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トレドの風景

 トレドは歴史に名を残すカスティリア・ラ・マンチャの古い街で、他の街と同様に教会(カテドラル)と城塞(アルカサル)はこの街にも付いて回る。けれど他の街と印象を異なったものにするのは、旧市街が城壁に囲まれていることと、この街が紹介される際に紹介される写真が旧市街の街に流れるタホ川の向かいから撮られたもので、それがあたかも湖に浮かぶ島に街があるように見えるその美しい風景を以って印象づけられることだろうか。街をじっくり歩いてみると、モロッコあたりのカスバと見まがうような迷路のような細い路地やは中世にそのまま迷ういこんだ気にさせるし、エル=グレコの旧居や荘厳なカテドラルなど、歴史的な見どころはいくつもある。けれど、それらの多くはともすれば(印象だけなら)他のスペインの街でも見られるが、城壁に囲まれた化石なような街並み(我々はアンダルシアでそれを見たが)や、美しい街の外観はこの街に他の街とは違った印象を訪れる人に与えるのではないかと思う。

 宿泊したホテルは城壁そばなので、街の中心へは坂を上っていかなくてはいけない。ビサグラ新門から坂をほぼ登り切ったところにある広場がソゴドベール広場。この広場から「ソコトレイン」という汽車列車風の遊覧自動車が出ていて、これに乗ることで旧市街を望む例の景色を訪れることが出来る。自動車は定員制で、切符を買うと自動的にかその時に買える一番速い便が指定された(もしくは選べるのかもしれないが、そんな気もなかったので、素直に言われた便の切符を買った)。自分らの自動車は14時半発だというので、まだしばらく時間がある。朝食を取ってなかったので、広場のカフェでコーヒーとサンドイッチの朝食を取った。

 時間つぶしも兼ねて旧市街の迷路の中へ。日曜ということもあってか観光客は多く、日本人の旗持ち団体も幾組か見た。ただ、この調子だとマドリッドあたりからの日帰り観光客が大半で、夜は極端に人が少なくなるというパターンか。ミハスやコルドバのようになる気がした。
 街は期待を裏切らない迷路状の中世の街で、その中を歩いているだけでも楽しい。ここのお土産は刀剣類のようで、あちこちで刀のイミテーションが売っている。騎士の剣に似せたペーパーナイフがあり、一つ買ってみようかと思ったけれど、案外にちゃちそうだったのでやめた。丁度ミサか何かか分からないが、飾られたイエスの立像を手押し車に乗せてその後ろを鼓笛隊が練り歩くというイベントにあった。よくヨーロッパの祭りなどで掲げられるあの像だ。それをやり過ごすとバルが何軒か並んでいて自分らを呼んでいる。性格に言うと「Cerveceria」なのでビール酒場。ビールを看板に出すのは、ここスペインでは今までありそうで無かったパターンだ。

 そんなこんなで時間が来たのでソコトレインに乗車してみる。当ブログを読んでいただいている方のうちでこれから乗ろうと考えておられる方がいるかもしれないので紹介すると、この車、どんなことがあっても進行方向に向かって右側に座らなくてはいけない。4人がけの席なので一番右側が取れれば申し分ない。二人連れなら並んで座っていいが、3人以上なら分かれてでも右側を取るべきだ(2012年5月現在)。何故なら車は旧市街を出て右に向かってタホ川沿いを走るから。そうすると例の有名な景色を右手に見ることになる。勿論左側でも首をのばせば見られないことはないが、もっと良い景色をいい場所で見たいと思うのが人情。あとで損した気分にならない為にも、何とかして右側の席を押さえよう(早く行って周りに空席があったとしても、すでに誰かが座っている列に押し込んで座った方が安心。ドアは右側にしか無い)。車は全くスピードが出ないまま、40分ほどで街の外を一周して広場に戻ってきた。まあ有名なパラド-ルに泊まってしまえば景色を堪能できるのだが、ここのパラドールは人気があり、それなりに計画的に手配する必要がある。自分らが検討した1か月前は季節もあったのかもしれないけれど、既に満室だった。

 夕飯はホテルのレストランで。ホテルにあるといっても、ここのレストランは有名らしく庭の中に在って雰囲気抜群。名物は子豚の丸焼きというけれど、食べきれないのは分かっているので、素直にポークソテーにしておいた。この街に限らなかったが、メインを2人でそれぞれ注文すると食べきれないので、レストランで食事をとる時は二人でスープかサラダを2人分(2皿)、メイン1皿、小皿(生ハムなど)を1皿くらいの注文にとどめておいた。これにグラスワインをそれぞれ。

