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言霊~「ことだま」

 例えば文章を書く仕事をしているとして、そこにはどうしても外受けの言葉が出てしまうのは致し方が無いことだろう。当ブログのような私的なものであれば多少言いたい放題も可能であるが、多くの人に見てもらうことを前提として書くのならば、内容は勿論のこと選ぶ言葉も変わってくる。

 言葉の持つ力を日本人は「言霊(ことだま)」といった。
 何か言葉を発するとする。例えば「暑い」と言うとしよう。それを聞いた人は、実際に暑ければ「そうだよね」となるし、そんなことがなければ「別に暑く無い」と思うだろう。そのように受け手によって言葉の受け方は異なってくるが、「暑い」と発して暑さそのもの、またそこから連想させる内容を受け手に思わせるのは、環境の「暑いこと」が思わせるのではなく「暑さ」という言葉の力が受け手に色々な印象を持たせるという、その力のことを「言霊」と呼んだのだ。

 日本人は言葉に対する感覚が非常に繊細なのを上手く言い表した話だと思う。この力は発信者と受け手が同様の言語的感覚を持っていて初めて力を持つので(感受性とは別次元)、むやみやたらの横文字の連発、例えば「アジェンダ」などは受け手にその力が伝わらない。これは一例だけれど、言葉をその武器とする政治家にとっては致命的な用い方だ。

 文章を書く業務をしている場合は、特にこの「言霊」を意識する必要があろうと改めて強く思うのである。

6月23日

 今年も6月23日が来た。
 日本人が忘れてはいけない日付は年間に5日あると去年の8月7日に書いたが、そのうちの一日がやってきた。

 これまた去年の11月10日付けで書いたのだけれど、沖縄問題の最大の問題は島外の人々の無関心さにあると思う。地域性とか中国がとか朝鮮がとか台湾海峡とか言ってるけど、だったら沖縄と共に福岡とか長崎あたりに持っていこうと、誰か言え。日米安保とか立派なこと言うけど、この春の騒動ではっきりしたのは結局人ごとだということだけだ。

パンドラの箱

 パンドラの箱を開けてしまったので後戻りは出来ない。米軍の力が東アジアの安定を確保していると主張する方=何処までも沖縄に基地を置くという考えの持ち主。その主張をさえぎるつもりは無いが、余りにも無責任だ。ヒゲの隊長などの政治家たち、絶対に自分の住んでいるところに大規模な米軍基地は来ないのだから、何を言っても心に響かない。

 振興策という名のお金と引き替えに基地を認めてきた土地だが、本当に裕福になったのか。ここまで運動が盛り上がってしまえば、どんな主張の知事でさえ行政区のトップとして先頭に立たざるをえなくなってくる。現代法治国家と言えども最後は理よりも情なのだと思える瞬間。広島市長、長崎市長、沖縄県知事は、本質的に背負っているものが他の自治体とは違うのか。

 いずれにしても室蘭に基地を持っていくとは死んでも言わない。当たり前だ。

 パンドラの箱にはこの世のあらゆる「負」が詰まっていた。だから開けてはならなかったのだが、あらゆるものが出ていった後に箱に残ったもの。それは「希望」であったという話である。

日本人犯罪者に対する中国での出来事について

 少し前まで中国の入国カードには「外国人であってもいかなる理由でも問題を起こした場合は、中国の法律によって処理される」みたいな事が書いてあった記憶がある。最近のは両面印刷になっているので直接それら警告に触れることはなくなった。まあ、一般の渡航者が治外法権で守られている筈が無いので、その国に入ったらその国の法に縛られるのは当然。入国する、というのは、その国の文化、宗教、風俗、習慣、法律を無条件に了承することと同義であり、これを承服できないのであれば、「行かない」という選択をすることで意思表示をすることも、渡航者には認められている。当たり前の話だが。
 麻薬で死刑というのが厳しいというのは、あくまで日本を含む他国の感覚に依るもので、中国に渡航した以上、日本人から見て厳しいとか悪法だとか言う筋合いは本来無い筈だ。納得できなければそもそも行かなければ良いのだし。ましてや死刑と臓器売買を絡めて書いてあったニュース。臓器は死刑とは別の話だろう。大体死刑制度のある日本がとやかく言えるのだろうか。日本での中国人処刑は人を殺した犯罪者に対するものだったから、と肯定するのか?
 麻薬と死刑の関係については、かつてこのブログでも取り上げたと思う。日本は嫌中の風潮が強いので「やはり中国」とか思えるかもしれないが、シンガポールやマレーシアも麻薬で死刑が科されるのは同様。こちらは確か入国書類にその旨が書いてあった筈だ。

 雲南の大理とかに行くと、大麻がそこらで自生していたのを思い出す。もう15年くらい前の話だが。私はやらなかったが、当時大理に籠って大麻中毒になっていた旅行者を何人か見た。だから死刑を持ち出した所で根本的に麻薬が手に入らない国では無いのだが、手にした瞬間にヤバイ国であるのはその当時から感じていた。
 アヘン戦争と絡めて麻薬に厳しいという話がある。確かに麻薬で国を滅ぼす原因を作った事実もあるので、この話もあながち嘘とは言えない。ただでさえ人命が軽い国だ。中途半端に牢屋に入れるくらいなら、みせしめの意味も込めて殺してしまう選択を取りやすいのもごもっとも。これを厳しいとか量刑不当だとか言う意見こそ、本来ならば不当な意見だとも思える。

