.50ユーロ。間を取ってマドリッドから来るカディス行ALVIAの所要47分30.80ユーロにしようと切符を求めると「full」だという。まあいいです。同じような時間帯に着くけど出発が1時間ほど速いMDで行くことにした。ちなみにMDの切符だけは駅の自動販売機で購入できた。律儀にも席が指定されている。この国には近郊列車以外は全て指定となるらしい。

 コルドバ・セントラル発カディス行MDは3両の短い編成。AVEとかAVANTが高速専用線を行くのに対し、MDは在来線を行く。道理で安い代わりにのんびりとした所要時間なわけ。セビーリャが終着ではなくその先の大西洋に面したカディスまで。カディスはコロンブスがアメリカに向けて出港した港で古い街。本来なら訪れたい街でもある。1時間20分もかかるんだからどれだけノロノロ走るのかと思ったが、出発するとすぐ160km/hまで速度をあげて走りだした。専用線は300km/hで走っていくもんだからこちらはのんびりとした感覚があるが、日本の在来線で160km/hで走る列車など無い。ただ、途中ところどころが単線で、列車交換とかで時間がかかるらしい。

 コルドバを出てしばらく行くと右手の丘の上に古城が見えてくる。この景色、実は日本で見たことがあった。90年代に発行されたヨーロッパ鉄道写真集でこの場所が紹介されていたのだ。この後もあちこちで丘の上に城を望むことができた。

 アンダルシアの線路を突っ走り、けどのんびりとした時間を過ごし、スペイン第四の都市であるセビーリャの中央駅サンタ・フスタ駅には定刻通り10時40分過ぎに到着した。高いドームに覆われた非常に開放感のある立派な駅。やっぱり駅はこうでなくっちゃいけない。

コルドバはメスキータと遊園地

 さてさて、旅情もへったくれもない高速列車の移動を終えて着いたのは、コルドバ。ここはイベリア半島に於けるイスラム勢力の都として、かつて大いに繁栄したところ。同じ時代にはバグダッドとかダマスカスとかカイロとかイスファハンが栄えるのだけれど、文化面ではイスラムの中心として君臨したのがこのコルドバ。当然訪問の目的もこれらの遺構を求めてとなる。

 コルドバ・セントラル駅は旧市街から微妙に離れているのでバスで向かおうと思ったが、バス停の路線図の上に観光バス案内が重ねて貼られていて、路線のどれが旧市街へ行くか分からないようになっている。この辺の想像力はどうにかならないものかと思うが、文化の違いとして納得するしかない。そうこうする間に日差しは高くなり、暑くなるばかりなので、タクシーで向かうことにする。最初から行けって。
 目指すホテル「ラス・カサス・デ・ラ・フデリア」は旧市街のど真ん中で、多分この旅行を通じて最も良かったホテル。当然昔の邸宅を利用したパティオのある落ち着いたホテルを選んでいるが、ここはその中でもすこぶる雰囲気が良かった。わざわざ観光客がその中庭を写真に収めてきていたし。部屋は広くジェットバス付。プールもある。またレストランも知られているようで、夕食時はお客さんが詰めかけていた。

 荷物を置き、早速街へ。勿論目指すは「メスキータ」。コルドバのシンボルであり、今でこそキリスト教会となっているものの、元はイスラム建築の粋を集めた列柱の美しい内殿は、よく写真などに取り上げられるところだ。800本以上の柱が並ぶ様は、それだけでイスラムを引き継いでいると共に、そこに掲げられているキリスト教会の十字架やら彫像やら聖歌台やらが融合されて独特の世界を形造っている。アルハンブラの時にも書いたけれど、中南米の文明を破壊し尽くした旧教の権化であるスペインが、自国領土のイスラム建築を破壊し尽くさなったのは、奇跡に近い。アルハンブラは半分は捨て去られ見向きもされなかったのが現代に残ったものだけれど、ここコルドバのメスキータは都市のど真ん中にある旧イスラム建築。逆のパターンがイスタンブールのアヤソフィアだが、どちらもその歴史背景を考えると、その貴重さと歴史のアヤに体が震えてくる。

 メスキータの北側に旧ユダヤ人地区が広がっている。ここは迷路のようで、フェズのカスバとまではいかなくても、しばらく歩いていると何処に自分がいるのだかわからなくなってくる。こういう時は団体に付いていくのがよろしい。丁度フランス人グループがガイドにつれられて歩いていたので、そちらについていってついでに街案内と道案内もしてもらうことにした。