 21時に夕食を始めて終わったのが23時。ダラダラと完全なスペイン時間。街の鐘が夜の空に響く。

最終訪問地まで

 普通なら首都でありスペインの玄関口ともなるマドリッドに到着した時点で旅行は終了、日本へ帰る、ということになるのだろうけど、今回はそうはならぬwww。まだ終わらんよ。

 ホテルを一泊でチェックアウトして駅へ。地下鉄でアトーチャ駅。列車の切符は昨日の到着した時に買っておいた。次の目的地であり、今回の旅行で最後の訪問都市となるのはトレドである。

 10時20分 マドリッド・プエルタ・デ・アトーチャ発トレド行Avant。高速列車でトレドまで無停車で突っ走る。そもそもはアランフェスから分岐する在来線がトレドまで結んでいたのだが、観光路線の性格を帯びる意味もあったのか、高速線専用区間として現在は営業しているようだ。Avantがマドリッドとの間をそこそこの本数で結んでいる。約30分ほどでトレドに到着した。
 トレド駅は歴史都市にふさわしい見るからに年季の入った建物だが、駅舎を除けば駅は勿論のこと、周辺も殺風景だ。丁度出口を出たところにバスが停まっており、旧市街まで行くという。値段は一人2ユーロ。あとで市内バスを調べたら1.5ユーロ(1.3ユーロだったかな)だった。けれど駅からのバスが白バスだった訳ではなく、観光客に向けた乗合バスだったらしい。旧市街まではわずかな距離だったが、途中寄り道をせずに真っ直ぐ走りビサグラ新門で下車。ここから今回のホテルまではすぐである。

 今回のホテルは昔の司教の館を改装したもの。雰囲気は抜群で夜は幽霊屋敷にもなりそうな歴史ある建物だった。実はわざわざ最終日をマドリッドにせずトレドにした理由はこのホテルにあった。この日は日曜だったので、土曜の晩と日曜の晩では宿泊代が2倍近く違ったのだ。マドリッドを出る飛行機は夕刻だったので、トレドからマドリッドまでの時間を考えたら、時刻を全く気にする必要はない。であれば、少しでも安い宿泊にした方が良いに決まっている。フロントの男性はエルキュール=ポワロのような見かけで愛嬌のある人物だった。セーフティーボックスの開け方を尋ねたら鍵をよこした。それで空けてそっちで管理しとけということらしい。自分の場合、この程度のいい加減さで腹を立てることは無いが、神経質な人だと頭に来るかもしれない。ちなみにその鍵ではボックスは開かなかった。いちいち取り替えろとやり取りするのも面倒くさいので、そのままうっちゃっておいた。

 ではさっそく街へ出るとしよう。

マドリッド 酔っぱらいの夕べ

 セビーリャを出た列車はすぐに高速モードに突入した。コルドバから来た線路は在来線でこちらは高速専用線。突っ走る事45分でコルドバ・セントラル着。うーむ、高速列車の破壊力を見せつけられているようだ。コルドバを出ると一路北北東へ。こうなると旅情もへったくれもないので、じっと外を見ているのもつまらない。気分転換にカフェテリアカーに足を運んだ。バーカウンターみたいなところで給仕がオーダーを取っている。昔、新幹線にあったビュッフェみたいな感じだが料理を出している訳ではなく、せいぜいサンドイッチとかポテトチップを売っているくらい。カフェコンレッチェを飲もうと思ったのだが、ここには置いていなかった。カフェソロ(エスプレッソです)を飲む程に気分をはっきりさせたい訳では無かったので、何も注文せずに席に戻った。

 アンダルシアからカスティリヤ・ラ・マンチャに入って変るのは、家が土色になったこと。白い家ばかりを見てきた目には地味に映る。そうこうしているうちに急に街が現れ、都会に変った。だんだんとスピードを落として走るが、定刻よりも5分程早い18時過ぎ、マドリッド・プエルタ・デ・アトーチャ駅に到着した。

 さてさて、こんな大都会に放り出されては人の多さに疲れるなと。まずはホテルに向かうとする。地下鉄を乗り継いでヴェントゥーラ・ロドリゲス。目指すホテルはすぐに見つかった。チェックインし、すぐに街へ。土曜日だからか分からないが、人で溢れていた。夕食を取ろうと目をつけていたのは街の中心プエルタ・デル・ソルだが、歩いて行かれない距離ではない。今までとは桁違いに大きい街でその感覚に慣れるのには歩いた方がいい。

