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94年夏~直快151次上海発貴陽行 上海にて

 上海から西南へ向かう列車は3本あった。1本は雲南昆明行の特快、1本が貴陽経由重慶行特快、1本がこれから乗車する貴陽行の直快である。昆明行は貴陽行や重慶行と異なり広西を経由するもので、特に桂林へ向かう外国人バックパッカーなどは南寧行直快と併せて広西経由便の切符を取るのに血眼になっていたので、単に昆明へ向かう以外にも混み合う理由がある列車だった。桂林着深夜1時とかだけれど。自分の目的地も雲南であったけれど、直接昆明に向かうのでは切符を取るのが困難なように思えた。特別貴陽に用がある訳ではなかったけれど、こちらの方がまだ切符を得る確率が高く思えたのである。
 神戸から上海港に到着した翌日、目指す貴陽行列車の切符を求めてCITS(中国国際旅行社)に向かったが、対応はケンもホロロだった。そんなもんある訳ないでしょうといった感じで、一週間後の硬臥であれば取れるかもしれませんと言う。仕方が無いので上海駅へ向かった。どうして先に駅に向かわなかったのかと言えば、外国人にとっては切符を買える可能性が高いのは駅ではなく旅行社、それもCITSであったからだ。
 駅の售票所は今まで見た事もない光景だった。人人人!どの窓口も大行列で割り込みも横行。用がないのか切符が取れなくて途方にくれているのか分からないような人々が地べたに座り込んでいる。並んでいる人々も煙草をスパスパやっていて煙がもうもう。ところ構わず痰を吐いている。「禁止吸煙」「禁止吐痰」の大きな表示はただ存在するだけで誰も守っていない。夏の暑さも手伝って異様な空気が售票所内を支配していた。窓口は北行と南行に分かれている。今でこそ電光掲示の空席案内があるがその当時はそんな文明的なものは無く、わずかに窓口に紙で作った小さな残席案内が貼られていて3日後までの残席表示が出ていたが、何処まで正確かなど期待出来るものでもない。勿論軟臥、硬臥、硬座などの等級ごとの案内ではなくその列車に空きがあるか無いか、ただそれだけだ。それ以前にどの列車も「售完」(完売)なので空席案内の意味を全く成してなかった。
 船で知り合った中国語の出来る人と一緒に列に並んだ。この人は洛陽への硬臥を狙っていた。ようやく辿りついた窓口では、幸い日本人だとばれることはなくやり取りが進んだが、硬臥は当然のように無かった。それどころか硬座もなく「無座」ならあるとこと。基本的に座席指定となる中国の列車で、無座とは良く言えば自由席。席が空いていれば何処に座っても良いというやつだが、勿論座れる訳が無い。駅ごとに割り当てがあるとは言うものの、上海は始発駅であるので一番割り当てが多い筈で、そこで無座であるのなら「立って洛陽まで行け」ということを意味するのだ。洛陽へは洛陽行以外にも西安、成都、西寧、烏魯木斉行など何本か停まる列車がある筈だが、全くこれらの列車の切符は出てこない。当たり前だ。これらの列車に上海~洛陽の割り当てなど無いのだから。比較的近い鄭州までということで、鄭州行や石家庄行もあたってみたがどれもダメ。結局洛陽まで18時間半もかかる列車の無座票をこの人は購入した。これで彼の地獄以下の旅は保証された。勿論自分の貴陽行など寝台はおろか席などある筈も無かった。
 上海は暑かった上にこの售票所での体験が疲れを倍増した。いつ出られるか分かったものじゃない。一週間待ったところで出られる保証もない。幸い安宿で一泊30元ほどの所に泊まっていたので金には困らなかったが、そのような問題ではない。外灘での黄浦江は貨物船に混じって長江を登る旅客船などが通っていた。対岸の浦東は何も無く景色が開けている。疲れて上海市庁舎(現在の上海浦東発展銀行)の石段に腰掛けていたら警備員に追い払われた。

 翌朝、荷物をまとめてホテルを出た。この行動は今でも分からない。上海を何としても出なくてはいけないと思ったのだろうか。出る宛も無いのにホテルをチェックアウトするなど馬鹿な話だ。
 ロシア領事館の前で連接車のトロリーバスに乗り換え、上海駅へ向かった。到着してまっすぐ駅横にある龍門賓館に向かった。ここに外国人用の切符売り場があった。幸い窓口は空いておりすぐに自分の番が来た。ここでは外国人にしか切符を売らないので日本人である事を隠す必要は無い。今日の貴陽行の切符はあるか?と訪ねたら軟臥ならある、との返事が帰ってきた。何と当日の切符が出てきたのだ。荷物をまとめて来ている割に、このようなことで驚くのもおかしな話だが、奇跡だと思った。値段は人民料金の3倍以上の700元と少し。後ろで台湾人が「太貴!」(高い)とつぶやくのが聞こえた。勿論そんなのを気にしてはいけない。上海を出なくてはならないしそれが実現する切符が手に入ったのだ。喜び勇んでその足で上海駅の軟席候車室(一等待合室)へ向かった。
 そこからホームにどのように出たかは覚えていない。とにかく出られることに舞い上がっていた。