 ちなみに以前、処刑は公開だった。私はそのものズバリを見たことはないが、銃殺前の市中引き回しは見たことがある。トラックに乗せられ、首から罪状の書かれたプラカードを下げていた。もちろん見せしめの為です。何かやってみろ、明日はお前たちがこいつらみたいになるんだぞ、という脅し以外の何物でもないですけれど。

指摘いただいたマルクスの武力革命論について

 マルクス主義について書いた昨年9月のブログについて、一部から「誤った認識では?」との声をいただいたので、ここでその根拠を改めて示したい。

 まずこの書物が書かれたのは19世紀半ばのヨーロッパ、丁度7月王政と二月革命前後という時期であったことを理解しなくてはいけない。その時代のヨーロッパで社会変革を実現する理屈として武力を用いることは極めて当然だったということだ。 
 その19世紀の常識を20世紀の常識に当てはめて考えるのは正しくない。歴史の分析に基づく思想と現状打破の手段(共産党宣言では勿論19世紀中葉が「現状」となる)は、後世に生かされるべきものとそうでないものが存在するのは明らかだ。どの歴史書も思想書もそうだけど、その時代背景を念頭に置いて理解に努めなければ、内容によっては現実(つまり読者の時代)に合わないものとなってしまう。現代に生かされるべき方法、分析を得ようとせず、内容全体を今の時代にあわせようとするからおかしくなる。
 ここで言えば、武装革命論は政治体制を変革する手段として当時の思想では「極めて当然だった」という認識が必要である。何もマルキシズムだけの話ではなく、王党派、帝政派にとっても同様のこと。資本主義者は政治変革を必ずしも求めるものではなく、その時代の情勢に適応しながら経済変革を求めただけである。社会主義、共産主義が経済、社会にとどまらず政治体制の変革を求めたのに対し、資本主義があくまで現状の体制において最大限の経済変革を求めるだけのことであり、理屈の上では政治体制の変革は起こりにくい考え方なのだ。当然計画経済とは真っ向から対立するので、社会主義、共産主義の政治的スタンス(資本主義打倒の階級闘争論を勿論含む)を持ち出してくるから、その負の部分を危険視するのだ。

 マルクスは歴史家であった。だから、歴史の分析を詳細に行い、現状変革の手段として当時としては当然の考え方(「暴力手段によってのみ社会変革は可能である」とい考え方)を持ち出しただけのこと。これが20世紀後半に書かれる書物であれば、その歴史分析と現状認識から共産主義社会樹立の為に別の手段を主張したことも考えられる。
20世紀前半のレーニンの時代、この時には既に社会・体制変革を武力以外の手段によって成し遂げる方法も現れつつあった。にも関わらず19世紀の体制変革論を現実の社会改革の手段として主張したのがレーニンであり、毛沢東である。よって、昨年の話として「マルクスが必ずしも武力革命を志向したものではない」と記述したのは、その時代を分析する素地を持っていたと理解されるからであり、生きる時代によってその知識と教養が産み出す手段は変わることが十分に想定されるだけの思想家だったと思うからであり、その理論はあくまで19世紀中葉のヨーロッパの常識を持ち出しただけだと考えられるからである。

 私はあくまでマルクス主義について記述したつもりだったが、共産主義の現実として考えるならば、その思想は後世のレーニン、毛沢東の活動と合わせて考えられる事は当然否定しない。ただ時代変革の手段としてマルクスが武力論を唱えたというのなら、日本人に人気の坂本龍馬や明治維新を起こした人々も、その部分に於いては同じ類の人物であると主張されてしかるべきだ。それなのに彼らを危険思想の持ち主と捉えないのはどういうことだ?幕府という専制的旧体制を破壊したから偉人となるのか?その為の手段として彼らが考えるやり方は、どのようなものでも肯定されるのか?
 誤解されては困るが、私は坂本や高杉、岩倉、西郷、大久保らの業績を否定する意図は全く無い。ただその用いた手段はマルクスの「武力革命論」と何ら変わらないということを指摘したい。当然である。マルクスの考え方も西郷らが用いたそのやり方も、当時の社会を変えるやり方として極めて常識的な考え方であったからだ。
 徳川幕府の弱体化から明治政府の樹立に至る過程は、どう考えても武力革命ではないか。薩長の考えた倒幕の手段と思想は天皇をかついで武力で江戸を落とし、武家中心の社会から天皇を中心とする国家を樹立することだ。これを否定する意見を余り聞かないのは何故か?

 共産主義思想や「社会とはこうあるべきだ」という主張と、マルクスが書いた手段としての武力革命論を同じまな板で判断するな。

 20世紀の共産主義(=「危険な思想?」)とマルクスの言う手段としての「武力革命論」は同一のものでは無いと改めて申し上げておく。

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プロフィール

Mr.Problem

Author:Mr.Problem
東京移住。
職業:雲のジュウザ
根本思想:世界人民大団結万歳(笑)
多少、あちこちに行ってましたが、。結婚してからはめっきり諸外国へ出ることが少なくなりました。せめて一年に一度くらいは海外には出たい。元パッカーの習性で旅行は旗持ちではなくほぼ個人旅行。基本的には今世界で起こっていることについて思うところや、今まで行った街の印象を徒然に書いていきます。
みなさんが世の中について考える何かの助けになれば。

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