 夕食にタパスとワインをかきこんだあと、旧市街の南に流れるグアダルキビル川をローマ橋という石橋で渡って新市街へ。遠くに観覧車やらが見えたので近づいてみると、巨大な遊具がギンギラギンに輝いて回った絶叫を撒き散らしていたりしてた。どうやら祭のようで、民族服を着たカルメンみたいな女性がそこら中を歩いている。この遊園地、遊具は相当荒っぽく、観覧車は高速回転しているし、地上数十メートルに人を置き去りにして人の入れ替えをしたりと、日本の遊園地とは違った意味でスリル満点。勿論時間は夜10時を過ぎても人でいっぱい。まあ、昼間が暑くて仕方がないから、こうして夜も盛り上がるのだろう。行く前は非効率かなと思っていたシエスタがある理由も、なんとなくわかるような気がするのだ。

「AVE」と「マックイベリコ」

 マラガはパブロ=ピカソの故郷。でも今回は通り過ぎてしまう。

 コスタ・デル・ソルでの一日ばかりのバカンスを終え、山を降りてフエンヒローラ。近郊線に乗ってマラガに戻ったのは昼11時。次の目的地はコルドバとなる。マラガ・マリア・サンブラーノからコルドバ・セントラルへは、Renfe(スペイン国鉄)が誇る高速列車「AVE」か特急の「AVANT」の利用。これ、所要時間は15分程しか違わないんだけど、料金は何と2倍近い開きがある。AVEで45.40ユーロで、AVANTで25.20ユーロ。いくらAVEがRenfeの顔と言ったってこの値段付けはないんじゃないの?とも。確かに在来線の長距離列車で行けば2時間近くかかるところをAVEなら50分で行くけどさ、AVANTでの1時間と少しだって。これならAVANTで十分と時刻表を調べると朝の9:10発と14時半発が有効時間帯。AVEは1時間おきに走っている。マラガに宿泊していれば9時過ぎのAVANTに乗るけど、ミハスから来ようと思ったら7時過ぎにはミハスを出なくちゃいけない。朝をそんなに忙しくして鉄道切符代をケチる程に貧乏旅行ではないので、ゆったりマラガに出る代わりに昼のAVEに席を取った。

 マラガで1時間程時間があったので遅い朝食を構内のマクドナルドで。ヨーロッパまで来てマクドナルドかと思われるかもしれないが、滞在期間があるのならば一度は入りたい。理由は、別に世界共通安心の味を求めているのではなくて、ご当地バーガーがあることが多いからだ。普通に食事を取るだけだったらマクドナルドは割高のこともあるが、ご当地はもちろんここでしか食べられないから、一度くらいは入ってみるのは悪く無いと考えている。ただし緊急時以外はあくまで一度だけど....。この国でのご当地バーガーは、出た!「マックイベリコ」。日本のベーコンレタスバーガーを巨大化してドレシングソースを外し、ベーコンの代わりにイベリコハムを挟んだものを想像していただければ宜しいかと思う。贅沢にもイベリコ豚!!うーん、ショーグンバーガーやサムライバーガーに匹敵するストレートなネーミングだ。コーラとポテトのおなじみのセットで6.50ユーロだったかと思う。勿論巨大過ぎて全部は食べられないが、ハムだけは何とか残さず食べた。

 12:05発マドリッド・プエルタ・デ・アトーチャ行のAVEだ。始発となるマリア・サンブラーノ駅は欧州によくある行き止まり式のターミナルだけれど、この国では存外に行き止まり式の駅は多くなくどちらかというと珍しい存在。けど駅はやっぱりこうでなくちゃ気分が盛り上がらないぜ!いくつか車体にはバリエーションがあるけれど、この列車はフランスのTGVを近代化したような車体で何両かに一人コンダクタが付く。二等車であるTuristaと一等車のPreferente、それとカフェテリアカーの編成。最高運行スピードは300km/h。日本の新幹線のように専用線を突っ走る。マドリッドを中心に四方へ路線を延ばしているが、マラガはその南端となる。この高速鉄道網のお陰で旧来のヨーロッパ型客車列車が一気に置き換えられ、日本と同様にこの国でも夜行列車や在来線長距離列車は風前の灯だ。ここマラガから出るAVEやAVANT以外の長距離はバルセロナ行が一本あるのみで、かつて存在したという夜行列車は消え去ってしまっている。今はヨーロッパ全域で、少なくともオーストリアから西側ではこのような高速列車が幅を利かせつつあるので、昔ながらの客車列車は消えていく一方。どちらが旅情があるかと言えば明らかなんだけど、まあ航空機とガチンコの勝負をせざるを得ないので致し方が無いんだろう。