 上海発貴陽行直快151次。2番線に緑色の列車が乗客を待っていた。自分は軟臥であるので丁度編成の真ん中ほど、食堂車の隣。古ぼけた非空調の車両だったが、自分には十分過ぎる車両だった。

(続く)

鄭成功

 外の雪はいよいよお盛んです。
 部屋から見る鬼子母神~雑司が谷界隈の屋根群はみんな真っ白。こう寒くては少しでも気分を盛り上げなくては。そんな訳で、ヘッドの写真を南国のものに変えてみました。
 日本が戦前に建てた台南駅です。

 台南は「府城」の別名があります。17世紀のオランダ統治期、台湾の中心はここ台南でした。いわば台湾の歴史都市で日本で言えば京都みたいな立ち位置。で、反清復明の英雄鄭成功がこの地を落とし、オランダを追い出して明復活を期す根拠地とします。ちなみに対岸の厦門のコロンス島には鄭成功の巨像が立っており、街の海岸沿いから良く見えます。こちらの像は台湾の方を向いており、何か暗示してそう。
 鄭成功は父親は中国人、母親が日本人で肥前国平戸生まれ。崇禎帝が紫禁城北側の景山で首をくくった後、福建で挙兵しました。まあ、詳しいくだりは省略しますけれど、このあたりの話をもとに日本では「国姓爺合戦」が浄瑠璃で演じられるなどして、結構日本とつながりがあったりする人物です。

台南の鄭成功
台南の鄭成功

厦門の鄭成功
厦門の鄭成功

 台南の鄭成功はオランダ人と「和議」を結ぶ図。とは言ってもオランダ人は頭を垂れており、鄭成功は刀に手をかけていて殆ど脅している図ですけれどね。一方の厦門の鄭成功は巨像で台湾海峡を睨みつけています。その目の先には中華民国が支配する金門島があり、小金門には民国が建てた「三民主義統一中国」の看板が。この辺の対比が面白い。厦門の鄭成功は「大陸が今にも台湾に攻め込もうとするの図」ですね(笑)

 現在は厦門と金門島の間に直通の船が出ており、日本人も乗船できます。民国と人民共和国の間を直接行き来出来るのです。

99年1月

 阿里山鉄道に乗ろうと思って嘉義駅に降りたのです。で、翌日の切符を求めるために切符売り場に行くと、営業時間は17時までとあります。それはいいのですが、「今天停運」の文字が。ご丁寧にもその下に日本語で「本日は運休となります」とのこと。で、別の貼り紙に「98年10月より途中区間不通の為運休中」との案内。ん?2009年3月には動いているのを確認しているのに98年から運休とはおかしいな。10年前から貼ってあるような貼り紙には思えないんだが。どういうことかと思いながらも嘉義駅のコンコースをうろうろしていると、「今天99年1月22日」の表示。99年?とすると元年は...おおそうか。2010年から99を引くと1911。1911年は辛亥革命が起きた年じゃないか。99年とは民国99年のことだ。大陸でも台湾でも今は元号にあたるものが無い。大陸は西暦を用いるけれど、台湾は1911年を元年としていることを思い出しました。だから、98年10月とは2009年10月の事で、昨年10月から運休中なのでした。なら、仕方が無い。せっかくここまで訪れましたが、運休であるのなら諦めもつきますので、次に頭を切り替えます。で、駅近くに適当なホテルがあったので投宿。
 嘉義は北回帰線が通る街。1月とは言ってもコートを着込むには暖かすぎるので、軽い服装で街へ。緯度で言ったら広州と大体同じくらいですから、暖かい筈です。ここから南は言葉通り南国の気分です。
 次の日は9時半過ぎの急行列車で嘉義を出発。この列車、台東発高雄行という台湾最長列車で、前日夜に台東を出発、北上して、花蓮、宜蘭を通って早朝台北に至り、今度は南に向かって、新竹、台中、彰化と来てこの時間に嘉義に来ました。台北を一番に出発する南行急行列車だからか、存外に混んでいました。一応発車一時間前に切符売り場に行ったからか座席を押さえることは出来ましたが、嘉義で立っている人も出現する程。長距離バスが頻発する台湾ですが、列車も時間帯によってはなかなか混んでいるようです。なんでも高速鉄道が出来てから台湾鉄路局も危機感を持ったのか列車の本数を増やしたようで、そしたらバスに流れていた旅行客も鉄道の方に戻りつつある模様。高速鉄道は経営主体が異なるため、在来線も運行方式の改善が急務であったようです。ちなみに高速鉄道開通のお陰で台湾の国内線航空路に於けるドル箱であった台北~高雄は壊滅的な打撃を受け、現在は細々と運行しているにすぎません。そりゃそうです。空港行ってチェックインを終える間に下手すれば目的地に着いてしまいますからね。日本でも新幹線の開通によって縮小や撤退を余儀なくされた区間がありますが、台湾も同様のようです。