 入った店はハムの専門店。食事だけでなく販売もしており、店内には豚足ハムがずらりと並んでいて壮観。プリマベーラスペシャルとかで(スペシャルのスペイン語を忘れた)、生ハム1.8ユーロ、ビール1ユーロ、グラスワイン1ユーロなど泣けてくる価格設定。珍しくカウンターのみの店で立ち飲みにはなるが地元の人でいっぱい。イベリコハムも7.9ユーロの期間限定価格で今まで見たことのない値段なら頼まない筈がない(もっとも正価でも12ユーロ弱だったけど)。軽く飲み食いして次の店に行くつもりだったが、ワインやビールだけでなくサングリアまで飲んで、ダラダラやってしまった。

 気分良く店をあとにし、向かったのはマッシュルーム専門店。有名店らしいです。テーブルとカウンターの店内スペインでは一般的なスタイルで、当然値段も座った方が高くなる。自分たちが行った時はテーブルは満席だったのでカウンターで料理をつついた。この店はマッシュルームのソテーが有名で、自分らもこちらとワインでまたダラダラ。

 これはいい感じに酔っぱらった。さすがに歩いてホテルに戻るのは、この調子では鴨ネギでスリに挨拶するような感じ。地下鉄で戻ることにした。ホテル近くの雑貨屋でプリングルスの生ハム味があったので購入。それとビール。この店、中国人がやっていてやたら愛想がいい。紅焼牛肉麺のカップ麺が売っていて久々に買ってみようかと思ったけど、おっとここは中国ではない。ヨーロッパなので最後までヨーロッパ気分でいることにしよう。

セビーリャのカテドラル

 スペインでは土曜だと、バスの本数は平日と比べて少なくなる。カルモナからセビーリャに向かうバスも土曜ということもあって少なく、出発はバスの都合に合わせてとなる。スペインは時間にルーズなイメージが昔はあったが、バスにしろ鉄道にしろここまで定刻通りに出なかったことは一度もなく、目的地到着もほぼ定刻か所要時間通りだった。
 カルモナを9時50分過ぎのバスで出発。のんびりとした1時間ほどのバスの旅だが、途中の停留所ではそれなりに乗客があり、しかも意外に若い人が目立つ。車も普通に走っているけれど渋滞にはまることもなかった。サン・ベルナルドまで行こうと思ったが、10時半過ぎ、丁度サンタ・フスタ駅の側を通ったので、駅近くの停留所で降りた。この日はそのままセビーリャを出るので荷物を置いていくことにする。駅構内の手荷物預かりへ。ヨーロッパでは今でも人が管理する手荷物預かり所をよく見かけるが、ここスペインではコインロッカーが発達しているらしく、そちらに入れろ、とのことだった。21インチのトロリーを入れて3.5ユーロ。

 アンダルシアの中心でスペイン第4の規模を誇るセビーリャ。都市とはいうものの高層ビルに圧迫されるようなことはなく、何処となく落ち着いた雰囲気を持った街だ。中心部でも道が概ね広いので、アホみたいにクラクションを鳴らす車を見なかったからそのように思ったのかもしれない。

 荷物を置いて身軽になったところで、市内バスでプラド・デ・サンセバスチャン。バスは連接バスだった。コレ日本でももっと導入したらいいのに。何か規制があるんだっけ?都バスでも人で溢れる草63とかに入れてほしい。セビーリャの出発は15時45分なので、目的地を絞って周る。この街はカテドラルとスペイン広場だが、旧市街側のカテドラルへ。路面電車に乗っても良いのだけれど、それほど暑くもなく遠くもないので往路は歩いてみることに。丁度昼前ということもあり、バルやレストランがボチボチ開店してきたようだ。