 列車はアンダルシアの山がちな台地を文字通り突っ走り、約50分でコルドバ・セントラルへ到着した。

「白い村」ミハスの休日

 フエンヒローラから市内バスのようなバスで郊外へ出る。天気はとてつもなく良く迫ってくる山の緑も美しい。途中ロシア語の看板があったが、どうやら別荘地の売り出しらしい。経済状況もあってか市内中心部でも「売家」の表示を見てきたが、このようなリゾート地では外国人への売買もあるようだ。

 道路状態は良い山道をうなりながら登っていくこと20分程で、山の中腹にへばりつく白い村、ミハスに到着した。

 アンダルシアの家々は白壁が特徴だけれど、ここはそのような昔ながらの白い建物が密集する集落。大きな車が入れるのはバス折り返し地点にある広場までで、そこから中は細い石畳の道がうねりながら村を走っている。山の中腹にあるので景色は抜群によく、展望台のような所からは眼下にフエンヒローラの街と地中海、そして何と!遠くアフリカの台地まで目にすることが出来た。が、どうしてこんな不便な所にわざわざ集落を持ったのかが不思議。車通りが出来る前は、舗装の無い山道を徒歩で行き来していたであろうことが、バスの中からも良く分かった。

 街はそれなりに観光地化されているとはいうもののそんなに商売熱心でいるようにも思えず、一応ロバ車や馬車が「タクシー」とか称して集落を一周してくれるみたいだが、何となくのんびりした空気が村を包んでいる。フエンヒローラからのバスには外国人らしき客が何人か手ぶらで乗ってきたところを見ると、下界に宿泊を取りながら滞在の合間にここに登ってくるようなこともあるらしい。実際1時間もあれば集落を一周してしまうので、ガイドブックではマラガからの日帰り観光地として紹介しているくらいだ。日本の旗持ち旅行ではこの村で数時間の自由時間を取るようで何組かの日本人団体を見る事ができたが、一応ふらふらと歩くものの時間を持て余しているようで、この白い美しい村を十分に楽しむのには至らない方々が多いように思えた。ここは特に見るべき教会建築や美術館、遺跡の類はなく、白い家々が作り出す街の雰囲気が見所であり、例えば暑い日差しを避けてバルのテラスで目的も無く時間をつぶすことに楽しみを見い出すような旅行客でないと、退屈で仕方が無いかもしれない。

 けれど自分達はこの暇そうな村に宿泊を取った。結果的にはその空気が合ったように思え、とてもこの村を気に入った。ホテルというよりペンションと言った方がいいような宿で、チェックアウト時も人がいないからと、カギを玄関に置いて出てってくれというようなところ。その割にはミニバーもあるのだが、どうやって清算をするのかなと思うのようなのんびりした宿だった。

 このような感じだから何かを見たという場所ではない。高台の闘牛場を外から、またその前にある教会の脇でアイスクリーム、家族経営のレストランで鶏のソテーとバゲットに添えられたイベリコ豚のハム、満点の星空、再度夜に訪れた展望台からアフリカの街の灯、やたらはっきり聞こえた教会の鐘が、この街の印象だろうか。

<<PrevPageTopNext>>

プロフィール

Mr.Problem

Author:Mr.Problem
東京移住。
職業:雲のジュウザ
根本思想:世界人民大団結万歳(笑)
多少、あちこちに行ってましたが、。結婚してからはめっきり諸外国へ出ることが少なくなりました。せめて一年に一度くらいは海外には出たい。元パッカーの習性で旅行は旗持ちではなくほぼ個人旅行。基本的には今世界で起こっていることについて思うところや、今まで行った街の印象を徒然に書いていきます。
みなさんが世の中について考える何かの助けになれば。

カレンダー

08 | 2019/09 | 10
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -

月別アーカイブ
最近の記事
カテゴリー
最近のコメント
最近のトラックバック
FC2カウンター
ブロとも申請フォーム
ブログ内検索

RSSフィード
リンク