 1時間程の鉄道旅行で台南着。日本で言うところの京都にあたる街です。南国の雰囲気全開の駅と駅前広場。気分も上々で街に出ました。阿里山鉄道に乗れなかったのは既に忘れています。

ホームにて

 駅舎も日本ならホームも日本そのもの。
 台湾ではホームは「月台」と言うけれど、この言い方は確か香港と一緒。大陸だと「站台」。こういう微妙な言い回しが違うんですよね。同じ中国語でも何処かで言葉の発展の違っている。まあ一番違うのは漢字ですけど。国府の繁体字と中共の簡体字。大陸の人間には繁体字はどれだけ通じるのだろうか。で、台湾の中国人が大陸に行って簡体字を読む条件は、日本人のそれと同様だろうな。

 おっと、ホームの話です。

 下の写真を見てもらえればわかりますが、停車している車両と書いてある字が違うだけで、あとは日本同じです。当たり前です。日本人が設計しているんですから。ホームは一段低くなっているけれど、大陸やヨーロッパと比べたら高い。要は客車用のホームな訳。日本の幹線や亜幹線の古い駅なら、よく見るとホームがかさあげてされているのが分かります。何故なら日本は電車用にホームの高さが改修されているから。モーターを積む関係で、電車と客車はドアの位置が異なるのでこういう改修をしており、勿論日本で電車が走っている幹線や亜幹線の駅なら、殆どこのようにホームが高くなっています。けれど地方のディーゼルカーがしか走っていないような駅なら、昔の名残で低いホームが残っているかも。台湾の在来線では、優等列車は客車が殆どなのでホームがかさ上げされずに残っているのです。で、ホーム本屋とかの鉄骨の組み方とかは昔のまんま。山手線とか神田~新宿の中央線て意外に古い建て方のものがそのまま残っており、鉄骨で組まれた昔の屋根がそのまま残っていたりするんですけれど、台湾の幹線駅もこれと全くと言っていいくらい一緒なんですよ。

夜の嘉義駅
夜の嘉義駅ホーム

 で、発車のベル。ジリジリというあのベルです。日本では変なメロディーが流れていますが、私の子供の頃の東海道線では、まだジリジリというベルが鳴っていたのを覚えています。図らずも台湾で同じベルを聞くとは思いませんでした。

台南駅到着
台南駅到着

 今回訪れてはいませんが、中部台湾の彰化では、日本統治の大正時代に建てられた扇方機関庫が残っていて現役で活躍しています。ここには日本製のSLが保存もされています。1970年代後半まで、台湾では日本製のSLがそのまま活躍していました。旅客用はC57と同型。勿論輸入したのではなく、日本が戦前に持ち込んだものをそのまま使っていました。また二水駅近くにC57同型機が保存されているのを、今回確認しています。

 で、駅弁。台中駅で購入し食べました。台湾で弁当は「便當」。発音は「ビェンタン」ですけど日本読みすれば「べんとう」。当たり前です。この駅弁は日本が持ち込んだ文化ですから。街中の食堂やコンビニでも「便當」は売っており、台湾食文化の一つとなっておりますが、元を辿れば駅弁に行き着きます。台湾鉄路局直営の弁当工場製でした。ご飯の上に甘辛い鳥肉のスペアリブの衣揚げが載っており、60元。台鉄の定番らしい。大体市中の炒飯や炒麺と同じような値段で、まあ食事としては安い方だと思います。本家日本の駅弁は不思議とバカ高いですけれど。

 とにかくそこかしこに日本を感じながら、南を目指します。韓国と違ってこの辺りの「日本」は、台湾では肯定的に利用されているのは間違いありません。

台中の発音は私と台湾人とどちらが正しい?