 20分ほど歩いてカテドラルへ着いた。さすがにここには行列ができていたが、そんなに時間がかかるものでもなく15分ほどで中に入ることができた。
 ここのカテドラルは「後世の人々が我々を正気でないと思うほどの巨大なカテドラルを建てよう」という意味不明な決定によって15世紀初めに建設を開始し、100年と少しで完成させたもの。カテドラルとしてはバチカンのサンピエトロ寺院、ロンドンのセントポールに次いで欧州3番目の規模を誇るらしい。確かに中は広かった。ミラノのドゥオモが自分の中で都市聖堂の基準みたいなのがあって、あちらと比較してどうなのかなと思うのだが、いや、セビーリャの方が大きいです。ここにはクリストファー=コロンブスの墓があって観光客が集まっていた。墓と言っても棺を4人の王様、すなわちアラゴン、カスティリア、ナバーラ、レオンの各王国の王様が担いでいるという、妙な墓だった。
 カテドラルに接してそびえる塔がヒラルダの塔。ゲームに出てきそうな名前のこの塔は高さ100m近いのだけど、上まで登っていくことができる。勿論エレベーターは無いです。らせん状のスロープをひたすら登ることになった。ここからの眺めは最高。ヨーロッパは何処でも市内中心部は規制がかかっているのか高い建物が無いことが多く、この街も例外ではなかったので遠くまで見渡すことができる。一番目につく巨大建築物はサンタ・フスタ駅ですね。
 昼食はカテドラル近くのバルで。当たり前のようにタパスを食べ、ワインを飲む。こんなのばっかり。

 列車の出発時刻まで中途半端に時間が残ったが、チラ見でも良いのでスペイン広場まで行っとこうということになった。市庁舎前から路面電車でプラド・デ・サンセバスチャン。歩いて広い公園を横切りスペイン広場へ。
 この広場はフランコ政権前の1920年代に開かれた博覧会の会場となった場所。多分セビーリャの街景色というとここが出てくると思う。ボート遊びをする若者多数で、彼ら目当ての写真撮影屋もちらほら。ちなみにスペインはフランコ独裁政権の巧みな外交戦術で、第二次大戦を中立国としてやり過ごしている。その前のスペイン内戦ではフランコを支援したナチスドイツによっても爆撃とかを受けているが、大戦期はナチスの手から逃げ切った。内戦に絡んではゲルニカの絵が描かれたり、「日はまた昇る」の小説もあって、そのあたりの歴史を紐解いてみると、一層スペイン旅行が深く楽しめると思う。

 再び市内バスに乗って駅へ。何とか発車20分前に着いた。荷物を受け取ってホームに降りる。

 セビーリャ・サンタ・フスタ発マドリッド・プエルタ・デ・アトーチャ行のAVEは15時45分発。この列車の席は日本で押さえてきた。当日でも問題ないと予想していたものの、切符代が前売りで半額近くで出ていたのだ。カード切ってTTSを考えても事前購入しないという選択肢はない。ただ、サイトの相性が悪くて日本では予約は出来たものの発券は出来ず、サンタ・フスタ駅の自動券売機で発券した。

 さあ、ここからは一気にマドリッドまで突っ走ることにする。一昔前なら夜行列車を使うところだけれど、所要2時間30分、途中停車駅はコルドバ・セントラルのみの高速列車の恩恵を十分に受けることとしよう。

ここは現代の町じゃあない

 太陽は丁度真上に来ていた。さてさて、暑い午後はこれからが本番。

 今日の宿はパラドール。国営ホテルだけれどその大半が古城とかを改装したもので、トレドやグラナダが有名。今回、トレドは試みてみたが満室だったので、ここカルモナで泊まってみようと訪れたのだ。

 バス停から旧市街の入り口までは10分ほど、目の前にあるセビーリャ門とそれに続く左右の城壁はひょとしたら街としては新しい光景かもしれない。ん~今までこのようなところに訪れた記憶は無いなあ。前回化石都市と書いたのは、昔の城壁が街を一周して残っており、その中に家は勿論のこと教会や市場、広場などが全部詰まっていて中世の都市をそのまま現代に残したような街だったから。当然今ままでは比較にならないくらい小さい。いや、ミハスよりかは大きいかな。で、今日泊まるパラドールは元々の領主の屋敷を改装したというわけ。建物は密集していてその間を細い道が迷路のように入り組んでいるが、わざとそうしているのかそれとも結果的にそうなったのかは分からないけれど、街並みも全く現代のものではない。このような街だと観光都市として人が押し寄せてもいいくらいだが、哀しい程に人がいなくて静かだ。日本人は勿論のこと、欧米の旗持ち観光客もいやあしない。城塞に入ってからパラドールまでは直線で3~400mくらいだと思うけど、何処の国でも領主は高い所に住んでいるものだからひたすら坂道を上がっていくことになる。それでもって律儀に昔ながらに石畳が敷き詰められているから、持参のトロッターのトロリーも壊れるんじゃないかと思った。我々はまだそれ程大きく無いトランクだったから良いが、日本人がよく運ぶような大型のスーツケースは、この街ではアウトです。タクシー乗れって?ハイ、それが常識なんですけどね。重いものをガタガタ引いていく自分の気がしれないんですが、なんとこの街にはタクシーが無かったのでした。

 何でこんな風に歩いているのだろうと、トランクをガラガラと引きずりながら歩くこと20分くらいで急に景色が開けた。眼下にはアンダルシアの台地で見渡す限りの大平原。外からこの町を見ると、畑や野原にポツンと丘があり、そこに城塞と町があるようなイメージではないか。そうですか、こういう風景がありますか。この景色で半分怒りモードに入ってた不機嫌さが一気に吹き飛ぶ。そこからはパラドールまで大した距離は無かった。城壁の門をくぐると広場でそこには車が停車中。どうやら普通は車で来る場所らしい。
 部屋は期待通りの城館の一室だった。部屋からの景色も最高。ただ、自分らは一番安い部屋を押さえていったので窓が小さい部屋になってしまった。キチンと高いお金を払えばベランダ付きの部屋もあるらしい。
 このパラドール、元は城館なのだが、16世紀に日本人がここに滞在したという記録があるらしい。イスパニアの宣教師に連れられた天正遣欧使節の少年達と、伊達政宗の派遣による支倉常長一行だ。まさにセビーリャ門から入り、東側のコルドバ門から出たとかで、自分達も早速コルドバ門まで行ってみた。どうみても昔の姿がそのまま残っているような門で、ひょっとしたら同じものを見てるんじゃないかと思わせるのには十分なモノだった。

 この町に来た本来の目的はひまわり畑だったのだが、残念ながら少し早すぎたようで全く咲いていなかった。今回の旅行で唯一目的を果たせなかったイベントだけど、こればかりは季節ものなので仕方が無い。

 午後4時をまわるとシエスタ。暑さがピークに達する代わりに店が一斉に閉まる。食堂や雑貨屋はだいたい20時くらいまで休みになってしまう。この時間に水が無くなると非常にきつい。ペットボトルのミネラルウォータはそれこそ命の水で、その消費量は半端ではないので如何にこの時間に無くならないようにと気を遣っていた。けど、カルモナではその配分に失敗し、シエスタ中に水が無くなってしまった。
 うわぁこりゃきついなあと思いながらセビーリャ門を出てみると目の前に雑貨屋。しかも開いている。奇跡!と思ったらドアには漢字の案内。おお、中国人がこの街で店を開いていてシエスタ上等で営業していたのだ。売り子の女性は半分寝ていたが、我々が入ると「Ola!」と挨拶してきた。風習を無視するその行動はあちこちの国々でハレーションを起こしているようだけど、この営業スタイルには逆に本当に感謝することもありますわ~www。

 夕食はパラド-ルで食べようと思ったが、でも外で食べた方が現地の人達も居て楽しいだろうとなって、中心部の小さな広場まで出向いて食べた。夕食はどうしてもタパスとワインになるがそれで十分。スペインに来てこういったバルのサービスに不満を持つことはなかったが、ここもとても愛想がいいバルだった。旧市街人々が集まって飲み食いしており、広場ではたくさんの子供たちが歓声を上げて遊びまわっていた。夜も10時を過ぎているのだが、人は多いので危険な雰囲気は一切ない。多分昔からこんな感じだったのだと思う。バルセロナやグラナダ、コルドバとは比べ物にならないくらい小さな町で雰囲気は抜群によく、観光都市では無かったが結果的に訪れて正解だった。
 マドリッドやバルセロナ、普通にアンダルシアを訪れているだけでは、この空気感を味わう事はないです。

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プロフィール

Mr.Problem

Author:Mr.Problem
東京移住。
職業:雲のジュウザ
根本思想:世界人民大団結万歳(笑)
多少、あちこちに行ってましたが、。結婚してからはめっきり諸外国へ出ることが少なくなりました。せめて一年に一度くらいは海外には出たい。元パッカーの習性で旅行は旗持ちではなくほぼ個人旅行。基本的には今世界で起こっていることについて思うところや、今まで行った街の印象を徒然に書いていきます。
みなさんが世の中について考える何かの助けになれば。

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