 さてさて、12年ぶりの中華民国。おっと、自分の主義として国を名乗っているところはその国の名称を記す主義なので、おことわりしておく。このブログをお読みいただいている方なら、北朝鮮と書かずに朝鮮と記しているのはお気づきかもしれない。

 台北の空港、以前は蒋介石国際空港とか中正国際空港とか呼んでいたような気がするが、現在は桃園国際空港となっている。桃園という地名を空港の名称にしているのだ。滑走路からターミナルへ移動する際、ターミナルに超巨大な青天白日満地紅旗が描かれているのに嫌でも気づいた。この辺の自己主張はしっかりしておかないと。今は「三通」の定着で、大陸から台北に飛行機が定期便として飛んでくる時代。この空港にも中国国際航空や南方航空、東方航空などの大陸の航空会社がバシバシ飛んでくる。空港の案内にも北京、上海、広州、西安、杭州、済南、瀋陽などの行き先案内が並んでいるもの。以前飛んでもいないクセに上海の空港に「港(香港)、澳(マカオ)、台(台湾)方向旅客」などという案内があって、もう自分らが治めているつもりになっているのか、などと鼻で笑っていたが(香港とマカオは返還されていたけれど)、時代は変わったものだ。このように五星紅旗を付けて飛んでくる航空会社か来るからこそ、民国国旗をデカデカと出さなくてはいけない。ここは「共匪」の土地ではない。三民主義を奉ずる由緒正しき「国府」なのだ(笑)。

 さて、これからどうしたものか。台北に寄らずに南へ向かいたい。バスの案内所で桃園駅に向かうバスを探すが、本数が少ないようで時間が合わない。高速鉄道の桃園駅へは頻発しているけれど、そこから先が不便だ。で、ここは一気に台中を目指すことにする。で、案内所のおばさんに「去台中一張」(台中行を一枚)と言ったら、「はぁ?」と返された。この人、南方なまりがあったので、ここも方言の土地かと思っていたのだが、アンタに俺の発音にケチを付けられたくないよ。どう考えても俺の方が綺麗な北京語を喋っているだろう。少なくともアンタよりかは北京で散々やり取り(腹が立つやり取りも多々あるけれど)をしてるけどな、と中国人相手にお前の中国語は下手だと傲慢をかましてみる。
 民国では中国語の事を「国語」とか「北京語」とかいうので、歴史的な経緯もあるから、例えば対岸の福建や広東あたりと比べたら北京の発音を正しく発するものだと思っていたんだが、どうやら違うらしい。後日談になるが、何しろ言葉のアルファベット表記が大陸と違うのだ。例えば「新」。大陸だと「xin」だが、こちらでの表記は「hsin」となっており、米粉で有名な新竹は「hsinchu」と表記している。当然自分は「xinzhu」と発音するのだけれど、これがどうも違うらしい。空港でケチつけられた台中は、自分は「taizhong」なのだけれどこちらでは「taichun」。通じないのは四声が下手くそなせいだけではない。おばさんは「タイチュンタイチュン」とか言っているので、中国語といえども違う言葉なのだ、と結論づけることにした。後日年配の人に「あなたは綺麗な北京語を喋りますね」と(日本語で)言われたが、これはおだてでもなんでもなく、勉強した言語は原則に忠実な発音を身につける訳で、外国人の方が言葉が綺麗である場合もあるのだ。特に中国語圏は広いので、中国人よりも標準中国語を操る外国人は多い筈だ。それと単語も微妙に違っていたりしたが、これを書いていくと文章が終わらなくなるので、この辺でやめておく。

 で、タイチュン行のバスで一路南に向かった。

 台中は在来線の台中駅前に着いた。この台中駅の駅舎、築は1917年というので当然日本が建てたもの。何て立派な建物だろうか?日本の昔の絵はがきでご当地の駅舎の写真を載せたものがあるけれど、日本の古い幹線の駅もこのような建物がかつては多かったらしい。勿論今では駅ビルに変わってしまっているが、台湾ではまだまだ現役。ホームに出てみるとそこは日本の駅そのもので、外国にいる気が全くしませんでしたよ。ここから列車で南の嘉義へ向かうのでありました。

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プロフィール

Mr.Problem

Author:Mr.Problem
東京移住。
職業:雲のジュウザ
根本思想:世界人民大団結万歳(笑)
多少、あちこちに行ってましたが、。結婚してからはめっきり諸外国へ出ることが少なくなりました。せめて一年に一度くらいは海外には出たい。元パッカーの習性で旅行は旗持ちではなくほぼ個人旅行。基本的には今世界で起こっていることについて思うところや、今まで行った街の印象を徒然に書いていきます。
みなさんが世の中について考える何かの助けになれば。

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